《ローマン・ゴンサレス3階級制覇へ向けての調整試合》2月15日メキシコ・チアパス州/No.404 | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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     ロマゴン3階級制覇へ向けての調整試合!

《フライ級ノンタイトル10回戦》
日時:2月15日(日本時間16日)
開催地/会場:メキシコ・チアパス州タパチュラ/パレンケ・デ・ラ・フェリア・メソアメリカーナ


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    ローマン・ゴンサレスはWBA世界ミニマム級王座に就くと3度防衛して返上。次に、WBA世界ライトフライ級王座を獲得すると5度防衛してスーパー王者に認定された。しかし、この王座も今年1月14日に返上して3階級目を目指すこととなった。
この試合ノンタイトル戦とはいえ落とせない試合となる。
ファン・カントゥンの番狂わせを期待して会場は地元ファンで埋まった。


元WBA世界2階級制覇王者
ローマン・ゴンサレス(26=ニカラグア/帝拳)IMG_4850.png
VS.
元WBCユースSフライ級王者
ファン・カントゥン(年齢不明=メキシコ)
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〈試合経過〉
初回、カントゥンが勢いよく飛び出して左右フックを振り回す。しかし、ゴンサレスは落ちついて躱し逆に左ボディー、左右フックでロープに詰める。~有効打でゴンサレス優勢。

2回、またもやカントゥンが前進して左右フックで攻めるもゴンサレスがリング中央へと押しやり左フック、左ボディー、左右フックの猛攻。ここでカントゥンが腰を落としかけた。~有効打でゴンサレス優勢。

3回、ゴンサレスが左フック、右フック、左ボディーといよいよプレッシャーをかけ始めた。カントゥンは左フック出すも動き鈍りだす。~手数、有効打でゴンサレス優勢。

4回、カントゥンが左右フックで攻めるが、ゴンサレスは左フック、左アッパー、左ボディーでコーナーへ詰める。~手数、有効打でゴンサレス優勢。

5回、カントゥンが挽回を狙って勢いよく左右で攻めるも、ゴンサレスのワンツー、右アッパー、左右フックで再びコーナーへと詰められ左右連打を浴びる。~手数、有効打でゴンサレス優勢。

6回、ゴンサレスの左右連打でカントゥンが腰を落としかけ防戦一方になるとダウンとみなされカウントされる。再開すると、再び、ゴンサレスが左右フックから右ボディーでダウンを奪うとカントゥンは赤コーナーロープ下に崩れ落ちる。立ち上がったが、カウントアウトとなった。

ーTKO・6回1分01秒ー
ゴンサレスはノンタイトル戦ながら、危なげない試合運びの完勝で38連勝と延ばした。

【両選手の戦績】
★ローマン・ゴンサレス/38戦38勝(32KO)無敗
★ファン・カントゥン/30戦21勝(15KO)6敗3分


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〈後記〉
ゴンサレスは序盤にカントゥンのガンガン前に出てくる勢いに、落ちついたブロー捌きで徐々に自分の流れに引き寄せての完勝だった。
ノンタイトル戦とはいえ、負ければ沈んでしまいかねない試合。
現在、王座を返上して無冠とはいえモチベーションはしっかりと維持していたのはさすがゴンサレスと言ったところでした。

〈ローマン・ゴンサレスMEMO〉

ニックネームはチョコラティート(小さいチョコレートの意味)
つまり、ローマン“チョコラティート”ゴンサレスと呼ばれています。
ゴンサレスは12歳の頃、すでに「ニカラグアの天才少年」と呼ばれていた時期に母国の英雄アレクシス・アルゲリョ(2009年7月1日.57歳没)に手ほどきを受けたことで知られています。
アマチュアでは87勝無敗の無敵を誇り、その戦績を引っ提げ2005年7月1日、ラモン・ウルビナ(ニカラグア)戦で2回KO勝ちでプロデビューを飾っています。
プロになってもアルゲリョの指導は続き技術を伝授されたのでした。
このことから、アルゲリョ二世と呼ばれる“ゆえん”なのです。
14戦全勝(14KO)の戦績で2007年5月12日、日本の名門帝拳ジムとプロモート契約。
勿論、日本のリングにも6度登場してその強さをアピールしています。
その中で最初に王者となったのも異国の地、日本でした。
2008年9月15日、パシフィコ横浜で当時、7度防衛中の安定王者と言われていたWBA世界ミニマム級王者の新井田 豊(横浜光)へ世界初挑戦。
序盤から壮絶な打ち合いが続きゴンサレスが4回右フック、左アッパー、左右フックの怒涛の攻めで王者の右瞼が腫れあがりドクターチェックでストップがかかりレフェリーが試合を止めてのTKO勝ち。初挑戦で見事に王座獲得。
その後、3度防衛して返上。
そして、2010年10月24日、2階級目のWBA世界ライトフライ級暫定王座決定戦を両国国技館でフランシスコ・ロサス(メキシコ)と対戦すると2回左右強打で圧倒するKO勝ちで暫定ながら王座獲得。その後、正規王者に昇格した。
それからの活躍はファンの知るところ。
5度防衛に成功するとスーパー王者に認定されたものの、今年1月14日にこの王座も返上して3階級目を目指すこととなったのです。
今年4月6日に大田区総合体育館で行われるWBC世界フライ級王者八重樫 東(大橋)対オディロン・サレタ(メキシコ)の防衛戦に前座での出場(対戦相手はまだ未定)が決まっています。
この試合で王者の八重樫選手が3度目の防衛に成功すれば挑戦濃厚との情報です。

キューバの偉大なるもう1人のチョコレート!

ローマン・ゴンサレスはチョコラティート(小さいチョコレート)という甘~いニックネームですが、むか~し昔の時代にニックネームではなく実際にリングネームとして使っていた選手が実在していたのです。
その名はキッド・チョコレート(小型のチョコレート)という米国で大活躍したキューバの英雄と謳われた名選手です。
本名はエルヒオ・サルディーニャス・モンタルボ
ニックネームは米国に渡ってキューバン・ボンボン(キューバから来た砂糖菓子)とこれも甘~い呼び名が付けられました。
母国キューバでアマチュア戦績100戦全勝(86KO)と途轍もない戦績を引っ提げ、地元ハバナで1927年10月22日、ジョニー・クルズ(キューバ)と戦い6回判定勝ちデビューを飾ります。
1928年後半に9戦全勝(6KO)の戦績を持って18歳で米国ニューヨーク州へと渡ります。
その後、60戦57勝(32KO)2敗1分(キューバ時代を含む)のキャリアを積み上げたのです。
※(注)世界挑戦まで2年たらずでこれだけの試合数を残しのは、当時1ヵ月に2、3試合戦っていたからです。現在では到底考えられません。
1930年12月12日、NYSAC(ニューヨーク州公認=後にWBA傘下)世界フェザー級王者バトリング・バタリノ(米国)へ世界初挑戦も15回判定負けで王座獲得ならず。
1931年7月15日、NBA(後のWBA)世界Jライト級(現Sフェザー級)王者ベニー・バス(米国)へ2度目の世界挑戦をすると7回TKO勝ちで見事に王座を獲得。その後1度防衛。
1931年11月20日、2度目の防衛戦でトニー・カンソネリ(米国)の挑戦を受けて戦うと15回判定負けで王座から陥落してしまう。
1932年4月10日、再びNBA世界Jライト級王座をデビー・アバド(米国)と戦い15回判定勝ちで王座返り咲き。1度防衛すると、その後この階級の記録なし(返上か剥奪)
1932年10月13日にはNYSAC(ニューヨーク州公認)世界フェザー級王座&Jライト級王座決定戦をルー・フェルドマン(米国)と戦い12回KO勝ちで王座を獲得して2階級制覇を達成。※(注)この時代は2階級ダブルでタイトルが懸けられることもありました。
1933年12月25日、Jライト級王座の5度目の防衛戦でフランキー・クリック(米国)に7回TKO負けで王座から陥落。
1934年7月11日、もう一つのフェザー級3度目の防衛戦ではペティー・ヘイズ(米国)に判定負けして最後の砦の王座からも陥落。
無冠となったその後は母国キューバやベネズエラで転戦しながら王座返り咲きを狙っていたものの、なかなか世界戦に恵まれず格下の選手とグローブを交えることになります。
1937年8月19日ジョニー・デフォー(米国)戦に10回判定勝ちしたものの、これを最後に主戦場としていたニューヨーク州から母国キューバへ帰国となりました。
そして、1938年12月18日、地元ハバナでニッキー・ジェローム(キューバ)と戦い引き分けに終わると、これをもって現役を退いたのです。
生涯戦績は151戦135勝(51KO)10敗6分と素晴らしい戦績を残しての引退でした。

〈キッド・チョコレートMEMO〉
本名:エルヒオ・サルディーニャス・モンタルボ
ニックネーム:キューバン・ボンボン(キューバの砂糖菓子)
生年月日:1910年1月6日生まれ
出身地:キューバ・ハバナ市セロ地区
身長:168cm
リーチ:165cm
スタイル:右・ボクサーファイター
没日:1988年8月8日(享年78歳)

〈ボクシング戦績〉
★アマチュア:100戦全勝(86KO・RSC)
★プロ:151戦135勝(51KO)10敗6分
〈タイトル〉
NBA(現WBA)世界Jライト級(現Sフェザー級)王座2度防衛。
NYSAC(ニューヨーク州アスレチック・コミッション公認)世界Jライト級王座4度防衛。
NYSAC(ニューヨーク州公認)世界フェザー級王座2度防衛。
チョコレートのボクシングスタイルはオーソドックスで軽やかなフットワークから鋭い左ジャブを繰り出しキレのある左右で攻める極めてコンビネーションブローに優れた選手だったといいます。
そして、彼の戦い振りと技術には、後にアメリカの伝説的でボクシング史上最高のボクサーと謳われ拳聖と呼ばれたシュガー・レイ・ロビンソン(1940年代半ば~1960年代前半まで活躍)でさえ彼を絶賛し褒め称えたと言われています。

引退したその後は、国営のスポーツ協会で若い選手達の指導者として従事しながら余生を送っていたものの、キューバ革命(1953年7月~1959年1月)以降のカストロ社会主義政権下では敵対国となったアメリカで長い間プロ活動をしていたことを理由に資本主義者のレッテルを貼られ指導者としての職を解かれるなど弾圧を受け、不遇を余儀なくされたといいます。
今でこそ、アメリカでキューバ人選手が活躍していますが、キッド・チョコレートはアメリカでキューバ人として初めてプロフェッショナルとして人気と名声をあげた先駆者であり、道筋を切り開いてくれた功労者だったのです。
今をもっても誇り高き永遠の英雄として崇められています。
そして、キッド・チョコレートは1988年8月8日、
地元ハバナの病院で永遠の眠りにつきました。享年78歳でした。

1991年・国際ボクシング名誉の殿堂博物館入り
1994年・世界ボクシング殿堂入り


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〈キューバ出身の世界王者〉

シュガー・ラモス/元WBA・WBC世界フェザー級王者。1960年代の名王者。
ホセ・ナポレス/元WBA・WBC世界ウェルター級王者。1970年代の名王者。
ホエール・カサマヨール/元WBA世界フェザー級王者。元WBC・WBO世界ライト級王者。2011年まで活躍した。
ユリオルキス・ガンボア/現WBA世界ライト級暫定王者。元WBA・IBF世界フェザー級スーパー王者。
ギジェルモ・リゴンドー/現WBA・WBO世界バンタム級スーパー王者。
ヨアン・パブロ・エルナンデス/現IBF世界クルーザー級王者。
リカルド・アブリル/現WBA世界ライト級王者。
エリスランディ・ララ/現WBA世界Sウェルター級王者。


二代目キッド・チョコレート!

そして、その偉大なるキッド・チョコレートの名をニックネームとして継いだのが第22代WBO世界ミドル級王者ピーター・クイリン(米国)です。
何故、アメリカ人が?
いやいや、彼の父親はキューバ出身だったのです。
だから、当然のように英雄の名を引き継いだということです。


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