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つづき
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名古屋家庭裁判所からの電話は、管轄地域を名古屋から札幌へ移送するための確認の電話でした。
管轄を変更し札幌家庭裁判所の判断によって電話会議の可否が決定されるとのことでした。
その結果が後日(どれくらい後だったかもう忘れました・・・)郵送で届きました。
結果は不可。
まだ私の離婚調停をする時代では普及してなかったからかなと今では思ってます。
でも小さな子供がいて遠隔地での離婚調停は厳しいため札幌での調停を行うよう上申もしていたので今度はその結果を待ちました。
これは結果的に札幌家庭裁判所が適当と判断してくれて名古屋へ行かず札幌家庭裁判所での離婚調停が行えることが決定しました。
その通知が私と元夫に届きました。
この結果にきっと元夫はワナワナしたでしょう。
元夫:「お前よくもこんな調停申し立てしてくれたな」
「ふざけるなよ」
「俺がなんで行かなあかんの?」
「俺は行かへんからな」
「不服申し立てしてやるから待ってろ」
素直に調停に出廷するわけないと思っていたので予想の範囲内でした。
すぐに不服申し立てをして私の願いは却下されることとなりました。
結局札幌家庭裁判所での離婚調停は実現しませんでした。
残念!
離婚調停の申し立てと同時に転職活動も始めていました。
転職活動と法律相談に通う日々が流れました。
無料法律相談だと毎回弁護士が変わり、当たり外れがありなかなかうまく自分の相談したい内容が伝わりませんでした。
転職活動でハローワークへ通う中で、両親が都合が合わず子供を連れて行くことがありました。
その子供を連れて行ったことで初めて「マザーズハローワーク」という存在を知りました。
マザーズハローワークは、子育て中のママの仕事探しを手伝ってくれるサポート制度です。
ママ専用の相談ブースがあり、その後ろにプレイルームがありました。
目の届くところで子ども達が絵本を読んだり寝転がれたりテレビを見れたりして、
安心して仕事の相談をすることができました。
そこでサポートしてくれた窓口担当者との出逢いで今後の離婚調停の話が大きく進むこととなりました。
いつどこでどんな人が自分に影響を与えてくれるかわからないなと思いました。
この出会いがなければ今どうなっていたか・・・
その担当者さんも離婚を経験してきたシングルマザーの方でした。
そのため私の気持ちを十分理解と共感をしてくれたのですぐに信頼感を持てました。
そしてある法律事務所の弁護士さんを紹介してくれました。
それからはその紹介していただいた弁護士さんの元へ法律相談に通いました。
前述した離婚調停は期日が決まりましたが転職活動や娘二人の保育園もきちんと決まっていなかったので、訳を話し期日を延長して頂きました。
そして再度離婚調停期日が決定しました。
保育園も無事決まり慣らし保育も終えて落ち着いた頃
諦めていましたが名古屋に置いてきた家財道具や自分と子供のモノを全て取りにいく事を決意しました。
元夫と調停についてメールをやりとりした時に
養育費や面会の内容の他に財産について話を切り出されました。
財産なんて何もないのにw
そこで初めて元夫から家財道具をどうするかという話を自分から言ってきたのです。
これはチャンスだと思いましたね。
諦めていた私の服や家具、雑貨、子ども達のタンスなどまだまだ必要なものは沢山ありました。
でもまさか元夫からの思わぬ提案で取り戻すことができそうな流れになりました。
嬉しい反面本当にこいつは何がしたいんだ?と疑問でした。
離婚したくない。
子供に会いたい。
とか言うわりにこちらに有利になるようなことをポロっと言うので
何も後先考えてないんだな~ってしみじみ思いましたw
自分で言っておきながらブツブツ文句は言ってましたけど、
そんなの後の祭り。
元夫が仕事が休みの日、きちんと立ち会える中で引っ越し作業ができることになりました\(^o^)/
モラ夫アホでありがとう\(^o^)/
もちろんこの引っ越し作業は私一人では絶対に行きません。
名古屋の職場の上司、後輩、同僚がみんな集まって助けてくれました。
とても心強かったです。
男性の先輩、後輩もいたので人数でも力でも守ってもらえました。
感謝感謝です。
この引っ越し作業は調停が行われる前に行いました。
引っ越し作業が終わり業者に託して「お邪魔しました」と一言言ってモラ夫の住処を出ました。
その後もちろん色々と文句のメールがきましたがもちろん無視でしたw
つづく
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