マーティロスヤン2年間闘病生活の末、死去!
(PHOTOS BY ESPN.COM)
昨年11月24日、リングマガジン誌のサイト記事を覗くと3度
の世界挑戦経験を持つバネス・マーティロスヤン(アルメニア/米
国🇺🇸)の訃報だった。記事によればマーティロスヤンは引退後、皮
膚癌にかかり2年間の闘病生活の末、11月23日、39歳の若さ
で亡くなったと報じていた。癌はよく若い人ほど増殖進行が速いと
いう類いなのだろう。リングを沸かせたあのファイターが僅か39
歳の若さで亡くなってしまうとは信じられなかった。マーティロス
ヤンのファイトぶりはWOWOWエキサイトマッチでも度々中継さ
れ日本でも人気があったはずだ。あ〜あのタフな選手かと・・・
マーティロスヤンは2016年5月21日、3年半前WBC世界S
ウェルター級挑戦者決定戦で引き分けたWBA世界Sウェルター級
王者エリスランディ・ララ(キューバ🇨🇺)に挑戦して激戦の末、1
2回0ー3判定負けで王座には届かなかった。その後はプロモータ
ーとの確執が報じられ長期間リングから遠ざかっていた。もう引退
したかと囁かれていたが、突如専門ネットでマーティロスヤンが2
年ぶりのリング復帰をミドル級で大一番を戦うと報じられた。
勿論、ミドル級での実戦経験はなくぶっつけ本番の挑戦となった。
2018年5月5日、カリフォルニア州カーソンで当時3団体(W
BAスーパー・WBC/IBFは懸けられず)世界ミドル級統一王者
のゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン🇰🇿)に3度目となる世界
挑戦。試合は初回のみ互角に戦ったものの、2回ゴロフキンの左右
強打に晒されKO負けに終わった。2年間の空白でそれまでのタフ
なファイトぶりは見る影もなかった。結果的にマーティロスヤンは
これが現役最後のリングとなったのでした。
翌2019年2月4日に体力的限界を悟ってSNSで引退を発表。
「33歳から第二の人生はコーチ業に転身して自分が成し得なかっ
た頂点に若い選手を導きたい!」と抱負を語っていた。その活動を
開始して4年後に皮膚癌(扁平上皮癌)という聞き慣れない病気を
発症して治療に専念していたという。マーティロスヤンも活動半ば
でこれからという矢先に無念だったでしょう。
(ゴロフキンへの挑戦が現役最後となった)
(PHOTOS BY ESPN.COM)
マーティロスヤン最後の試合となったシーンをどうぞ!
(CMあり/4分45秒)
バネス・マーティロスヤンは1986年5月1日、アルメニア・
アボヴャン(旧ソビエト連邦)に誕生した。ソビエト連邦崩壊(1
991年)後の4歳時に家族共々米国カリフォルニア州グレンデー
ルに移住して生活が始まった。7歳になると元ボクサーだった父親
の勧めで近くにあったジムでボクシングを習い始める。成長すると
アマチュア選手として目覚ましい活躍で頭角を現すようになった。
2004年のアテネ五輪代表地区予選では既に米国籍を取得してい
たことから米国代表として出場した。地区予選では難なく勝ち抜き
最終選考会でも強豪を破って米国代表に選出された。
しかし、代表となったアテネ五輪ではウェルター級で出場して強豪
ひしめく中、2回戦で敗退となった。アマチュアでの戦績は130
戦120勝10敗という素晴らしい成績を残した。その後マーティ
ロスヤンはアマチュアでの実績を引っ提げプロ転向を表明した。
2005年4月8日、Sウェルター級4回戦をジェシー・オルタ(
米国🇺🇸)と戦い4回3ー0(40ー35×3者)の判定勝ちでプロ
デビューを飾った。その後は連戦連勝の快進撃を続けた。
29戦全勝(18KO)無敗の時点でNABF&NABO北米Sウ
ェルター級王座を獲得。30戦目ではWBC・Sウェルター級シル
バー王座も獲得して一気に期待も高まり知名度も上げていった。
2012年11月10日、WBC世界Sウェルター級挑戦者決定戦
をエリスランディ・ララ(キューバ🇨🇺)と対戦して激戦となった末、
マーティロスヤンが偶然のバッティングで左目尻をカット。出血が
酷く9回1ー1の引き分け。連勝も32でストップとなった。
それでもWBO世界ランキング1位に大躍進して世界戦決定。
2013年11月9日、WBO世界Sウェルター級王座決定戦を2
位のデメトリアス・アンドラーデ(米国🇺🇸)と対戦。初回終盤マー
ティロスヤンが左フックで先制ダウンを奪う好スタート。しかし、
その後はアンドラーデに挽回され結果は12回1ー2(1P/3P)
の判定負けに終わった。マーティロスヤンは惜しまれる負けだった。
2度目の世界戦は2016年5月21日、WBA世界Sウェルター
級王者となっていたエリスランディ・ララ(キューバ🇨🇺)への挑戦
が3年半ぶりの再戦となった。初戦とは違いアグレッシブさが増し
ていたララに競り負けた末、12回0ー3(5P/5P/3P)差の
判定負けに終わり王座獲得はならなかった。
3度目の世界挑戦は前述のように階級を上げミドル級で挑戦したが
2年間のリング離脱が影響してかゴロフキンに全く歯が立たずキャ
リア初の2回KO負け。そして、潔く引退を決断したのでした。
マーティロスヤンは世界王者には辿り着けなかったが、現役時代の
人気は世界王者と同格だった。これを書いてる本人も次の対戦相手
は誰なのかと楽しみにしていたことを思い出す。そんな選手だった。
洗練された華麗な選手よりもその無骨なまでの戦いぶりはファンを
惹きつけ魅了した。ただ時折基本に忠実な攻めをするかと思えば突
然どこから攻めていくのか予想の付かない戦法に切り替えたりと緊
張感漂うそんなファイターの選手だった。
関係者によれば試合が終わると一見寡黙ではあったが笑顔でなんで
も気さくに話しかけてくる性格だったという。ボクサー仲間にも親
しみ易い選手だったようだ。訃報を知った史上初の3階級4団体統
一王者テレンス・クロフォードを含めて他のスター選手達もSNS
を通じて哀悼の意を示した。
"バネス・マーティロスヤンよ安らかに"と・・・ 合掌
〈バネス・マーティロスヤンMEMO〉
本名:バネス・ノリコピッチ・マーティロスヤン
誕生日:1986年5月1日
出身地:アルメニア・アボヴャン(旧ソビエト連邦)
国籍:アメリカ合衆国
死没日:2025年11月23日(享年39歳)
対戦階級:Sウェルター級・ミドル級(1試合のみ)
スタンス:右・ボクサーファイター
身長/リーチ:182cm/178cm
プロ生涯戦績:41戦36勝(21KO)4敗1分
【プロ獲得王座】
NABF北米Sウェルター級王座(防衛❷→返上)
NABO北米Sウェルター級王座(防衛❷→返上)
WBAインターN・Sウェルター級王座(防衛⓪→返上)
WBOインターC・Sウェルター級王座(防衛❶→返上)
WBC・Sウェルター級シルバー王座(防衛❶→返上)
【アマ代表歴&戦績】
2004年アテネ五輪で米国代表ウェルター級出場(2回戦敗退)
130戦120勝10敗
《WBC世界ライト級王座決定戦》
ーundercardー
《IBF世界ライト級タイトルマッチ》
開催日:8月1日(日本時間2日)
開催地/会場:米国ネバダ州ラスベガス/ヴァージン・ホテルズ・
ラスベガス
WBCライト級2位
元WBA世界Sフェザー級王者
ラモン・ローチJr.(30=O/usa)
VS.
WBC同級1位
元WBC世界ライト級暫定王者
ウィリアム・セペダ(30=S/mex)
〈試合経過〉オープン・スコアリング採用
序盤、ローチJr.がスピードを活かして左フック、右ストレートと
的確にヒットさせる立ち上がりを見せる。サウスポーのセペダも接
近してボディーから左ストレートと攻勢を強めた。4回までの公開
採点は39ー37×2者/38ー38の2ー0でセペダのリード。
見た目も手数、有効打でセペダと映った。
中盤戦(5回〜8回)セペダの強烈な左ボディーアッパーが何度も
ローチJr.を捉える。ローチJr.もカウンターを返すものの、攻撃
は単発気味で連打を浴びてローチJr.は徐々に体力を削がれていく。
8回までの公開採点は77ー75×2者/78ー74の3ー0でセペ
ダがポイント差を広げた。セペダが圧倒。
後半〜終盤戦(9回〜12回)後がないローチJr.も手数を増やし
て右ストレート、フックと浴びせるもののセペダは効いた素振りを
見せず最後まで攻撃の手を緩めない中、ゴングとなった。
〈12回採点結果〉
117ー111(セペダ)
117ー111(セペダ)
118ー110(セペダ)
セペダが3ー0判定勝ちで空位となっていたWBC世界ライト級王
座の新王者となった。初めて正規王座を獲得したセペダは統一戦を
強く希望している。ターゲットは現WBA休養王者ジャーボンテイ
・デービス(米国🇺🇸)かもしくはIBF王者レイモンド・ムラタラ
(米国🇺🇸)の名を挙げている。果たして、どちらかのビッグマッチ
は実現となるのか・・・
ローチJr.は王座獲得失敗で2階級制覇ならず。
序盤の左右攻撃は良かったが、ボディーを貰ってからペースダウン
してしまった。これまで打たれ強さが自慢だったが対戦相手が悪か
ったようだ。ローチJr.は再起なるか・・・
(Photos by boxingnews24.com)
【両選手の戦績】
★ラモン・ローチJr./29戦25勝(10KO)2敗2分
★ウィリアム・セペダ/35戦34勝(27KO)1敗
ーundercardー
《IBF世界ライト級タイトルマッチ》
IBF世界ライト級王者
レイモンド・ムラタラ(29=O/usa)
VS.
元WBC世界Sフェザー級王者
ロブソン・コンセイサン(37=O/bra)
〈試合経過〉オープン・スコアリング採用
序盤、両者ともに慎重な様子見の展開で始まった。2回からムラタ
ラが距離を詰め鋭い左ジャブからコンビネーションで手数を増やし
た。コンセイサンは巧みなボディー攻めも芯を外す。ラウンドを重
ねると接近してアッパーなどでムラタラのペースが上回り始めた。
4回終了時の公開採点は40ー36/39ー37/39ー37の3ー
0とムラタラがリードした。
中盤(6回〜8回)ムラタラの左右猛攻にコンセイサンはサークリ
ングで決定打からは逃がれる。しかし、コンセイサンはラウンド毎
に手は出すものの反撃する場面がなくムラタラの圧倒に映った。
8回終了時の公開採点は79ー73×3者の3ー0とムラタラが大
きく差を広げた。結局、後半戦に突入してもムラタラが的確な左右
パンチを浴びせ、必死に粘るコンセイサンは反撃の場がないまま終
了ゴングとなった。
〈12回採点結果〉
119ー109(ムラタラ)
119ー109(ムラタラ)
118ー110(ムラタラ)
ムラタラが3ー0大差判定勝ちでIBF世界ライト級王座の2度目
防衛に成功した。当初はWBC世界ライト級王座決定戦のラモン・
ローチJr.VS.ウィリアム・セペダ戦の勝者との統一戦が囁かれて
いたものの、ムラタラは試合終了後のコメントではSライト級への
転向を仄めかした。果たして、その行方は・・・
コンセイサンは王座獲得失敗で2階級制覇ならず。
ここ10戦を4勝(2KO)4敗1分1NCとちょっと波に乗り切
れてない。果たして、再起成るか。
(Photos by boxingscene.com)
【両選手の戦績】
★レイモンド・ムラタラ/25戦25勝(17KO)無敗
★R・コンセイサン/26戦20勝(10KO)4敗1分1NC
《IBO世界Sライト級タイトルマッチ》
開催日:8月1日(日本時間2日)
開催地/会場:アイルランド・ダブリン/3アリーナ(旧The-O2)
IBO世界Sライト級王者
ピアース・オレアリー(26=O/irl)
VS.
WBC同級12位・IBO32位
マーク・チェンバレン(27=S/gbr)
〈試合経過〉
序盤、両者打ち気満々で始まった。2回サウスポーのチェンバレン
が左ストレートで王者オレアリーからダウンを奪うと3回にもアッ
パーで2度目のダウンを奪った。オレアリーは立ち上がって再開に
応じると地元声援を受けたオレアリーは奮起して反撃開始。
7回、オレアリーがボディーブローでチェンバレンからダウンを奪
い返す。しかし、オレアリーはチェンバレンの左右フック連打を浴
びて徐々に攻めが雑になってしまう。
迎えた10回、チェンバレンが猛ラッシュを仕掛け右ジャブでオレ
アリーをロープ際に追い込むと左右フック、左アッパー、左右連打。
オレアリーは手が出ず防戦一方となったところでレフェリーが試合
を止めた。
ーTKO・10回1分37秒ー
チェンバレンがIBO世界Sライト級王座獲得に成功。
マイナーながら王者となったチェンバレンはWBCの12位にもラ
ンキングされていることから、いずれはメジャー王座にも挑戦した
いところでしょう。メジャー王座挑戦にも注目したい。
オレアリーはIBO世界Sライト級王座の初防衛失敗。
無敗のオレアリーは地元アイルランドでかなり期待されていたが初
黒星とともに無念の王座陥落となった。オレアリーの再浮上に期待
したい。
(Photos by the-sun.com)
ダウン応酬もチェンバレンが最後に畳み掛ける一戦となったシー
ンをハイライトでどうぞ!(CMあり/8分25秒)
【両選手の戦績】
★ピアース・オレアリー/20戦19勝(11KO)1敗
★マーク・チェンバレン/20戦18勝(13KO)1敗1分
《ヘビー級ノンタイトル12回戦》
※尚、地域王座が懸けられる可能性もあります。
開催日:8月29日(日本時間30日)
開催地/会場:英国ロンドン/O2・アリーナ
WBA&WBOヘビー級1位・WBC&IBF3位
モーゼス・イタウマ(21=S/gbr)
VS.
WBOヘビー級2位・WBC&IBF4位・WBA7位
フィリップ・フルゴビッチ(34=O/cro)
若き超新星と五輪メダリストの激突!
〈モーゼス・イタウマ〉
今回組まれたイタウマの一戦は世界初挑戦に向けて実力者を相手
にしたテストマッチのようです。アマチュア時代はオリンピック出
場経験はないものの2022年度の世界ユース選手権Sヘビー級優
勝。他には欧州スクール・ジュニア・ユース選手権ヘビー級優勝な
ど活躍している。アマ戦績は24戦全勝(11RSC)無敗と試合
数は少ないながらもプロ関係者からは技術とパワーを兼ね備えた逸
材だと早くから注目されていたという。プロ転向後は元王者など実
力者とのスパーリングで徹底的に鍛えられた選手だとされている。
2023年1月28日、4回戦をマルセル・ボーデ(チェコ🇨🇿)と
戦いなんと初回23秒の衝撃KO勝ちデビューを飾った。
その後はプロの水にも慣れ評判通りの連勝街道まっしぐら。
9戦目には早くもWBOインターC・ヘビー級王座を獲得した。
10戦目の2024年7月27日、WBOインターC王座の防衛戦
を元世界戦経験者のマリウシュ・ワフ(ポーランド🇵🇱)と戦い問題
にせず僅か2回連打で畳み掛けるTKO勝ちで退け初防衛に成功。
この一戦でたちまち世界へも知名度を広げることとなった。
その後も昨年8月16日、元WBC世界同級暫定王者で数々の実力
者と戦ってきたベテランのディリアン・ホワイト(英国🇬🇧)を僅か
初回にTKO勝ち。直近戦は今年3月28日、WBO世界同級10
位ジャーメイン・フランクリンJr.(米国🇺🇸)を5回TKOに下す
など益々期待が高まっている。今回勝利すればIBF団体から対戦
指令が出されている1位のフランク・サンチェス(キューバ🇨🇺)と
IBF世界ヘビー級王座決定戦で戦うことになる。
直近戦でイタウマがフランクリンJr.に5回TKO勝ちしたシー
ンをどうぞ!(CMあり/8分06秒)
〈フィリップ・フルゴビッチ〉
フルゴビッチもアマチュア時代の十代から有望視されていた。
2010年度のAIBA世界ユース選手権出場でSヘビー級優勝。
2016年度リオ五輪ではクロアチア代表でSヘビー級に出場して
銅メダルを獲得。その実績を引っ提げプロ転向を表明した。
2017年9月30日、ヘビー級6回戦をラファエル・ザンブラー
ノ・ラブ(ブラジル🇧🇷)と対戦して僅か初回1分40秒の速攻TK
O勝ちデビューを飾った。その後も連勝を続け14戦全勝(12K
O)無敗でIBFランキング3位に躍進。
2022年8月20日、IBF世界ヘビー級挑戦者決定戦をアジア
人唯一の世界ランカーでIBF15位の張 志磊(中国🇨🇳)と対戦
して激戦の末、12回3ー0判定勝ちを収めて挑戦権獲得。
同じオリンピアンの北京五輪Sヘビー級銀メダリストに打ち勝った
ことで高評価され名を上げた。そして、当時3団体統一王者のオレク
サンドル・ウシク(ウクライナ🇺🇦)への挑戦権を獲得した。
しかし、当時のウシクは1年間の対戦プランが既に決まっていた為、
出番は巡ってこなかった。その後ようやくIBF世界ヘビー級暫定
王座決定戦に恵まれた。2024年6月1日、暫定王座決定戦を元
WBA世界同級王者で強打者のダニエル・デュボア(英国🇬🇧)と戦
い試合は序盤からスリルある展開だったが8回デュボアの連打でフ
ルゴビッチは両目上の出血が酷くドクターチェック。結果続行は危
険と判断され試合終了。フルゴビッチはTKO負けの初黒星となっ
た。以降は元WBO世界同級暫定王者のジョー・ジョイス(英国🇬🇧
)に10回判定勝ちするなど再起3連勝中。直近戦は今年5月16
日、元世界ランカーでベテランのデイビット・アレン(英国🇬🇧)に
3回TKO勝ちを収めている。
フルゴビッチが直近のアレン戦で3回TKO勝ちしたシーンをハ
イライトでどうぞ!(8分14秒)
〈ちょい後記!〉
イタウマはこれまで若さの勢いだけで勝利していた面もあったが
ここ2戦はパワーに加えテクニックも身につけてきた。右ジャブを
フェイントに鋭い左ストレートが唸る。そして、何より接近しての
回転力あるハンドパワーが持ち味で武器だ。現在10連続KO中も
不安は6ラウンド以上戦ったことがなく世界初挑戦を前に持久力(
スタミナ)が試されることになるでしょう。
一方、フルゴビッチは唯一の黒星から再起戦でいきなり元WBO世
界同級暫定王者と対戦して判定で下すなど再起3連勝中。それまで
の技巧と強打は取り戻したようだ。198センチの体格を活かして
体重を乗せた打ち下ろす左右フックは強烈だ。ただ今回ヘビー級で
もスピードある若い相手に対応出来るかが課題でしょうか。
しかし、やっぱりイタウマが指示の脇目も振らず速攻で仕掛けてい
くような気もしますが・・・
【両選手の戦績】
★モーゼス・イタウマ/14戦14勝(12KO)無敗
★フィリップ・フルゴビッチ/21戦20勝(15KO)1敗
《ミドル級リミット契約12回戦》
開催日:7月26日(日曜日)
開催地/会場:豪州ニューサウスウェールズ州シドニー/アフター
ペイ・アリーナ
元WBA(S)・WBC・IBF世界ウェルター級王者
エロール・スペンスJr.(36=S/usa)
VS.
元WBO世界Sウェルター級王者
ティム・チュー(31=O/aus)
〈アンダーカード2試合が中止!〉
セミで予定されていたSミドル級10回戦の元王者ジャーモル・
チャーロ(米国🇺🇸)VS.コーエン・マズディアー(豪州🇦🇺)戦はチ
ャーロに過去暴行事件や自動車での交通違反があったとして豪州側
から入国ビザが発給されず中止。またセミセミのWBA世界Sフェ
ザー級挑戦者決定戦の元王者スティーブン・フルトン(米国🇺🇸)VS
.リアム・ウィルソン(豪州🇦🇺)戦はフルトンの大幅な体重超過で
中止となった。
ティム・チューがスペンスJr.に圧勝!
〈試合経過〉
序盤戦はサウスポーのスペンスが軽いジャブを突き様子見。チュー
はガードを高く上げ前進。左フックから鋭い右フックがスペンスの
顎にクリーンヒット。スペンスは膝が大きく揺れいきなりピンチを
迎える波乱のスタートとなった。しかし、スペンスは回復を図りジ
ャブ、左ストレートと手数を増やして応戦。ポイントを奪い返した。
5回、後手気味のスペンスも手数でチューの勢いを食い止めにかか
る。チューはガードを固めてやや手数を減らした。スペンスが競り
勝ったラウンド。それでもラウンドを重ねるとチューが再び圧力を
かけ突進して左右で攻勢を強めていく。チューが圧倒的手数と有効
打で10回までポイント連取したように映った。
11回、ようやくスペンスが最後の力を振り絞り、揉み合いの展開
から大振りの左がヒット。このラウンドで意地を見せた。
最終回、もうポイントで大差をつけているチューは無理な畳み掛け
を避けジャブ、ワンツーを的確にヒットさせスペンスを圧倒したま
ま終了ゴングを聞いた。
〈12回採点結果〉
118ー110(チュー)
117ー111(チュー)
117ー111(チュー)
チューが3ー0大差判定勝ち。
階級下も元大物実力者に勝利したごとで自信に繋がっただろうか。
正直なところチューの地元でも不利だと思っていたが覆して見せた。
チューは2024年3月30日、保持していたWBO世界Sウェル
ター級王座の3度目防衛戦とWBC世界Sウェルター級王座決定戦
でセバスチャン・フンドラ(米国🇺🇸)と対戦して12回1ー2判定
負け。WBO王座防衛及びWBC王座獲得に失敗して無冠どなった。
その後、IBF王者のバフラム・ムルタザリエフ(ロシア🇷🇺)に挑戦
も4回TKO負け。次にWBC王者セバスチャン・フンドラとの再
戦にも7回TKO負けするなど限界説も囁かれた。
その後、再起に成功すると2戦目でWBOインターN・ミドル級王座
決定戦で王座を獲得してミドル級に転向していた。しかし、ミドル
級で2戦目も識者からは強打不足と体格面で厳しくなると指摘され
ていた。果たして、チューはこのままミドル級で戦うのか、それと
もSウェルター級に戻すのか模索中のようだ。
元3団体世界ウェルター級統一王者のスペンスJr.は以前のスピー
ド感は消え失せ2敗目を喫した。2023年7月29日、当時のW
BO世界ウェルター級王者テレンス・クロフォード(米国🇺🇸)との
4団体統一戦の大一番で9回TKO負けで統一失敗、3団体王座か
ら陥落して無冠となっていた。それ以来3年間の空白はあまりにも
長く体重も増え、いきなりのミドル級では動きにも精彩を欠いてい
た。どうやらスペンスJr.は勝利したとしても今回のリングでグロ
ーブを吊るす覚悟だったようだ。そして、試合終了後には周りの関
係者やファンを前に感謝を述べて最後に引退の言葉を口にした。
(Photos by boxingnews24.com)
それでは無冠戦ながらチューがスペンスJr.に圧倒したシーンを
ハイライトでどうぞ!(CMあり/3分06秒)
※途中消除の場合ありです。
【両選手の戦績】
★エロール・スペンスJr./30戦28勝(22KO)2敗
★ティム・チュー/30戦27勝(18KO)3敗
《ヘビー級ノンタイトル12回戦》
ーundercardー
《WBO世界Sミドル級TM》
《IBF世界Sウェルター級TM》
開催日:7月25(日本時間26日)
開催地/会場:サウジアラビア・ジッダ/ジッダ・スーパードーム
元3団体世界ヘビー級統一王者
アンソニー・ジョシュア(36=O/gbr)
VS.
元NABA北米ヘビー級王者
クリスティアン・プレンガ(35=O/alb)
〈試合経過〉
初回、開始早々プレンガの左右フックから右アッパーでジョシュア
は早くもダウン。立ち上がってカウント8で再開するとプレンガの
追撃にジョシュアはクリンチで逃げる。再びプレンガは圧力をかけ
右を浴びせるとジョシュアはバランスを崩し更に右ヒットでジョシ
ュアは右手を着く2度目のダウン。ここはゴングに救われた。
迎えた2回、ジョシュアはジャブを軸に立て直しを図る。2分過ぎ
ジョシュアがジャブからワンツー連打。後退気味のプレンガに追撃
右、左フックを浴びせるとプレンガはロープ下にダウン。プレンガ
は立ち上がれずカウントアウト。ジョシュアが執念の逆転勝ち。
ーKO・2回2分43秒ー
ジョシュアが2度のダウンから逆転KO勝ち。
元々顎の弱いジョシュアは相手のパンチが浅かったせいか回復も早
かった。試合が長引けばスタミナも心配されたが、冷静な試合運び
で一気に畳み掛けた。ジョシュアは2024年9月21日、王者返
り咲きを狙ってIBF王者のダニエル・デュボア(英国🇬🇧)に挑戦
したが、まさかの5回KO負け。そこから2連勝とした。
今後は前回自らの体調不良で中止となった元3団体世界ヘビー級統
一王者タイソン・フューリー(英国🇬🇧)と仕切り直しての大一番が
11月に控える。
プレンガは先制ダウンを奪ったが逆転KO負け。
強打者ぶりは発揮したが、不意に貰ったジャブで崩れてしまった。
要するにもう少しディフェンス技術が備わっていればもっと互角に
対抗できたでしょうか。この先、防御面を進化させればトップ戦線
に加わわれるでしょう。
(ジョシュアが開始早々まさかのダウン)
(2回にダウン奪い返したジョシュア)
(Photos by boxingnews24.com)
ダウン応酬の末、ジョシュアが逆転KO勝ちしたスリリングなシ
ーンをハイライトでどうぞ!(CMあり/3分11秒)
※途中消除の場合ありです。
【両選手の戦績】
★アンソニー・ジョシュア/34戦30勝(27KO)4敗
★クリスティアン・プレンガ/22戦20勝(20KO)2敗
▼ U・C
《WBO世界Sミドル級TM》
王者ハムザ・シェラーズ(27=O/gbr🇬🇧)
VS.
7位シモン・ザッヘンフーバー(28=S/ger🇩🇪)
〈12回採点結果〉
114ー114(ドロー)
115ー113(シェラーズ)
116ー112(シェラーズ)
シェラーズが2ー0判定勝ちでWBO世界Sミドル級王座の初防衛
成功。強打者のシェラーズは明らかに苦戦だった。次戦はもっと明
確に勝ちたいところでしょう。
世界初挑戦のザッヘンフーバーは王座獲得失敗。
評価は高かったものの、もう一歩及ばなかった。
【両選手の戦績】
★ハムザ・シェラーズ/25戦24勝(19KO)1分無敗
★シモン・ザッヘンフーバー/31戦29勝(18KO)2敗
▼ U・C
《IBF世界Sウェルター級TM》
王者ジョシュ・ケリー(32=O/gbr🇬🇧)
VS.
4位カオイミン・アジャルコ(29=O/irl🇮🇪)
〈12回採点結果〉
114ー113(ケリー)
115ー112(ケリー)
115ー112(ケリー)
ケリーが3ー0判定勝ちでIBF世界Sウェルター級王座の初防衛
成功。ケリーは出入り激しい場面で鼻柱を複雑骨折したようで完治
には時間がかかりそうだ。
無敗で初挑戦したアジャルコは王座獲得失敗。
初黒星も点差以上に善戦した印象。
【両選手の戦績】
★ジョシュ・ケリー/21戦19勝(9KO)1敗1分
★カオイミン・アジャルコ/19戦18勝(7KO)1敗
《ヘビー級12回戦》
開催日:7月24日(金曜日)
開催地/会場:タイ国チョンブリー県パッタヤー/マックス・ムエ
タイ・スタジアム
元3団体世界ヘビー級統一王者
タイソン・フューリー(37=O/gbr)
VS.
元WBCインターNヘビー級王者
マリウシュ・ワフ(46=O/pol)
〈試合経過〉
序盤戦、フューリーが軽快なフットワークからスイッチを織り交ぜ
ながらワフをコントロール。フューリーのハンドスピードは健在で
ジャブを連射するなど終始ワフをリードして始まった。46歳と超
ベテランのワフも時折り踏み込んで重い右ストレートを繰り出すも
ののパンチが届かない。
3回〜4回とフューリーがワフの動きを見切ってジャブ、ボディー
と叩き余裕の攻めを見せる。もうフューリーの独壇場に映った。
5回〜6回とフューリーのアッパー連打猛攻でワフのスタミナ消耗
は明らか。フューリーのスピードについていけずワフは足も止まる。
7回、ワフはフューリーの多彩なコンビネーションブローに晒され
ワンサイド展開。インターバルではワフ陣営が8回開始ゴング直前
レフェリーに棄権を申し出て試合終了となった。
ーTKO・7回3分棄権終了ー
フューリーが圧倒して再起2連勝とした。
フューリーはWBC世界ヘビー級王者時代の2024年5月18日、
3団体統一王者のオレクサンドル・ウシク(ウクライナ🇺🇦)と4団
体統一戦を争い9回にはロープ際の打ち合いでウシクの左フックを
浴びてフューリーはロープダウンを喫した。終盤フューリーは巻き
返しを見せたがウシクに巧く躱され終了。結果は12回1ー2判定
負けで統一に失敗、WBC王座から陥落して無冠となった。
同年12月21日の再戦ではウシクに手の内を知られて12回0ー
3判定負けで王座返り咲きは成らなかった。以降リングから遠ざか
っていたが今年4月11日、1年4カ月ぶりの復帰戦をWBA世界
6位のアルスランベク・マフムドフ(ロシア🇷🇺)と戦い12回3ー
0(12P×2者/10P)の大差判定勝ちで再起を飾った。
今回本来なら元3団体統一王者アンソニー・ジョシュア(英国🇬🇧)
との対戦予定だったが、ジョシュアのコンディション不良で中止と
なり元世界ランカーのワフとの調整試合の格好となった。フューリ
ー次戦11月予定のジョシュアとの仕切り直し正式決定か・・・
ワフはタフさは覗かせたが力及ばず連敗となった。
一時は202センチの巨体を活かして27連勝するなど世界ランキ
ング上位にランクインして注目された。2012年11月10日、
当時の3団体世界ヘビー級統一王者ウラジミール・クリチコ(ウク
ライナ🇺🇦)に挑戦したものの全盛期だったクリチコには歯が立たず
12回0ー3(13P×2者/10P)の大差判定負け。その後再起
4連勝したものの肝心な挑戦者決定戦でストップ負けするなど世界
挑戦には辿り着けず、以降も勝ったり負けたりで低迷。結局、最近
は若手の"当て馬“的存在に成り下がった。それにここ10試合を3
勝7敗と昔の面影はない。
(Photos by boxingnews24.com)
フューリーのまるでスパーリングのようだった試合をハイライト
でどうぞ!(CMあり/5分10秒)
【両選手の戦績】
★タイソン・フューリー/39戦36勝(25KO)2敗1分
★マリウシュ・ワフ/53戦39勝(20KO)14敗
昭和時代を足早に駆け抜けたたこ八郎さん!
この時期、♪夏がく〜れば思い出す〜遥かな尾瀬〜♪と尾瀬ではな
くてコメディアンで俳優だったたこ八郎さんを想い出します。
1982年10月に放送開始された「笑っていいとも!」(フジテ
レビ)の初期に出演していた頃、何を言い出すか分からないキャラ
クターの持ち主で笑いを誘い誰からも愛され人気者でした。
ブログにご訪問頂いた皆さんも名前は聞いたことがあっても、実際
どんな人だったか知らない人達が殆んどでしょう。
「えっ!たこ八郎って誰?」という方はちょっと長いですがどうぞ
最後までお付き合い下さい。
(笑っていいとも出演時のたこ八郎さん)
タレントとして活躍していたたこ八郎さんは1985年(昭和60
年)7月24日、神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場で朝から友人や
スタッフと飲酒しながら海に入り心臓麻痺を起こして人気絶頂期に
44歳の若さで帰らぬ人となったのでした。今年で42回忌ですが
一般的には33回忌で「弔い上げ」とすることから心の中での法要
になっているかもしれません。この世にいれば今年で86歳を迎え
る筈でした。
たこさんの芸能界入り前は元プロボクサーで世界戦には恵まれなか
ったものの、第13代日本フライ級王者として活躍した選手だった
のです。そして、現役引退後は喋り方が東北訛りで吃音がちだった
ことから巷ではパンチドランカーなどと陰口を叩かれながらもたこ
さんはボクサー出身のコメディアン兼俳優として草分け的存在でも
ありました。
(ボクサー現役時代の河童頭だった頃)
(東映の人気任侠映画出演時のたこさん)
後楽園ホールを沸かせたボクサー時代!
時は1960年代初頭の後楽園ホールに河童が現れたのです。
「うわ~ッ、カッパだ~ッ、カッパ~ッ!」と立錐の余地もなく埋
ったホールの観衆は度肝を抜かされ失笑から大爆笑に変わっていき
ました。その正体とは当時「河童の清作」こと斎藤 清作で頭のて
っぺんを剃りあげ颯爽とリングに登場してくるのでした。
戦いぶりはというと、両手を下げてノーガードで打たせるだけ打た
せて相手が打ち疲れて怯んだところで猛反撃して終わってみると相
手は打ちのめされていたのです。この突拍子もないパフォーマンス
の持ち主はのちにコメディアンや俳優兼タレントとして人気者とな
った「タッ、タ~ッコで~す!」のたこ八郎なのでした。
ボクサー時代の頃から人を笑わせる素質は十分にあったようです。
しかし、河童頭で登場したのには理由があったのです。
彼は小学校低学年時(何年生かは不明)に田んぼで泥んこ遊びをし
ていたとき友達が投げた泥んこ玉が左目にあたり、それが原因で左
目は殆ど視力をなくしていたのでした。たこさんによれば親に知ら
れると叱られると思い何もなかったかのように過ごしたという。
人を笑わせるというよりも、頭のてっぺんを丸く剃って対戦相手の
気をそらせて目の悪さを隠すための作戦と暑さよけもあったと、後
に語っています。では何故、目が悪くてプロボクサーになれたのか
と言うと、プロテストの視力検査の時に前もって視力表を丸暗記し
てパスしたのだといいます。元々、斉藤清作は宮城県私立仙台育英
学園高等学校のボクシング部2年生時にアマチュアの県大会(高校
生の部)モスキート級で優勝の経験を持ち、技術的にはボクサーと
しての下地はあったのでした。すなわち、高校時代のボクシング部
でも左目の不自由を隠し通したことになります。そして、高校を卒
業すると上京して職を転々としながら過ごします。
ただ、ボクサーを目指しての上京ではなく、この頃人を笑わせるこ
とが好きで実際はコメディアンを夢見ての上京だったといいます。
そこで、何番目かの職業で映画のフィルム管理会社に勤めていれば
芸能関係者に会えるだろうというたこさんらしい理由でコメディア
ン目指して就職したのでした。仕事はフィルムを自転車で映画館に
運ぶ仕事だった。ところがある日、仕事が終わって帰宅する途中に
笹崎ジム(目黒区)の看板が目に飛び込んできて血が騒ぎ、窓の
外から練習風景を覗いていると掃除をしていたジム会長の奥さんら
しき女性に「ボクシング好きなのかい!」とジム内に招き入れられ
ると練習生を食い入るように長い時間眺めていたといいます。
ボクシングから遠退いていたが、時間が経つと雰囲気に誘われるよ
うに入門を決意したのでした。ジムには後に日本人初の2階級世界
制覇王者となるファイティング原田(原田政彦)も所属していた。
斉藤清作は練習を重ねて難なくプロテストに合格するといよいよ後
楽園ホールのリングに立つことになります。
1960年9月5日、吉田 貞吉(興伸)と戦うと、昔取った杵柄
で4回判定勝ちを収めてプロデビューを果たす。
その後は素質も開花してめきめきと頭角をあらわし東日本新人王戦
に出場すると、準決勝まで勝ち進んだのでした。
しかし、この年の秋にはまさかの事態が起きてしまいます。
新人王戦はトーナメント方式で行われる為、別グループから勝ち上
がってきたファイティング原田とぶつかり同門対決となってしまっ
たのです。この前代未聞の事態にジムはもとより主催する東日本ボ
クシング協会も前例がなく頭を抱えてしまいます。
当時、ボクシング界としての身内同門対決は時代背景からして罷(
まか)りならないものだったといいます。どちらかが身を引くしか
なかったのです。結局、斉藤清作に怪我が長引いていたこともあっ
て、ジム側との話し合いで斉藤清作が辞退することになります。
※(昔からJBCでの同門対決禁止の規定はなく、現在は新人王戦
などでは数試合の対戦例があります)
そして、結果的にはファイティング原田が準決勝、決勝を勝ち抜き
見事に東日本新人王に輝いたのでした。波に乗ってついには全日本
新人王も獲得する。
その後、辞退した斉藤清作は心情からして試合に出たい気持ちはや
まやまだったはずだが、ファイティング原田の前では一切不満を口
にする事はなく、かえって切磋琢磨して友情を深めたといいます。
そんな出来事はなかったかのように斉藤清作は戦い続けた。
1960年9月のデビューから34戦29勝(10KO)4敗1分
の戦績を積み上げニックネームも「河童の清作」と呼ばれるように
なって人気を高めていきました。
1962年12月28日(昭和37年)打たせて打つ戦法のために
怪我も多く35戦目にしてやっとの思いで日本フライ級王座への初
挑戦となった。当時世界戦経験者で日本フライ級王者の野口 恭(
野口)に挑戦すると大方不利の予想を覆し壮絶な打撃戦を制して1
0回判定勝ちを収め見事王座を手にしたのでした。
たこさんのボクサー時代を追ったドキュメント風の映像が残され
ていました。貴重な映像をどうぞ!(CMあり/4分19秒)
1963年2月19日、日本フライ級王座を保持したままノンタイ
トル10回戦でこれに勝てば世界挑戦も約束される試合(挑戦者決
定戦)を、後のWBA世界フライ級王者大場 政夫(帝拳)とボク
シング史に残る大激闘を演じることになる世界ランカーのチャチャ
イ・チオノイ(タイ)と戦うとキャリア初の8回TKO負けを喫し
て世界挑戦の夢は絶たれてしまう。
その後、1963年4月14日、ビリー・ブラウン(比国)とノン
タイトル10回戦で戦い判定勝ちして再起を飾った。
現在ではあまり例のない試合間隔1カ月ちょっとの1963年5月
17日、前王者だった野口 恭との再戦で5回TKO勝ちの返り討
ちで日本フライ級王座の初防衛に成功した。
1963年11月14日、2度目の防衛戦では堤 五郎(興伸)と
戦って打ち勝ち10回判定で退ける。
1964年(昭和39年)4月2日、3度目の防衛戦では当時実力
者とされた飯田 健一(三鷹)の挑戦を受け対戦すると、壮絶な打
撃戦の末に10回判定負けを喫して王座から陥落してしまう。
結局、この試合を最後に体力の限界を悟って現役引退となったので
した。そして、かねてからの夢であり念願だったコメディアンを目
指していくことになります。
無二の親友ファイティング原田氏の回想!
元2階級世界制覇王者で同門の親友だったファイティング原田氏
は雑誌インタビューで「試合での展開はたいてい対戦相手に打たせ
るだけ打たせておいて、耳元で(効いてない、効いてな~い!)と
囁きながら、相手選手が打ち疲れたところで猛反撃して試合が終わ
ってみると、相手選手は打ちのめされていました。打っても、打っ
ても倒れないで効いた素振りを見せないからさぞかし対戦相手も斉
藤は怖かったと思いますよ」と当時の斉藤清作の戦いぶりを懐しく
振り返っている。
また、たこ八郎自身もボクサーになった経緯を人気絶頂期にテレビ
番組で語っていた。「僕はね、ほんとのこと言うとボクサーじゃな
くて元々コメディアン俳優になりたくて宮城から上京したんですよ。
まぁ、たまたま途中からジムに入門して取りあえずボクシングで名
前を売ってからという気持ちに変わったんですけど」「現役時代に
は同郷出身で憧れのコメディアンスターだった由利 徹師匠のとこ
ろに弟子入りしようとして自宅に伺ったら(チャピオンになったら
来なさい。そうしたら弟子にしてやるよ!)と言われて死に物狂い
で練習したからね。ベルト巻かなきゃ次の夢に向かって行けないか
ら必死だったんです。だから、チャンピオンになれたんだけどね」
と本人も当時を懐かしむように語っていた。(徹子の部屋/TV朝日)
しかし、師匠の由利 徹は同じ徹子の部屋で「たこにチャンピオン
になったら来なさい、と言ったのは断る口実だったんですよ。まさ
か王者になるとは微塵も思ってなかったしね。でも、成し遂げる根
性があったから弟子にしたんですよ!」と明かしていた。
脇役舞台修行から陽の目を見た!
斉藤清作は日本王者に登りつめてから「河童の清作」として人気
者になり、抱いていた「まず、ボクシングで名を売ってからコメデ
ィアン修行」という思いには辿り着いたのでした。
ボクサーを引退すると、憧れの由利 徹に弟子入りが許され早速、由
利宅に住み込んでの出発だった。そこから師匠の舞台公演などで脇
役の下積み生活が始まり徹底的に演技を仕込まれていく。しかし、
由利宅ではパンチドランカーの症状もあって何度か寝小便を漏らし
て居辛くなりその後は友人宅に身を寄せたといいます。(笑)
ボクサー時代の「河童の清作」から芸名「たこ八郎」へと役者稼業
に変わると売れない時代も長く続いたのでした。
そんな中、住んでいた近くの新宿ゴールデン街には毎晩のようにど
こかの酒場にいたという。修行の身でありながら毎晩酒を呑めた理
由にはツケを許されたからだった。時には東北訛りをからかわれて
酔った勢いで暴力沙汰を起こしても酒場の出入り禁止などにはなら
ずかえって親しみを持たれたと当時の居酒屋店主は語っている。
また新宿ゴールデン街の他のパーやスナックの店主はたこさん目当
てにくる客も多くかえって繁盛に貢献してくれたことでツケは請求
しないことに決めていたと雑誌などで語られている。これもたこさ
んの憎めない人柄からでしょう。この頃、同じ店で飲んでいた客と
些細なことから喧嘩となり右耳を噛みちぎられ三分の一を欠損して
いる。そんな酒浸りの生活ながらも師匠の人情喜劇の舞台ではあえ
て東北訛りのセリフを与えられ笑いを取ると次第にクチコミととも
にメディアでも紹介され評判となった。そして、役者ぶりも板に付
くと徐々に仕事も増え映画、テレビへと活躍の場が広がっていくの
でした。
1970年、高倉 健主演のシリーズ映画『新・網走番外地』(東
映)にチンピラ役で出演。この出演が切っ掛けでシリーズ4作に出
演してチンピラ役をやらせれば右に出る者がいないと言われるほど
嵌(はま)り役となり、その後も東映の任侠映画出演は続いた。
1973年、小川 真由美主演の探偵ドラマ『アイフル大作戦』(
TBS)へのチョイ役でテレビ界へも進出。
1977年、高倉 健主演の大ヒット映画『幸福の黄色いハンカチ』
(松竹)では武田 鉄矢・高倉 健に因縁をつけるチンピラ役で僅か
数分の出演ながらも迫真の演技を披露した。
特に、大ブレイクしたのは1978年のTBSテレビ系列で放送さ
れたコメディドラマ『ム~一族』への出演(憎めないチンピラの八
郎役)で東北なまりのセリフで茶の間を笑わせる演技で“たこ八郎”
の名が全国的に知られるようになり一躍人気者になったのでした。
80年代に入ってもその風貌と独特な語り口が重宝がられテレビ、
映画と数多く出演しています。また、芸名「たこ八郎」の由来はと
いうと足繁く通った行きつけの居酒屋「たこ久」から貰ったと後に
語っていました。
そして、人気絶頂期の1985年(昭和60年)7月24日の午前
中、神奈川県真鶴町の海水浴場で友人スタッフと飲酒しながら泳い
でいたところで心臓麻痺をおこして突然の死去。
この訃報はレギュラー出演していた『笑っていいとも!』(フジテ
レビ)の番組で司会者のタモリによって生放送中にいち早く全国に
伝えられていました。その日巷(ちまた)では「え~っ、たこちゃ
ん死んじゃったんだ!」とその訃報に日本中が悲しんだのでした。
葬儀では葬儀委員長を赤塚 不二夫(漫画家)が務めていた。
弔問に訪れたタモリは哀しみの中「たこが海で死んだ。なにも悲し
いことはない!」と笑いを盛り込む弔辞を述べ死を悼んだ。
ワイドショー番組の葬儀模様では師匠だった由利 徹が「あの、た
こ野郎!俺より先に逝きやがって、なんてことするんだ。うぅぅ~」
と嗚咽しながらインタビューに答えています。
亡くなる前年の84年にはNHK総合の銀河テレビ小説でたこ八郎
の半生を描いた自伝的ドラマ『迷惑かけてありがとう』(たこ八郎
役柄本 明)を自らの座右の銘がタイトルとなって6月4日から6
月29日まで放送され大好評を得て益々人気を高めたのでした。
また、この時期はテレビコマーシャルでもサントリー、金鳥マット、
エースコック、宝酒造、オートバックスと引っ張りだこだったので
す。亡くなって5年経った1990年3月5日にはTBSテレビ系
列の2時間単発ドラマ(月曜ドラマスペシャル)で後半生を描いた
『昭和のチャンプ たこ八郎物語』が放送され、斉藤清作(たこ八
郎)役を片岡 鶴太郎が演じ、同門のファイティング原田役を元W
BA世界Lフライ級王者でタレントに転身して人気者となったトカ
ちゃんこと渡嘉敷 勝男が演じ高視聴率をマークして話題となりま
した。そして、この年全日本テレビ制作社連盟が毎年主催するテレ
ビ放送の優れた作品を選ぶATP賞の「優秀賞」を受賞しています。
これはDVDなど発売されてないようでユーチューブで小分けなが
ら視聴できます。是非、ご覧下さい。
河童の清作として活躍していたボクサー時代はちょうどアジア初
の東京オリンピック(1964年)を控えていて、ビル建設や道路
整備工事、新幹線工事の建設ラッシュで「オリンピック景気」と呼
ばれていた時代でもありました。当時の斎藤清作の試合映像をみる
と後楽園ホールは今以上に盛り上がり超満員の観客で埋まってその
型破りな戦い振りと、奇抜な姿に人気があったということです。
そして、ボクサーの憧れでもある後楽園ホールが名勝負・名選手を
生んで日本の聖地として「ボクシングの殿堂」と呼ばれるようにな
ったのもこの時代だったようです。
【たこ八郎 MEMO】
本名:斉藤 清作
出身地:宮城県仙台市宮城野区新田
誕生日:1940年(昭和15年)11月23日
死没日:1985年(昭和60年)7月24日(享年44歳)
〈ボクサー時代〉
★リングネーム:斉藤清作
★通称:河童の清作
★身長/リーチ:158cm〜160cm(諸説あり)/不明
★戦績:43戦34勝(11KO)8敗1分
★獲得タイトル:第13代日本フライ級王座(防衛2度/1962
年12月28日~1964年4月2日)
★スタイル:右・ボクサータイプ(後にスイッチヒッター)
〈芸能界時代〉
★芸名:たこ八郎(太古八郎名義もあり)
★通称:たこちゃん
★キヤッチフレーズ:「タッ、ターッコで~す!」
★座右の銘:「迷惑かけて、ありがとう!」
〈日本フライ級王者時代〉1962年~1964年
たこさん、さすがに日本王者となってからの河童頭はなかったよ
うです。(定かではありませんが?)
〈幸福の黄色いハンカチ〉松竹・1977年
武田鉄矢、高倉健に絡むチンピラ役で出演。
僅か数分のチョイ役ながら迫真の演技でした。健さんに絡むシーン
を山田洋次監督から演技指導を受けるたこさん。
※左端は桃井かおり。
〈笑っていいとも!〉フジテレビ・1982年~2014年
番組がスタートした翌年からの初期にレギュラー出演していた。
オープニングでは「タッ、タ~ッコで~す!」といって登場して人
気者だった。
たこさんは、数え切れないほどのテレビ、映画、ラジオに出演し
て人を笑わせ楽しませ誰からも愛され昭和という時代を足早に駆け
抜けていったのでした。
〈たこ地蔵〉
たこ八郎さんが亡くなって、師匠だった由利 徹さん(コメディ
アン俳優=故人)を筆頭に親友だったタモリ、赤塚 不二夫(漫画
家=故人)、山本 晋也(映画監督)さんらが発起人となって建て
られたお地蔵さんが存在するのです。
お地蔵さんにはたこさんの座右の銘だった「めいわくかけて、あり
がとう。」の文字が刻まれていて命日にはたこさんファンだった人
々が全国から訪れる人気スポットとなっています。 合掌
所在地・東京都台東区下谷2ー10ー6「法昌寺」









































