雪国でないから言えることだが、雪は降っているときがとても美しいと思う。
吹雪なら吹雪であるほどいい。
雪を白く作ってくれた神様に感謝する。


それから雪の降った次の日が快晴で、庭の木や屋根や電線から雪が溶けて滴が落ちてきて、地面にあった雪も水になって土に溶けてゆくとき。


空気はすごく冷たいはずのに、私が思い出すその場面は雪の白が反射するからか、いつも暖かくてまぶしい。
こんなに暖かくなってしまうと雪がすぐ溶けてしまう。
溶けないで、溶けないで…でも無理なことはよくわかっているから、後悔のないよう気の済むまで見ておこう、いつでも思い出せるように、この最後の一瞬まで見逃したらいけない、と思っている切羽詰まった幼い私がいる。



祖父母が庭の雪をかき集めて作ってくれた雪だるまも日の光で溶けてしまう。
なんで溶けてしまうのに、大人は悲しくないの?
私を喜ばせるために作ってくれたはずの雪だるまは、結局私をあの晴れた日の中に一人で置いていってしまう。
どうせ溶けて居なくなってしまうなら、最初から作らなくていい。
そんな子供の私の願いはきっと伝わったはずもない。


私は昔からそうだった。
ずっと残らないものの価値はとても低い。
いつか居なくなってしまうのなら、最初からいらない。
いつかいなくなるのなら、今ここで終わりにしよう。


いなくなられる私の心が最低限の傷ですむように。
そうやって生きてきた。


だけれど、ずっと一緒にいる、ずっと私が使っていくようなものには、今度はどうしていいかわからなくなってしまった。
大事に大事にしすぎて、踏み込み方も使い方も、そっと手を出しすぎてうまくできた試しもない。















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