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つづき
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病気が見つかって市内の病院から札幌の大学病院をすぐに紹介され気づいたら入院していました。
CT検査、MRI検査が始まり、血液採取、点滴。
なんだこれ。
なんで今こんなことになってるんだ?
と現実を受け止められずに次女と病院のベッドの上にいました。
次女は笑ってこっちを見ている。
でも病気だなんて信じられない。
長女は両親に任せるしかありませんでした。
母にはなんとか仕事を休んでもらいましたが母だってそうそう休んでいられない。
現実を受け止められない中、市役所へ電話して一時保育の手続きをして、
長女も急な保育園入所が決まりました。
検査も落ち着き外泊の許可が下り一度帰宅。
その間に保育園入所の準備に追われ今どういう状況なのか頭で整理がつかず泣くこともできませんでした。
長女は急な出来事に不安そうでしたが新しいリュックや保育園準備のグッズに喜んで、とりあえず安心したのを覚えています。
この間も元夫からメールはきていましたが完全無視です。
相手してる余裕がありませんでしたw
外泊を終えて大学病院へ戻り、その日の夕方に医師から診断結果が告げられました。
両親も長女も仕事・保育園があるので一人で診断結果を聞きました。
呼ばれて向かった先は薄暗く、主治医と他に医師が2名。
その後ろには数十人の研修医。
初めての光景。
異様な光景。
これから何を告げられるのか・・・動悸がして誰にも頼れない中、次女を強く抱きしめることしかできませんでした。
主治医から検査結果を説明されたけど目の前がチカチカして全然頭に入らない。
何も理解できない中、主治医が申し訳なさそうな顔をしながら診断名(詳細は伏せます)を告げました。
「がんの疑いがあります。ここではこれ以上の治療はできません」
血の気が引くというものを初めて経験しました。
まさかこんな重い話を一人で聞くとは夢にも思わずだただだ涙が溢れてきました。
「がん」
たった2文字なのに重い。
何も言葉が出ませんでした。
そんな中でも何も知らない元夫からの執拗なメールは続き、
何も知らないモラ夫に腹が立ち次女の現状教えてしまいました・・・
つづく
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