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つづき
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私に死ねと言われて、
元夫の返答。
元夫:「なんでそんなひどいこと言うんだよ・・・」
「俺だって急いで帰ってきてやっただろう」
でした。
私は死ぬ思いだった。
長女も可哀想だった。
家族なら帰ってこいって話ですよ。
それが何?
帰ってきてやった?
どの口がそんなセリフを吐けるのかしら
酒飲んだから帰ってこれない?
おふざけもいい加減にしなさいよ?
実家で温かいご飯を食べた?
あなたの娘は食パンとバナナだけよ?
わたしと長女はあなたの寂しさを紛らわす付属品じゃないんだからね。
ひどいのはお前だボケ!!
あ、これ全て心の声ですからw
元夫には一言も言ってませんw
言えば倍になって返ってくるので言いません。
元夫の言い訳は何を聞いてもムカつくだけだから
全て無視して無言を貫きました。
そしたら溜息ついてました
一応大阪から帰ってきたので、
長女を保育園に送ってもらい、
その足で病院へ送ってもらいました。
診察後、すぐ入院が決定。
やっぱり切迫流産でした。
私がいなくて長女は大丈夫かな?
あぁ、またお金がなくなる・・・
そんな心配ばかりしてました。
入院中になぜか元夫からエセ朗報が届きました。
○○から借りた借金を一括返済できそうだと。
だから今現在残額いくらなのか調べとけと。
信じられませんよね。
いきなり何言ってるんだこいつは?って感じでした。
でも、返せる返せるうるさいから一括返済する場合、
どれくらいの残高なのか調べて元夫に教えました。
そして、一括返済はいつになるかと思ったら、
何事もなく返済が続きました・・・
ぬかよろこびさすなーーーーーーー
ほんと、なんなんですかね。
返せないのに、返せる素振りを見せてくるのは。
俺頑張ってるよアピールだったんですかね?
今でも謎の行動だったなって思ってます。
入院は2週間でした。
その間、元夫は四苦八苦しながらも
長女のお世話と洗濯など頑張っていたようです。
入院期間中のことは感謝してます。
私がいないからするしかないけど、
いつもやらなかった長女のお世話を
元夫なりに頑張ってやったんだなと思うと、
一応父親としての自覚は多少あったんだな~と
少し嬉しくなりました。
でもそれ以上は何も思いませんw
そして、退院日を迎えました。
入院費用はなんとか払えました
ほんとに、こんなレベルの経済状況で
子供を育てていける経済状況ではありませんでした。
退院し、しばらくは自宅安静の日が続き、
1週間後の検診で
先生から思いもよらぬ診断を下されました。
つづく
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