本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」 です。

 

 第53回目は、クリス・マリン

 

 

 1963年ニューヨークはブルックリン出身。

 6ft7in(201cm)のスモールフォワードで、スピードもジャンプ力もないオーソドックスなタイプではありましたが、レフティーから繰り出すジャンプシュートは無類の正確さ。セント・ジョーンズ大時代にロサンゼルス五輪の代表に選出され、金メダルを獲得しています。

 

 

得意はスリーポイントとフリースロー

 

 

 1986年NBAドラフトでは、1巡目7位でゴールデンステイト・ウォリアーズの指名を受け入団。ドン・ネルソンがヘッドコーチになると、マリンをハイパーオフェンス(超攻撃型)戦術の中心に据えます。

 

 ところが、プロ入り後まもなく、最愛の父親が若くして肺ガンで他界。息子のプレーを家庭用ビデオで撮影していて、音声の呼吸音がおかしいので病気がわかったらしい。父親に雄姿をみせることを生きがいにしていたマリンはショックから立ち直れず、アルコールに溺れるようになります。

 

 体がふるえるなど、プレーに差し支えるほど心身を崩したマリンは、コーチやチームメイトの勧めで断酒プログラムに取り組み、半年の治療を経て復帰を果たしました。敬虔なカトリック信仰が助けになったそうです。

 

 90年代に入るころのウォリアーズには、ティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンドという才能あるガード陣が加わり、クリス・マリンとのトリオは 「RUN-TMC」 の異名を取ります。当時人気のラップグループ・RUN-D.M.C. のモジリ。かのエアロスミスと共演した 『WALK THIS WAY』 のヒットで有名ですね。

 

 

ティム、ミッチ、クリスで RUN-TMC

 

 

 1991-1992シーズン、ウォリアーズは55勝27敗の好成績。マリンも平均25.6得点でオールNBAファーストチーム授賞し、バルセロナ五輪の 「ドリームチーム」 に選出され2個目の金メダル。五輪ではロングシュートをおもしろいように決め、リーグ最高のピュアシューターであることを世界に見せつけました。

 

 1990年代半ば以降は腰とヒザを悪くして欠場がちに。個人成績も下降して衰えが隠せなくなりますが、1997年、ドリームチームで意気投合したラリー・バードがインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチになると、バードに請われ、ペイサーズに移籍。ロールプレイヤーに役割を変え、3年間プレーしました。

 

 

晩年はペイサーズで活躍(左17番)

 

 

 3年目の1999-2000シーズン、ペイサーズは56勝26敗でイースタン制覇。チーム史上初のNBAファイナルに進出を果たしました。チャンピオンリング獲得こそなりませんでしたが、マリンはバードの期待に応え、強豪チームの主力選手としてキャリア第2の全盛期を送ったのです。

 

 マリンは2001年、ウォリアーズに復帰してすぐ引退を表明。37歳で16年間のキャリアを終えました。

 引退後はウォリアーズ、サクラメント・キングスでフロント業務に携わり、母校セント・ジョーンズ大のヘッドコーチ業を経て、現在はNBC解説者としてウォリアーズのコメンテイターを務めています。

 

 キャリア初期は短気な性格でしたが、アルコール依存を克服してからは温和で謙虚になったそうです。周囲の支えのありがたみを感じたのでしょう。ドリームチームに選ばれたり、衰えたあとペイサーズに誘われるなど常にサポートを得られたあたり、誰でも最後は人間性が第一、と痛感する次第です。