本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」。

 

 第9回目は、アルビダス・サボニス です。

 

 

 1964年、ソ連リトアニア・カウナス出身。

 221cmのビッグサイズでソ連国内のスターとなり、国際試合ではヨーロッパのチームの度肝を抜く存在感でした。

 

 1986年、1巡目24位でポートランド・トレイルブレイザーズが指名します。しかしまだ東西冷戦のさなか。NBA も外国に門戸を開いていたとは言いがたく、入団は実現しませんでした。

 

 しかし彼は間違いなくNBA、ならびに世界のバスケットボールの歴史を変えます。1988年ソウルオリンピック、ソ連代表のエースとして、サボニスはアメリカ代表を撃破し、金メダルを獲得する立役者となったのです。

 

 当時はまだオリンピックはアマチュアの大会。ソ連はステイト・アマと呼ばれる実質プロ、というエクスキューズはあったものの、バスケットボールにおいてアメリカが外国に負けるなど、自尊心が踏みにじられる屈辱でした。

 

 この敗戦と、サマランチIOC会長のプロ解禁の方針が合致し、1992年バルセロナ五輪、ドリームチーム実現に至ります。以後、NBAには世界中のバスケット名手が押し寄せる、まさに世界最高峰になりました。

 

 サボニス自身はソ連崩壊後、リトアニア代表としてバルセロナ五輪では銅メダル獲得。1995年、ついに9年越しでブレイザーズ入団を果たします。31歳になっていました。

 

 

器用すぎる221cm

 

 

 ブレイザーズは1990年と1992年にNBAファイナルに進出しましたが、チャンピオンにはなれず。もしサボニスの入団がもっと早ければ... とは歴史の IF というものでしょう。

 

 1995-1996シーズンは平均14.5得点、8.1リバウンド。1997-1998シーズンには平均16.0得点 10.0リバウンドを挙げるなど通算7シーズン、38歳までプレーしています。

 

 ビッグセンターとしてゴール下を支配するのはもちろん、ボールハンドリングやパスセンスにも優れ、しばしば華麗なノールックパスで沸かせるなど、「センターには不要な才能」 と揶揄されるほどでしたが、ファンの人気は当時チーム随一。

 

 やや遅きに失した感はあれど、NBAでのプレーが実現したのは本人にも、リーグにとっても良いことだったと確信します。

 

 現在はリトアニアのバスケットボール協会会長を務めるサボニス。息子のドマンタス・サボニスがゴンザガ大(八村塁選手の2年先輩)からNBA入りし、インディアナ・ペイサーズの正センターとして活躍しています。

 

 

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