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「出会いはSNS・・・」

 

つづき

 

 

国家試験に受かって、

 

自信を少し取り戻しました。

 

元夫に散々お前は何もできない、

 

何をやってもうまくいかない、

 

お前はダメな奴なんだと言われ続けてきましたが、

 

 

 

 

 

あれ?

 

合格したよ?

 

私やればできるんじゃないの?

 

と自己肯定感が戻ってきました。

 

私は全然ダメなやつではない!

 

ひとつの成功体験はそれだけで、

 

自信をつけさせてくれる。

 

この時、久しぶりにそう思えました。

 

 

 

 

私の国家試験合格に、

 

まさか・・・と思った元夫も、

 

お祝いはしてくれました。

 

 

 

 

 

 

そんな合格も、束の間。

 

 

 

 

 

 

予想だにしない妊娠が判明しました。

 

予想だにといっても、

 

相変わらず避妊はしてもらえなかったので、

 

そうなってもおかしくはなかったのですが、

 

危険日を避けてても・・・

 

妊娠しました。

 

 

 

 

 

 

 

のちに次女が誕生しますが、

 

次女が誕生するまでが

 

大変でした。

 

 

 

 

 

 

 

妊娠3週目に出血が2度あり、

 

3度目の出血で切迫流産診断で安静入院を勧められましたが、

 

長女の保育園の送り迎えや、

 

家の事が心配で自宅安静にしてもらいました。

 

その間は、元夫が協力的に動いてくれました。

 

その時ばかりは、

 

やっと夫らしくしてくれている

 

と思えました。

 

長女の時は全く問題なく妊娠期間を過ごしてきました。

 

なので元夫も妊娠を甘く見ていました。

 

自分は種を出すだけ。

 

妊娠がどれほど大変かはわかっていませんでした。

 

今もきっとわかっていないでしょう。

 

 

 

 

1週間後自宅安静が解除され、

 

職場へ復帰。

 

仕事は事務作業に切り替えてもらい、

 

動き回る事は少なくなりましたが、

 

やっぱりどうも体調がすぐれない。

 

 

 

 

職場復帰して3日後、

 

退勤時にお腹に激痛が走り、

 

しばらく立てませんでした。

 

でも長女を保育園にお迎えに行かなければいけない。

 

なんとか立ち上がり、

 

保育園までお迎えに行けました。

 

こういう日に限って元夫は大阪へ出張。

 

長女を自宅に連れ帰り、

 

夜御飯の支度を始めようとしたとき、

 

また激痛。

 

出血しているのがわかり、

 

はってトイレへ行き、

 

確認すると、

 

生理二日目以上の出血が目に飛び込んできました。

 

どうしよう。

 

病院に行かなきゃ。

 

パニックでした。

 

長女をあずける人はいない。

 

元夫もいない。

 

頼れる人が誰もいない。

 

とりあえず病院に電話しました。

 

現状を伝え来れるなら来た方がいい。

 

でも長女をあずける人がいないから行けない旨を伝えると

 

病院側もどうすることもできないと返答あり、

 

そりゃそうだと納得。

 

病院にただ連絡して終わりました。

 

藁にもすがる思いで、

 

元夫に電話。

 

名古屋と大阪くらいの距離なら

 

車で行ってるから帰ってこられる。

 

そう思いました。

 

元夫が電話に出て、

 

現状を伝え、泣きながら助けてとお願いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

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