★伝説のヘビー級王者ロッキー・マルシアーノ復帰話!/其の8(復刻再編集版) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

ボクシングの一寸先は闇だが一瞬にして栄光を掴む!

★ ★ ★ 🖥 PC版でご覧ください!★ ★ ★


           ロッキー・マルシアーノ復帰宣言!



ロッキー・マルシアーノは突然引退しても引く手あまたの人気者だった。本の執筆からボクシング解説者、TVショー出演、スポーツコメンテーター、講演など現役時代よりも忙しい毎日を送っていた。
そんな中1956年11月30日、イリノイ州シカゴでマルシアーノが引退して空位となっていたNBA(現WBA)世界ヘビー級王座の決定戦が行われた。前王者マルシアーノと死闘を繰り広げた老練42歳のアーチー・ムーア(米国)とヘルシンキ五輪(1952年)のミドル級金メダリストで台頭してきた弱冠21歳のフロイド・パターソン(米国)との王座決定戦だった。親子ほども違う年齢差の対決である。



試合は序盤こそ一進一退の展開だったが若いパターソンが徐々に攻勢を強めて5回に強烈左フックを浴びせるとムーアはダイブするようにダウン。ムーアは立ち上がって再開するものの再びパターソンが左右フックを叩き込むと沈むように2度目のダウン。ここは効いて間を置き立ち上がったがカウントアウトとなりパターソンがKO勝ちで新王者となった。
当時21歳11カ月の史上最年少王座獲得だった。(この最年少記録は20才5カ月のマイク・タイソン(米国)出現まで30年間も破られなかった)



弱冠21歳のパターソンが老練ムーアに見事KO勝ちして初戴冠したシーンをどうぞ!(2分23秒)


その後パターソンは難敵挑戦者を次々と退けていった。
1959年5月1日、ブライアン・ロンドン(英国)と対戦して11回KOで下し4度目の防衛に成功した。ここまで全てがKO防衛だった。そして、ゲスト解説者だった引退したマルシアーノがある日のテレビ番組で「あの引退は集大成ではなかった!」と発言したことから熱心なファンやマスメディアの後押しで現役復帰熱が高まっていた。
その復帰戦の相手に名を挙げていたのが言うまでもなくこの若き王者フロイド・パターソンだった。戦うことになればそれこそ世紀の一戦となるのは間違いなかった。
対戦話はあくまでもパターソンが5度目の防衛を果たすことが条件であった。まだ対戦契約するまでには至っていなかったがそれでもマルシアーノはパターソンの試合を解説していくうち血が騒いだのかテレビの前でリング復帰することを宣言する。早る気持ちからか宣言してしまったことで真剣にトレーニングを開始するのだった。



運命に翻弄されたマルシアーノ!

巷(ちまた)のファンが盛り上がってもスンナリ計画通りにはいかないのがボクシングの世界である。
パターソンのプロモーターは無謀とも言える僅か1カ月と26日の試合間隔で防衛戦を組んでいた。しかし、このマッチメイクが後々マルシアーノの復帰計画に弊害を及ぼすことになるとは誰も想像できなかったでしょう。
1959年6月26日、対戦相手はヘルシンキ五輪(1952年)のヘビー級銀メダリストからプロに転向してきたEBU欧州王者インゲマール・ヨハンソン(スウェーデン)の挑戦を受け対戦する。パターソンは圧倒的有利とされたが、なんと呆気なく3回TKO負けで5度目の防衛に失敗、王座から陥落してしまう。ベルトは北欧人へと移動した。
パターソンはあまりにも短い試合間隔が明暗を分けたと物議を醸した。それでもこの試合はオプション契約(興行権)されていた為、権利を行使してリマッチの方向へと動いた。
当然マルシアーノは"蚊帳の外"状態でパターソンと対戦する機会はなくなり復帰戦計画も白紙となってしまった。

皮肉なことに翌年の1960年6月20日、バターソンはヨハンソンとの再戦で5回KO勝ちを収めて王座奪還に成功したのだった。しかし、今度は敗れたヨハンソン陣営のオプション行使で3度目の対戦が組まれることになった。
1961年3月13日、この試合は初回から壮絶なダウン応酬の末にパターソンが6回KO勝ちで決着して終止符がうたれた。一方、この時期マルシアーノはもう37歳を迎えトレーニング頻度も減り闘争意欲も薄れて現役時代の体に戻すのは困難だったという。そんな事情からプロモーターはマルシアーノの年齢も考慮してバターソンとの再交渉も打ち切り既に撤退していた。この成り行きの運命に翻弄され、かつての栄光も哀しいかな例えるなら"盛者必衰"と言えた。
結果的にファンを巻き込んでのマスメディアの話題作りだけに終わってしまった。結局、マルシアーノは期待された復帰は叶わず公式リングには2度と上がることなく以前の生活に戻ったのでした。

〜〜〜其の9へ続く!(不定期更新)

【Rocky Marciano Biography&Wikipedia・参照】