昔書いた日記を読んだ。



あの時はこんなことを考えていたのか、私。


なんて自由だったんだろう。


若さゆえの、無知ゆえの幸福。




変わっていないようで、随分と変わってしまったのだなあ、私は。



もう決して同じ場所には立つことはできない。



今こんな風になるだろうといううっすらとした未来像がある。



でもイメージできてしまう私になんて、私はなりたくない。


予想もしていなかったことが起きる方がよほど好きだ。
それが私の人生なんでしょう。














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窓の外を見て思う。

今日は雪が降ってくれていたら良かったなあ。

そんな気分。







まどろんでいたら、何故か小学校の時の親友を思いだした。

一年生の三学期、窓際の前から一番前が私の席。
たまたまその後ろになったのがその子。


窓の下でみんなで育てていたポリアンサスの鉢植えとか、ピアニカの入っていた棚とか、光の加減とか、古くて埃っぽい教室の様子が胸に迫ってきて、その子に会いたくてたまらなくなった。


懐かしくて、もうそこに戻れないことも寂しくて、涙が出た。







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昨日電車が止まって帰れなかったから、暇つぶしに買った。



まさかまさかまさかで頭をずどーんって殴られたような衝撃を受けた!


最近の私は、私たるものになりすぎていて、新しい価値観を欲していたんだね。



取り入れて、反芻して、私になっていく。またそのループかな。
 


読んでいて思い出したのは、おばあちゃんの家でお風呂がわくところ。


遊びに行って、夕方まだ明るい内からお風呂に入る。
じゃんじゃん勢いよくお湯を沸かして、棒でかき混ぜるときの新しい水のぐるぐるする手応え。
湯気がもうもうと出て、窓を開けて外の冷たい空気の中に出ていく様。


水とか何か何でも良いけど、たっぷりふんだんに使うこと。
節約しないこと。
勢いよく出すこと。
何か新しくてあったかいものがうまれそうなこと。
そのすべて。


それは確実に母にも受け継がれていて、私の受けた愛情の類。



私も他の人にしてあげられること。
大好きな人にしてあげたいこと。


疲れて帰ってきて、それを流せる力。





思い出したよ。
















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最近の私は私でないみたいな気がする。

なんだか昔を取り戻そうと足掻いているような。


アムリタ読んでるからかな?




昔はこう感じていたなぁとか。





なんだか自由でなくなったのかな?





もっと自由になりたい。


でも縛り付けているのはきっと私だけ。












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雪国でないから言えることだが、雪は降っているときがとても美しいと思う。
吹雪なら吹雪であるほどいい。
雪を白く作ってくれた神様に感謝する。


それから雪の降った次の日が快晴で、庭の木や屋根や電線から雪が溶けて滴が落ちてきて、地面にあった雪も水になって土に溶けてゆくとき。


空気はすごく冷たいはずのに、私が思い出すその場面は雪の白が反射するからか、いつも暖かくてまぶしい。
こんなに暖かくなってしまうと雪がすぐ溶けてしまう。
溶けないで、溶けないで…でも無理なことはよくわかっているから、後悔のないよう気の済むまで見ておこう、いつでも思い出せるように、この最後の一瞬まで見逃したらいけない、と思っている切羽詰まった幼い私がいる。



祖父母が庭の雪をかき集めて作ってくれた雪だるまも日の光で溶けてしまう。
なんで溶けてしまうのに、大人は悲しくないの?
私を喜ばせるために作ってくれたはずの雪だるまは、結局私をあの晴れた日の中に一人で置いていってしまう。
どうせ溶けて居なくなってしまうなら、最初から作らなくていい。
そんな子供の私の願いはきっと伝わったはずもない。


私は昔からそうだった。
ずっと残らないものの価値はとても低い。
いつか居なくなってしまうのなら、最初からいらない。
いつかいなくなるのなら、今ここで終わりにしよう。


いなくなられる私の心が最低限の傷ですむように。
そうやって生きてきた。


だけれど、ずっと一緒にいる、ずっと私が使っていくようなものには、今度はどうしていいかわからなくなってしまった。
大事に大事にしすぎて、踏み込み方も使い方も、そっと手を出しすぎてうまくできた試しもない。















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