ほんとうに思いがけず、自分の琴線に触れてしまった。

そのような感じ。



人には人それぞれの小さな宇宙がある。

宗教や思想という言葉でも同じかもしれないけれど、私は宇宙だと思う。

宇宙より広い言葉があればそれを遣うのが正しいのかもしれないけれど、私には他に思いつかない。


ふとした瞬間に、それを私に少しでも触れさせてくれた時、そしてそれが私の知っている宇宙と交差する部分がある時、私はとても嬉しく感じる。




私たちが作り出している日常は、本当の生きることとか死ぬこととか、恐れ多いものから目を背ける為にあるんじゃないかな。





ずっとここ最近生死について肌に触れて考えて、死は特別なものではないけれど、やっぱりある種神聖というか、パワーが必要というか、ずっとその域にいるといつもの感覚と違った自分がいたのがわかった。




やっぱりそれだけだと疲れてしまうから、私たちはふわっとした明るさの日常を作り出したのだろう。





生きることの本当の彩度の際立っている感じとか、死ぬことの後には引けない真剣さは強すぎる。




一気に私がそちらにもって行かれてしまうから。






もうこの世ではきっと、体を使った表現では話したり、笑ったり出来ない人がいる。


その人を見ていて、一緒の部屋にいて思った。



ここにいてはこの人に会えない。


早く今晩眠りについて、夢で会いたい。



そうしたら絶対会える。



だから早く帰ろう。


早く眠ろう。


会いたい。
会いたい。



どうしても会いたい。



会いたくてたまらない。






そんな気待ちになった。



ここにあるのは肉体だけだ。






私達は本当は一緒だから。











そう思った次の日、目が覚めると会いたかった気持ちが嘘のように消えていた。



だから会えたんだろう、私達は。








覚えていないだけで。







とてつもなく美人だなと思って、猫にそのまま『美人』と名前を付けた。



オス猫。









もう本当に本当にかわいくてかわいくて、どうしようもない。





「美人」と呼べば、ちゃんと私のところへやってくるし、目を合わせて甘えてくる。




私の掌に頭をこすりつけて、右手の指をなめたり甘噛みしたりする。





そんな猫。






その美人、人間みたいに何度も何度も伸びをして、後ろ足をぐぐーっと体と引き離している。



猫じゃないみたいだ。









人生はうんとはじめのころに至福のほとんどを知るものなの。人によって違うけれど、至福の鋳型はそのときに作られる。そしてその後はほとんどずっとそれを取りもどすための戦いなの。ーサウスポイント  よしもとばなな



いつもそうだけど、よしもとさんは私の言いたいことすべてを書いてくださっていて、この言葉はずっと私の頭のなかにある。




私もずっと戦っている。




でもそんな毎日が続くのも苦しいと思うこともある。