本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめスーパースター列伝バスケ」。

 

 第122回は、ミッチ・リッチモンド です。

 

 

 1965年フロリダ州はフォートローダーデール出身。

 カンザス州大在籍時の1988年、ソウル五輪の代表入りを果たすも、ソ連チームに歴史的敗北を喫してしまいます(→サボニス)。

 同年NBAドラフトでは、ゴールデンステイト・ウォリアーズに1巡目5位に指名を受けておりました。

 

 6ft5in(196cm)のシューティングガード。NBAにはありふれたタイプながら、ロングシュートもペネトレーションも得意だったうえ、当時のドン・ネルソンHCのハイパーオフェンスにうってつけのスピードの持ち主でした。

 

 

みつまめ所持のトレカです

 

 

 ルーキーの1988-1989シーズン、いきなり平均22.0得点でエースのクリス・マリンに次ぐ個人スタッツとなります。翌年にはティム・ハーダウェイが入団し、ハイスパートスコアラー3人が揃いました。ティム、ミッチ、クリスの頭文字を当時のラップグループ 《RUN- D.M.C.》 になぞらえ、‟ランTMC” と命名、チームのウリとなり観客激増です。

 

 しかし肝心の勝率が上がらず、トリオは3年で解体。リッチモンドは1991年サクラメント・キングスにトレードされます。キングスもドアマットなので、リッチモンドはエースを任され、7年間の在籍で毎年平均20点越え。ウォリアーズ時代から10年連続の快挙でした。

 

 個人としては1995年オールスターゲームMVP、1996年アトランタ五輪では 《ドリームチームⅢ》 に選出されて金メダル。学生時代の雪辱を果たします。

 

 1998年、リッチモンドはクリス・ウェバーとのトレードでワシントン・ウィザーズに移籍。皮肉にもウェバーを得たキングスは優勝争いに加わるまで強化されたのに対し、リッチモンドの入ったウィザーズはまたもドアマット。30代半ばになった彼自身もヒザを悪くし、コンディションもシュートタッチも衰えが隠せなくなりました。

 

 2001年、奇しくもそこへマイケル・ジョーダンが2度目の現役復帰を、彼がオーナーに連なるウィザーズで果たすことになり、ポジションのかぶるリッチモンドはお払い箱になってしまいました。神の気まぐれに翻弄されたかたち。

 

 史上屈指のシューターでありながら勝利に縁遠いキャリアを過ごし、あまりにも寂しい現役晩年となるところ、ジョーダンではない神はリッチモンドにご褒美をくれました。。FAでロサンゼルス・レイカーズからオファーを受け、コービー・ブライアントのバックアップガードを務めることになったのです。

 

 当時のレイカーズは連覇中。2001-2002シーズンも58勝24敗の西カンファレンス3位から、NBAファイナル3連覇を達成しました。カンファレンス決勝では、古巣キングスに逆転勝利したのは奇縁と言えましょう。リッチモンドのファイナルでのプレーは短時間でしたが、試合終了時のウィニングボールを保持させてもらえました。

 

 

マリン、リッチ、ティム 今がいちばん仲良し笑

 

 

 優勝を経験し、思い残すことなしと37歳14年間の現役に幕。引退後はキングスのフロントで肩書きをもらい、旧友クリス・マリンの引きでセントジョーンズ大バスケット部のコーチもこなしました。現在はNBCカリフォルニア局で解説者を務めています。マリンもNBCベイエリア局でアナリストをしていて、家族ぐるみの付き合いだとか。

 

 家族といえば、プライベートでは2度の結婚で三男一女の父親。2019年10月には、6年間行方不明だった20歳の末っ子シェーンが遺体でみつかる痛ましいニュースがありました。

 

 2022年9月、旧友ティム・ハーダウェイがバスケット殿堂入り。すでにマリンは2011年に、リッチモンドは2014年に殿堂入りしていたため、当日のセレモニーには3人勢揃い。なつかしい ‟ランTMC” の思い出話に花が咲いたのでした。