◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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ボクシングの一寸先は闇だが一瞬にして栄光を掴む!





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《WBC世界バンタム級タイトルマッチ》
ーundercardー
《WBO世界Sフライ級タイトルマッチ》
《WBO世界フライ級王座決定戦》

開催日:7月20日(土曜日)
開催地/会場:東京都墨田区/両国国技館




WBC世界バンタム級王者
中谷 潤人(26=S/M.T)
VS.
WBC世界同級1位
ビンセント・アストロラビオ(27=O/PHI)


中谷が超速157秒KO防衛V1成功!

〈試合経過〉
初回、お互い距離をとっての静かなスタートも中谷が右ジャブから左ストレート。アストロラビオも右で応戦も届かない。2分過ぎ中谷が右ジャブで打ち気を誘い左ボディーをアストロラビオに突き刺すと間を置きダウン。アストロラビオは苦痛で顔を歪めながら立ち上がったが再び沈み10カウントとなった。

ーKO・初回2分37秒ー

中谷選手が全く相手にせずWBC世界バンタム級王座の初防衛に成功した。あまりにも早いわずか157秒でのKO勝利だった。今後はいよいよ統一戦に向かうんでしょうか。
他の3団体バンタム級世界王者は全てが日本人選手です。WBA王者井上 拓真(大橋)、IBF王者西田 凌佑(六島)、WBO王者武居 由樹(大橋)と強者揃い。今後、中谷選手の対戦相手が誰になるのか非常に楽しみです。

アストロラビオは2度目の世界挑戦だったが、全く歯が立たずに終わった。2年半前は名を馳せたギジェルモ・リゴンドー(キューバ)を10回3ー0判定で破り、その後は世界戦間近だったニコライ・ポタポフ(ロシア)を6回KOで勝利するなど名を売っていた。
少しは粘っていい勝負になるかと思ったが、相手が悪かったというほかない。アストロラビオは出直しです。



(Photos by nikkansports.com)

それでは中谷選手がわずか157秒で決めてしまった超速KO劇をどうぞ!(3分13秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★中谷 潤人/28戦28勝(21KO)無敗
★ビンセント・アストロラビオ/24戦19勝(14KO)5敗





ーundercardー
《WBO世界Sフライ級タイトルマッチ》
★ロドリゲスの2.9kg体重超過で試合中止!

WBO世界Sフライ級王者
田中 恒成(29=O/畑中)
VS.
WBO世界同級12位
ジョナタン・ロドリゲス(28=O/MEX)

前日計量で田中はSフライ級リミット(52.16Kg)を1回目で難なくパスした。しかし、ロドリゲスは1回目を55Kgと2.9Kgの大幅超過で不合格。2回目(2時間以内)の猶予を与えられ走り込みで体重を落とそうとしたものの体中の筋肉に痙攣が見られた為、途中断念した。田中陣営は数百グラムならともかく2階級上のSバンタム級体重では戦えないとして中止に至ったという。
結局、トリプル世界戦ではなくなってしまった。
トホホ、な〜んじゃこりゃ!

【両選手の試合前戦績】
★田中 恒成/21戦20勝(11KO)1敗
★ジョナタン・ロドリゲス/28戦25勝(17KO)2敗1分





ーundercardー
《WBO世界フライ級王座決定戦》


WBO世界フライ級2位
加納 陸(26=S/大成)
VS.
WBO世界同級3位
アンソニー・オラスクアガ(25=O/US/帝拳)


加納は無念、オラスクアガの王座戴冠!

〈試合経過〉
初回、加納が右フック、左ボディーと先制したかに見えたが、2回徐々に攻勢を強めたオラスクアガの左右ボディーに加納は後退しながらも凌いでみせた。
迎えた3回、序盤左右で迫るオラスクアガに加納も左ストレートで凌ぐ。しかし、ラウンド終盤オラスクアガの右フックから左アッパーをモロに浴びると加納はダウン。加納は立ち上がることなく10カウントを聞いてしまった。

ーKO・3回2分50秒ー

オラスクアガがわずか8戦目でWBO世界フライ級王座の獲得に成功した。オラスクアガは2023年4月8日、6戦目でWBAスーパー&WBC世界Lフライ級王者寺地 拳四朗(B.M.B)に世界初挑戦したが9回TKO負けに終わり今回は階級を上げ2度目のチャンスで王座を手にした。次戦は鬼門と呼ばれる初防衛戦で王座を守れるか注目したい。

加納 陸は2016年8月20日のWBO世界ミニマム級王座決定戦を高山 勝成(仲里)と戦い6回0ー3負傷判定負け。それ以来徐々に階級を上げ2度目のチャンスだったが今回も王座には届かなかった。パワーの差が出てしまった印象。加納は無念の出直しです。


(Photos by nikkansports.com)

どちらも2度目世界挑戦もオラスクアガが王座を手にしたシーンをどうぞ!(10分59秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★加納 陸/29戦22勝(11KO)5敗2分
★アンソニー・オラスクアガ/8戦7勝(5KO)1敗


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        昭和の時代を足早に駆け抜けたたこ八郎!

この時期、♪夏がく〜れば思い出す〜遥かな尾瀬〜♪じゃなくてコメディアンで俳優だったたこ八郎さんを想い出します。
1982年10月に放送開始された「笑っていいとも!」(フジテレビ)の初期に出演していた頃、誰からも愛され人気者でした。
ブログにご訪問頂いた皆さんも名前は聞いたことがあっても、実際どんな人だったか知らない人達が殆んどでしょう。
「えっ!たこ八郎って誰?」という方はちょっと長いですがどうぞ最後までお付き合い下さい。

(笑っていいとも出演時のたこ八郎さん)


テレビ、映画で活躍していたたこ八郎さんは1985年7月24日、神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場で朝から友人やスタッフと飲酒しながら海に入り心臓麻痺を起こして人気絶頂期に44歳の若さで帰らぬ人となったのでした。
7月24日が命日でこの世にいれば今年83歳を迎えています。
もう現在は「弔い上げ」となっているんでしょうか?

たこさんの芸能界入り前は元プロボクサーで世界戦には恵まれなかったものの、第13代日本フライ級王者として活躍した選手だったのです。そして、現役引退後は喋り方が東北訛りで吃音がちだったことから巷ではパンチドランカーなどと陰口を叩かれながらもたこさんはボクサー出身のコメディアン兼俳優(後にバラエティー番組進出)として草分け的存在でもありました。

(ボクサー現役時代の河童頭だった頃)

(東映の人気任侠映画出演時のたこさん)


後楽園ホールを沸かせたボクサー時代!

時は1960年代初頭の後楽園ホールに河童が現れたのです。
「うわ~ッ、カッパだ~ッ、カッパ~ッ!」と立錐の余地もなく埋ったホールの観衆は度肝を抜かされ失笑から大爆笑に変わっていきました。その正体とは「河童の清作」こと斎藤 清作で頭のてっぺんを剃りあげ颯爽とリングに登場してくるのでした。
戦いぶりはというと、両手を下げてノーガードで打たせるだけ打たせて相手が打ち疲れて怯んだところで猛反撃して終わってみると相手は打ちのめされていたのです。この突拍子もないパフォーマンスの主はのちに俳優やコメディアン兼タレントとして人気者となった「タッ、タ~ッコで~す!」たこ八郎なのでした。
ボクサー時代の頃から人を笑わせる素質は十分にあったようです。

しかし、河童頭で登場したのには理由があったのです。
彼は小学校低学年時(何年生かは不明)に田んぼで泥んこ遊びをしていたとき友達が投げた泥んこ玉が左目にあたり、それが原因で左目は殆ど視力をなくしていたのでした。たこさんによれば親に知られると叱られると思い何もなかったかのように過ごしたという。
人を笑わせるというよりも、頭のてっぺんを丸く剃って対戦相手の気をそらせて目の悪さを隠すための作戦と暑さよけもあったと、後に語っています。では何故、目が悪くてプロボクサーになれたのかと言うと、プロテストの視力検査の時に前もって視力表を丸暗記してパスしたのだといいます。元々、斉藤清作は宮城県私立仙台育英学園高等学校のボクシング部2年生時にアマチュアの県大会(高校生の部)モスキート級で優勝の経験を持ち、技術的にはボクサーとしての下地はあったのでした。すなわち、高校時代のボクシング部でも左目の不自由を隠し通したことになります。そして、高校を卒業すると上京して職を転々としながら過ごします。

ただ、ボクサーを目指しての上京ではなく、この頃人を笑わせることが好きで実際はコメディアンを夢見ての上京だったといいます。
そこで、何番目かの職業で映画のフィルム管理会社に勤めていれば芸能関係者に会えるだろうというたこさんらしい理由でコメディアン目指して就職したのでした。仕事はフィルムを自転車で映画館に運ぶ仕事だった。ところがある日、仕事が終わって帰宅する途中に笹崎ジム(目黒区)の看板が目に飛び込んできて血が騒ぎ、窓の外から練習風景を覗いていると掃除をしていたジム会長の奥さんらしき女性に「ボクシング好きなのかい!」とジム内に招き入れられると練習生を食い入るように長い時間眺めていたといいます。
ボクシングから遠退いていたが、時間が経つと雰囲気に誘われるように入門を決意したのでした。ジムには後に日本人初の2階級世界制覇王者となるファイティング原田(原田政彦)も所属していた。

斉藤清作は練習を重ねて難なくプロテストに合格するといよいよ後楽園ホールのリングに立つことになります。
1960年9月5日、吉田 貞吉(興伸)と戦うと、昔取った杵柄で4回判定勝ちを収めてプロデビューを果たす。
その後は素質も開花してめきめきと頭角をあらわし東日本新人王戦に出場すると、準決勝まで勝ち進んだのでした。
しかし、この年の秋にはまさかの事態が起きてしまいます。
新人王戦はトーナメント方式で行われる為、別グループから勝ち上がってきたファイティング原田とぶつかり同門対決となってしまったのです。この前代未聞の事態にジムはもとより主催する東日本ボクシング協会も前例がなく頭を抱えてしまいます。
当時、ボクシング界としての身内同門対決は時代背景からして罷(まか)りならないものだったといいます。どちらかが身を引くしかなかったのです。結局、斉藤清作に怪我が長引いていたこともあって、ジム側との話し合いで斉藤清作が辞退することになります。
※(昔からJBCでの同門対決禁止の規定はなく、現在は新人王戦などでは数試合の対戦例があります)
そして、結果的にはファイティング原田が準決勝、決勝を勝ち抜き見事に東日本新人王に輝いたのでした。波に乗ってついには全日本新人王も獲得する。

その後、辞退した斉藤清作は心情からして試合に出たい気持ちはやまやまだったはずだが、ファイティング原田の前では一切不満を口にする事はなく、かえって切磋琢磨して友情を深めたといいます。
そんな出来事はなかったかのように斉藤清作は戦い続けた。
1960年9月のデビューから34戦29勝(10KO)4敗1分の戦績を積み上げニックネームも「河童の清作」と呼ばれるようになって人気を高めていきました。
1962年12月28日(昭和37年)打たせて打つ戦法のために怪我も多く35戦目にしてやっとの思いで日本フライ級王座への初挑戦となった。当時世界戦経験者で日本フライ級王者の野口 恭(野口)に挑戦すると大方不利の予想を覆し壮絶な打撃戦を制して10回判定勝ちを収め見事王座を手にしたのでした。



たこさんのボクサー時代を追ったドキュメント風の映像が残されていました。貴重な映像をどうぞ!(4分19秒)


1963年2月19日、日本フライ級王座を保持したままノンタイトル10回戦でこれに勝てば世界挑戦も約束される試合(挑戦者決定戦)を、後のWBA世界フライ級王者大場 政夫(帝拳)とボクシング史に残る大激闘を演じることになる世界ランカーのチャチャイ・チオノイ(タイ)と戦うとキャリア初の8回TKO負けを喫して世界挑戦の夢は絶たれてしまう。
その後、1963年4月14日、ビリー・ブラウン(比国)とノンタイトル10回戦で戦い判定勝ちして再起を飾った。
現在ではあまり例のない試合間隔1カ月ちょっとの1963年5月17日、前王者だった野口 恭との再戦で5回TKO勝ちの返り討ちで日本フライ級王座の初防衛に成功した。
1963年11月14日、2度目の防衛戦では堤 五郎(興伸)と戦って打ち勝ち10回判定で退ける。
1964年(昭和39年)4月2日、3度目の防衛戦では当時実力者とされた飯田 健一(三鷹)の挑戦を受け対戦すると、壮絶な打撃戦の末に10回判定負けを喫して王座から陥落してしまう。
結局、この試合を最後に体力の限界を悟って現役引退となったのでした。そして、かねてからの夢であり念願だったコメディアンを目指していくことになります。

無二の親友ファイティング原田氏の回想!

元2階級世界制覇王者で同門の親友だったファイティング原田氏は雑誌インタビューで「試合での展開はたいてい対戦相手に打たせるだけ打たせておいて、耳元で(効いてない、効いてな~い!)と囁きながら、相手選手が打ち疲れたところで猛反撃して試合が終わってみると、相手選手は打ちのめされていました。打っても、打っても倒れないで効いた素振りを見せないからさぞかし対戦相手も斉藤は怖かったと思いますよ」と当時の斉藤清作の戦いぶりを懐しく振り返っている。

また、 たこ八郎自身もボクサーになった経緯を人気絶頂期にテレビ番組で語っていた。「僕はね、ほんとのこと言うとボクサーじゃなくて元々コメディアン俳優になりたくて宮城から上京したんだ。まぁ、たまたま途中からジムに入門して取りあえずボクシングで名前を売ってからという気持ちに変わったんだけどね」「現役時代には同郷出身で憧れのコメディアンスターだった由利 徹師匠のところに弟子入りしようとして自宅に伺ったら(チャピオンになったら来なさい。そうしたら弟子にしてやるよ!)と言われて死に物狂いで練習したからね。ベルト巻かなきゃ次の夢に向かって行けないから必死だったんだよ。だから、チャンピオンになれたんだけどね」と本人も当時を懐かしむように語っていた。
しかし、師匠の由利 徹はあるテレビ番組で「たこにチャンピオンになったら来なさい、と言ったのは断る口実だったんだよ。まさか王者になるとは微塵も思ってなかったしね。でも、成し遂げる根性があったから弟子にしたんだよ」と明かしていた。

脇役舞台修行から日の目を見た!

斉藤清作は日本王者に登りつめてから「河童の清作」として人気者になり、抱いていた「まず、ボクシングで名を売ってからコメディアン修行」という思いには辿り着いたのでした。
ボクサーを引退すると、憧れの由利 徹に弟子入りが許され早速、由利宅に住み込んでの出発だった。そこから師匠の舞台公演などで脇役の下積み生活が始まり徹底的に演技を仕込まれていく。しかし、由利宅ではパンチドランカーの症状もあって何度か寝小便を漏らして居辛くなりその後は友人宅に身を寄せたといいます。(笑)
ボクサー時代の「河童の清作」から芸名「たこ八郎」へと役者稼業に変わると売れない時代も長く続いた。そんな中、住んでいた近くの新宿ゴールデン街には毎晩のようにどこかの酒場にいたという。
修行の身でありながら毎晩酒を呑めた理由にはツケを許されたからだった。時には東北訛りをからかわれて酔った勢いで暴力沙汰を起こしても酒場の出入り禁止などにはならずかえって親しみを持たれたと当時の居酒屋店主は語っている。また新宿ゴールデン街の他のパーやスナックの店主はたこさん目当てにくる客も多くかえって繁盛に貢献してくれたことでツケは請求しないことに決めていたと雑誌などで語られいる。これもたこさんの憎めない人柄からでしょう。 この頃、同じ店で飲んでいた客と些細なことから喧嘩となり右耳を噛みちぎられ三分の一を欠損している。そんな酒浸りの生活ながらも師匠の人情喜劇の舞台ではあえて東北訛りのセリフを与えられ笑いを取ると次第にクチコミとともにメディアでも紹介され評判となった。そして、役者ぶりも板に付くと徐々に仕事も増え映画、テレビへと活躍の場が広がっていくのでした。

1970年、高倉 健主演のシリーズ映画『新・網走番外地』(東映)にチンピラ役で出演。この出演が切っ掛けでシリーズ4作に出演してチンピラ役をやらせれば右に出る者がいないと言われるほど嵌(はま)り役となり、その後も東映の任侠映画出演は続いた。
1973年、小川真由美主演の探偵ドラマ『アイフル大作戦』(TBS)へのチョイ役でテレビ界へも進出。
1977年、高倉 健主演の大ヒット映画『幸福の黄色いハンカチ』(松竹)では武田 鉄矢・高倉 健に因縁をつけるチンピラ役で僅か数分の出演ながらも迫真の演技を披露した。
特に、大ブレイクしたのは1978年のTBSテレビ系列で放送されたコメディドラマ『ム~一族』への出演(憎めないチンピラの八郎役)で東北なまりのセリフで茶の間を笑わせる演技で“たこ八郎”の名前が全国的に知られるようになって一躍人気者になったのでした。80年代に入ってもその風貌と独特な語り口が重宝がられテレビ、映画と数多く出演しています。また、芸名「たこ八郎」の由来は、足繁く通った行きつけの居酒屋「たこ久」から貰ったと、後に語っていました。

そして、人気絶頂期の1985年(昭和60年)7月24日の午前中、神奈川県真鶴町の海水浴場で友人、スタッフと飲酒しながら泳いで心臓麻痺をおこして突然の死去。
この訃報はレギュラー出演していた『笑っていいとも!』(フジテレビ)の番組で司会者のタモリによって生放送中にいち早く全国に伝えられていました。その日は「え~っ、たこちゃんが死んじゃったんだ!」とその訃報に日本中が悲しんだのでした。
葬儀では葬儀委員長を赤塚 不二夫(漫画家)が務めていた。
弔問に訪れたタモリは哀しみの中「たこが海で死んだ。なにも悲しいことはない!」と笑いを盛り込む弔辞を述べ死を悼んだ。
ワイドショー番組の葬儀模様では師匠だった由利 徹が「あの、たこ野郎!俺より先に逝きやがって、なんてことするんだ。うぅぅ~」と嗚咽しながらインタビューに答えています。
亡くなる前年の84年にはNHK総合の銀河テレビ小説でたこ八郎の半生を描いた自伝的ドラマ『迷惑かけてありがとう』(たこ八郎役柄本 明)を自らの座右の銘がタイトルとなって6月4日から6月29日まで放送され大好評を得て益々人気を高めたのでした。
また、この時期はテレビコマーシャルでもサントリー、金鳥マット、エースコック、宝酒造、オートバックスと引っ張りだこだったのです。亡くなって5年経った1990年3月5日にはTBSテレビ系列の2時間単発ドラマ(月曜ドラマスペシャル)で後半生を描いた『昭和のチャンプ たこ八郎物語』が放送され、斉藤清作(たこ八郎)役を片岡 鶴太郎が演じ、同門のファイティング原田役を元WBA世界Lフライ級王者でタレントに転身して人気者となったトカちゃんこと渡嘉敷 勝男が演じ高視聴率をマークして話題となりました。そして、この年全日本テレビ制作社連盟が毎年主催するテレビ放送の優れた作品を選ぶATP賞の「優秀賞」を受賞しています。これはDVDなど発売されてないようでユーチューブで小分けながら視聴できます。是非、ご覧下さい。

河童の清作として活躍していたボクサー時代はちょうどアジア初の東京オリンピック(1964年)を控えていて、ビル建設や道路整備工事、新幹線工事の建設ラッシュで「オリンピック景気」と呼ばれていた時代でもありました。当時の斎藤清作の試合映像をみると後楽園ホールは今以上に盛り上がり超満員の観客で埋まってその型破りな戦い振りと、奇抜な姿に人気があったということです。
そして、ボクサーの憧れでもある後楽園ホールが名勝負・名選手を生んで日本の聖地として「ボクシングの殿堂」と呼ばれるようになったのもこの時代だったようです。

【たこ八郎 MEMO】
本名:斉藤 清作
出身地:宮城県仙台市宮城野区新田
誕生日:1940年(昭和15年)11月23日
死没日:1985年(昭和60年)7月24日(享年44歳)

〈ボクサー時代〉
★リングネーム:斉藤清作
★通称:河童の清作
★身長/リーチ:158cm〜160cm(諸説あり)/不明
★戦績:43戦34勝(11KO)8敗1分
★獲得タイトル:第13代日本フライ級王座(防衛2度/1962年12月28日~1964年4月2日)
★スタイル:右・ボクサータイプ(後にスイッチヒッター)

〈芸能界時代〉
★芸名:たこ八郎(太古八郎名義もあり)
★通称:たこちゃん
★キヤッチフレーズ:「タッ、ターッコで~す!」
★座右の銘:「迷惑かけて、ありがとう!」

〈日本フライ級王者時代〉1962年~1964年
たこさん、さすがに日本王者となってからの河童頭はなかったようです。(定かではありませんが?)



〈幸福の黄色いハンカチ〉松竹・1977年
武田鉄矢、高倉健に絡むチンピラ役で出演。
僅か数分のチョイ役ながら迫真の演技でした。健さんに絡むシーンを山田洋次監督から演技指導を受けるたこさん。
※左端は桃井かおり。



〈笑っていいとも!〉フジテレビ・1982年~2014年
番組がスタートした翌年からの初期にレギュラー出演していた。
オープニングでは「タッ、タ~ッコで~す!」といって登場して人気者だった。




たこさんは、数え切れないほどのテレビ、ラジオ、映画に出演し昭和という時代を足早に駆け抜けていきました。
人を笑わせ、楽しませて誰からも愛され惜しまれながらこの世を去っていったのでした。〜合掌


〈たこ地蔵〉
たこ八郎さんが亡くなって、師匠だった由利 徹さん(コメディアン俳優=故人)を筆頭に親友だったタモリ、赤塚 不二夫(漫画家=故人)、山本 晋也(映画監督)さんらが発起人となって建てられたお地蔵さんが存在するのです。
お地蔵さんにはたこさんの座右の銘だった「めいわくかけて、ありがとう。」が刻まれていて命日にはたこさんファンだった人達が全国から訪れる人気スポットとなっています。

所在地・東京都台東区下谷2ー10ー6「法昌寺」

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《IBF世界ウェルター級タイトルマッチ》
開催日:7月13日(日本時間14日)
開催地/会場:米国ペンシルベニア州フィラデルフィア/ウェルズ・ファーゴ・センター




IBF世界ウェルター級王者
ジャロン・エニス(27=SH/USA)
VS.
IBF同級13位・元WBA世界同級王者
ダビド・アバネシアン(35=O/RUS)


王者エニスの圧勝TKO勝ちV2成功!

〈試合経過〉
初回〜2回と王者エニスがスイッチを混じえてボディー攻めから左フックとアバネシアンに隙を与えず早くもリードした。
3回〜4回もエニスが同じようにボディーから右アッパー、フックと上下に打ち込み完全リード。アバネシアンも右フック、右アッパー、左右ボディーと反撃を見せるもののエニスの上下被弾で明らかにダメージが目に見えた。

迎えた5回、打ち合いからアバネシアンは右アッパーを突き上げたがエニスは効いた様子はない。終盤に差し掛かった場面でエニスがボディーから左フックを打ち込むとアバネシアンはたまらずダウン。立ち上がって再開に応じたアバネシアンは追撃に耐えゴングに救われた。しかし、インターバルでレフェリーがアバネシアンにドクターチェックを促す。結果は深いダメージの残るアバネシアンにドクターは続行不可を告げて試合終了となった。

ーTKO・5回終了時深刻なダメージでドクターストップー

エニスがIBF世界ウェルター級王座の2度目防衛に成功した。
エニスは12カ月ぶりの防衛戦を地元で圧勝した勢いもあってWBAスーパー&WBO世界同級統一王者テレンス・クロフォード(米国)の名を挙げ統一戦を呼びかけた。しかし、クロフォードはSウェルター級に転向する可能性もあることから続いてWBC世界同級王者マリオ・バリオス(米国)の名も付け加えた。
統一戦となればエニスは王者としてまだ浅くこれといった大物との対戦がなくネームバリューもまだ世界的ではないところがネックとなるでしょう。ただ、ウェルター級では今一番元気があり倒しっぷりは怖れられているようだ。果たして、エニスの次戦は熱望してやまない統一戦となるのか注目です。

元WBA世界同級王者のアバネシアンは王者返り咲きに失敗した。
WBA王座から陥落後はEBU欧州ウェルター級王座を5度防衛するなどして復活、WBO世界同級王者のテレンス・クロフォード(米国)にWBOランキング6位として挑戦も6回KO負け。再起戦で4回TKO勝ちして辛くもIBF13位にランクされていたことで今回防衛戦に抜擢されたが力及ばず敗れ去った。来月36歳となるアバネシアンは深いダメージを負ったことで今後の動向が注目される。





(Photos by boxingscen.com)

それでは王者エニスが元王者アバネシアンに圧勝TKOで2度目防衛に成功したシーンをどうぞ!(2分28秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★ジャロン・エニス/33戦32勝(29KO)1NC無敗
★ダビド・アバネシアン/36戦30勝(18KO)5敗1分








《NABF北米&NABO北米ライト級TM》
ー10回戦ー

開催日:7月13日(日本時間14日)
開催地/会場:米国ネバダ州ラスベガス/パームス・カジノ・リゾート



(王者ジャニベクの体調不良により中止)


当初はIBF&WBO世界ミドル級王者ジャニベク・アリムハヌリ(カザフスタン)VS.アンドレイ・ミハイロビッチ(ニュージーランド)による無敗同士のタイトルマッチがメイン予定だったが、計量前日、王者ジャニベクが減量中に重い脱水症を引き起こして病院へ搬送されたという。マネージャーによると歩くことさえ困難で止む無く試合中止を願い出たとした。従って、セミがメインに繰り上がった。

NABFライト級王者
WBC&WBO同級2位・IBF4位

レイモンド・ムラタラ(27=O/USA)
VS.
WBO同級12位・元IBF世界Sフェザー級王者
テビン・ファーマー(33=S/USA)

〈試合経過〉
序盤戦はムラタラがサウスポーのファーマーを左ジャブから右ストレートで攻め優位に進めた。中盤戦に突入すると左ストレートを浴びせるテクニシャンのファーマーにムラタラは手こずる。しかし、後半戦はムラタラが手数を増やし終盤戦は右ストレートから連打を浴びせファーマーをよろめかせて引き離しゴングとなった。

〈10回採点結果〉
95ー94(ムラタラ)
96ー93(ムラタラ)
97ー92(ムラタラ)

ムラタラが3ー0判定勝ちでNABF北米ライト級王座2度目防衛成功とともに懸けられたNABO北米王座も獲得した。そろそろ世界挑戦の声も掛かりそうでしょうが、どうやら技巧派は苦手なようだ。次戦に注目したい。

元IBF世界Sフェザー級王者のファーマーはライト級転向後3連勝と波に乗っていたが、さすがに若いランキング上位者には敵わなかった。ベテランとなったファーマーは果たしてライト級のトップ戦線に絡むことができるのか・・・


(Photos by fightnews.com)

ムラタラがベテランの元王者ファーマーに判定勝ちしたシーンをどうぞ!(2分41秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★レイモンド・ムラタラ/21戦21勝(16KO)無敗
★テビン・ファーマー/41戦33勝(8KO)6敗1分1NC










《Sバンタム級ノンタイトル12回戦》
開催日:7月10日(木曜日)
開催地/会場:豪州NSウェールズ州ウーロンゴン/ウィン・エンターテイメント・センター




IBF世界Sバンタム級1位・WBO同1位
サム・グッドマン(25=O/AUS)
VS.
WBC世界Sバンタム級8位・前WBCアジア同級王者
チャイノイ・ウォラワット(27=O/THA)


井上への挑戦権持つグッドマン判定勝ち!

〈試合経過〉
無敗同士対決!

序盤戦はグッドマンが接近して左ボディー、左フックと浴びせチャイノイに差を付け主導権を握ったかに見えた。しかし、途中からチャイノイも引かず左右強打を浴びせるなど対抗して元WBCアジア王座9度防衛の片鱗を見せて回を重ねる。
6回、グッドマンがジャブから左フックを浴びせるとチャイノイも負けじと左右アッパー、右カウンターと反撃を見せる。
9回、チャイノイが接近して右から左右アッパーでグッドマンを慌てさせた。終盤戦に突入するとチャイノイは時折スイッチして左右で撹乱を図るもののグッドマンに動きで外され左右を浴びてやや劣勢気味。最終回、不利と見たチャイノイは突進して左右で逆転を狙ったが、ここもグッドマンに上手く躱されゴングとなった。

〈12回採点結果〉
117ー111(グッドマン)
117ー113(グッドマン)
119ー109(グッドマン)

グッドマンが3ー0大差判定勝ち。
試合内容は上下に打ち分け優位に進めた一方でチャイノイの右を被弾する場面も多かった。採点はせいぜい4、5ポイント差が妥当でしょう。またグッドマンは4回〜6回の間に左拳を痛める代償も負った。戦いぶりはお世辞にも井上の強敵とは言い難いところ。
当初グッドマンは井上の9月開催予定の対戦候補に挙がったが辞退して今回世界前哨戦と銘打って試合を強行した。
そんな中、井上陣営はグッドマンを諦め次に浮上したのがWBO2位で元IBF世界Sバンタム級王者TJ・ドヘニー(アイルランド)の名が挙がり有力視されている。それに12月の試合予定もWBA団体から対戦指令が出されたWBA1位で元WBAスーパー&IBF王者ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)との対戦も浮上してきた。つまりグッドマンは"蚊帳の外"状態となった。
グッドマンに可能性があるとすれば井上のアフマダリエフ戦が成立せずWBA王座を返上するか剥奪された場合は戦うことになるかもしれない。前哨戦に勝利したものの果たして今後どうなるか・・・

無敗で格上相手に挑んだチャイノイは絶好の飛躍チャンスを逃してしまった。3団体上位ランキング者に勝っていれば当然上位にランクインする可能性はあった。チャイノイには左右フックと右ストレートにはかなりの強打を持ち合わせていたものの当て勘(正確性)が今一悪く悔いの残る戦いだった。もっと反射神経と打つタイミングを鍛え直せば上に行ける選手でしょう。ウォラワットには再浮上に期待したいところ。



(Photos by boxing247.com)

グッドマンがウォラワットに判定勝ちしたシーンをハイライトでどうぞ!(6分55秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★サム・グッドマン/19戦19勝(8KO)無敗
★C・ウォラワット/27戦25勝(15KO)1敗1分
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《フィリピン歴代世界王者一覧》

フィリピンは昔から日本と競い合うように軽量級世界王者を輩出してきたライバル国です。数年前まではミニマム級〜Sバンタム級まで3、4人の王者がいましたが世代交代でしょうか、現在は今年3月31日、WBC世界ミニマム級王者重岡 優大(ワタナベ)に挑戦して激戦の末、競り勝ち12回2ー1で王座を手にしたWBC世界ミニマム級王者メルビン・ジェルサレムのみとなっています。
しかし、4団体の軽量級ランキングを覗くとフィリピン選手も数多くランクインしていることで今後も更に日本人選手と絡むことが多くなるかもしれません。そして、アジアからマニー・パッキャオ井上 尚弥に続くスーパースターが誕生することを期待したい。

それではフィリピンの歴代世界王者一覧をどうぞ!(6分51秒)

(1923年〜2023年までの王者)

(YouTube by Geeno's fight)
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《WBA&IBF世界Sフライ級王座統一戦》
開催日:7月7日(日曜日)
開催地/会場:東京都台東区蔵前/蔵前国技館




WBA世界Sフライ級王者
井岡 一翔(35=O/SHISEI)
VS.
IBF世界Sフライ級王者
フェルナンド・マルティネス(32=O/ARG)


マルティネスが判定勝ち王座統一成功!

〈12回採点結果〉
116ー112(マルティネス)
117ー111(マルティネス)
120ー108(マルティネス)

マルティネスが3ー0大差判定勝ちでIBF王座3度目防衛とともにWBA王座も獲得して2団体王座統一に成功した。

井岡は王座統一に失敗、5年7ヶ月ぶりの黒星で無冠となった。
果たして、再戦を希望するのかそれとも現役引退なのか・・・




(Photos by nikkansports.com)

王座統一戦をハイライトでどうぞ!(5分10秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★井岡 一翔/35戦31勝(16KO)3敗1分
★フェルナンド・マルティネス/17戦17勝(9KO)無敗










《WBC世界ライト級タイトルマッチ》
ーundercardー
《WBC世界Sフェザー級タイトルマッチ》

開催日:7月6日(日本時間7日)
開催地/会場:米国ニュージャージー州ニューアーク/プルデンシャル・センター




WBC世界ライト級王者
シャクール・スティーブンソン(27=S/USA)
VS.
WBC世界同級7位
アルテム・ハルチュニャン(33=O/GER)


〈試合経過〉
初回、サウスポー王者スティーブンソンはハルチュニャンのジャブを上手く躱して様子見の展開で始まった。
3回、スティーブンソンが手数を増やしてワンツーからボディー攻めとハルチュニャンの攻めを封じ始める。
5回、接近しての攻めの探り合いはハルチュニャンの打ち気を誘いスティーブンソンは左右連打で差を広げた。
後半戦突入もスティーブンソンが左ストレート攻めで突き離す。
10回〜11回とハルチュニャンも右ストレートから左右で巻き返すかに見えたがあとが続かない。結局、スティーブンソンが明らかにリードしているものの最後まで見せ場のなさにブーイングを浴びる中、ゴングとなった。

〈12回採点結果〉
119ー109(スティーブンソン)
118ー110(スティーブンソン)
116ー112(スティーブンソン)

スティーブンソンが3ー0大差判定勝ちでWBC世界ライト級王座の初防衛に成功した。しかし、前回同様今回もブーイングを浴びてしまった。今年初めフリーエージェントを宣言していたスティーブンソンはトップランク社との契約が最後となったが何処へ行く。
フリーでは予てから語っていたビッグマッチは難しい。従って何処かに所属することになるのは明らかだ。PBC(プレミアム・ボクシング・チャンピオンズ)かマッチルームUSAなのか・・・

世界初挑戦のハルチュニャンは王座に届かなかった。
序盤は手数も多く接戦だったが3回以降は王者の的確な左右を貰い始めてスタミナを削がれてしまった。突き返す強打パワーがあれば挽回も考えられたが、それがない分飲まれていった印象。果たして再起してランキングに留まれるか。


(Photos by fightnews.com)

スティーブンソンが完勝して初防衛に成功したシーンをハイライトでどうぞ!(2分11秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★シャクール・スティーブンソン/22戦22勝(10KO)無敗
★アルテム・ハルチュニャン/14戦12勝(7KO)2敗





ーundercardー
《WBC世界Sフェザー級タイトルマッチ》


WBC世界Sフェザー級王者
オシャキー・フォスター(30=O/USA)
VS.
WBC世界同級1位
ロブソン・コンセイサン(35=O/BRA)


コンセイサン世界挑戦4度目で王座獲得!

〈12回採点結果〉
116ー112(コンセイサン)
116ー112(フォスター)
115ー113(コンセイサン)

コンセイサンが2ー1のスプリットも判定勝ちで4度目の世界挑戦でWBC世界Sフェザー級王座を獲得した。コンセイサンはリオ五輪ライト級の金メダリストから鳴り物入りでプロデビューも3度の挑戦は手数は多いものの決定打に欠き手は挙がらなかった。
今回はジャッジが有効打で優勢と取ったのか、ようやく頂点に立った。しかし、前王者の再戦要求に再び戦うことになるか・・・

王者フォスターは3度目防衛に失敗、王座から陥落となった。
フォスターは序盤から積極的に左右コンビネーションで攻め後半戦も相手の攻めを躱しながらジャブ、右ストレートを当てたがアピール度が届かなかったのか手は挙がらなかった。フォスターは終了後、直ちに再戦を要求した。


(Photos by fightnews.com)

コンセイサンが4度目世界挑戦にしてようやく王座を手にしたシーンをハイライトでどうぞ!(2分15秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★オシャキー・フォスター/25戦22勝(12KO)3敗
★R・コンセイサン/23戦19勝(9KO)2敗1分1NC