藤原正彦著、
「祖国とは国語」
を読んだ。
なんとも重いタイトルだけど、
要旨は、
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戦後半世紀かけて壊れてきた国を元に戻すには、
即効性のある方法で一気に治すなんて都合のいい話はないから、
まともな国民を教育するところから時間をかけてじわじわやらなきゃいけない。
すべての教育の基本は国語だから、
ほかの知識をためるタイプの教科よりも国語に重点を置くべき。
なのにゆとり教育の名の下にほかの教科と同程度に国語の授業数を減らすとはなにごとだ!
しかもほんとに一部の人しか海外旅行以外には使うことがないであろう英語を、
国語の時間を削ってまで小学校から全員に教えるなんて意味あるのか?
言語は情報伝達のためだけのスキルだと思ってるやつらはくそだ!
母国語で論理的に考えられないやつは英語できるようになったって、
国際舞台で活躍できるわけないんだから、
まず国語からだろう!
で、
国語の授業って言っても、
ほとんどの教師はむしろ国語を嫌いになるような授業を展開しちゃうみたいだから、
先人の書いた美しい文学にもっとたくさん触れましょう。
小さいときに文学に触れることで人間も豊かになりますよ。
文学で培った祖国愛(nationalizmではない)をもった人間をたくさん育てれば、
日本はよくなっていくはずです。
(経済的にではなく)
著者曰く、
「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数。」
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って感じです。
確かに…。
共感できる部分はたくさんありました。
塾で子供教えてたときに、
問題の意味を理解してもらえない子に教えるのが
一番つらかったもんね。
けど、
体育は?
ぼくは前から小学校のときは、
国語と同様に体育も必要だと考えているから、
体育の重要性に言及してないとこだけが納得いかなかった。
最近教育関係でよく話が出てる、
斉藤孝さんのほうが、
体育にも注目してるみたいだから、
手法はともかく、
コンセプトとしては斉藤さんのほうがいいなぁ…。
著者は教室でやる科目のことしか念頭にないんじゃないの?
って思ったけど、
国語より重要度の低い科目を挙げてた部分でしっかり体育も並んでたから、
体育のことを考えていないわけじゃないみたいだし…。
もしかして今でもほとんどの子供は体育なんかなくっても、
学校終わったら公園で日が暮れるまで飛び回ってると思ってるんだろうか…?
だとしたらまあ納得できないわけじゃないけど、
その現実の見えてなさはいいんだろうか?
見えてないのはぼくのほうなのか?
でも昼間の公園で飛び回ってる子供の数は激減してると思うけどなぁ…。
東京の、それもごく一部だけなんでしょうか?
重いタイトルの割には、
さくさく読めて、
教育のことを再考させられるいい本でした。
でも欲を言うと、
いろんなところに書いた文章を寄せ集めただけなので、
論旨がかぶってるところが多々あるのがちょっと飽きる感じ。
書き直してまとめてもらいたいかな。
教育論が終わったあとの、
小ねたも楽しいものもたくさんあったし、
文庫版だったので、
420円(正確ではないです。)はお得かな。
ビール一杯よりははるかに価値があると思います。
でも結局政府や政治家が国民を教育する気がないのは、
馬鹿な国民をたくさん作ったほうが、
貧富の差が広がって、
いま自分たちが持ってる地位とかを安泰なものにできるからなんだろうなぁ…。
と思ってるんだけど、
ほんとのことはよく分かりません。
真剣に親ではなく子供のことを考えて、
いまの教育改革(?)が行われてるとしたら、
(ゆとり教育とか、体罰厳禁とか。)
ほんとに日本はやばいと思いますがどうでしょう?