154.「この 3 年の公生涯路程というのは、この上なく悲しい路程です」 | 御言 missing link

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 イエス様は、ヨセフ家庭の失敗によって本来神様が準備された摂理を成すことができませんでした。また、イエス様は、遅くても27歳までには結婚すべきでしたが、それを3年延長してもヨセフの氏族の中で新婦を迎えることができませんでした。そのため、30歳の時に、マリヤに最後の談判をして出家をされたのでした。それは、イエス様が、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の一世(父母)の基盤の上でのアダム家庭復帰を断念されたことを表すものでした。
 イエス様は30歳で家を出て、父母の失敗を蕩減復帰するべく異母兄弟である洗礼ヨハネのもとを訪ねました。子女(二世)によるカイン・アベルの一体化の上で、洗礼ヨハネの集団を氏族的基盤に代わるものとし、洗礼ヨハネとともに母を復帰する道を探されたのでした。しかし、カインの位置に立つ洗礼ヨハネの失敗によって、イエス様のために神様が準備された最後の砦も完全に崩壊してしまったのでした。イエス様は氏族を中心とする摂理をすべて捨てざるを得ず、新たな十二弟子を中心とする摂理を歩まれざるを得なくなったのでした。
 御言です。

「イエス様が三十年間に準備したのは、何だったのでしょうか。今まで神様が、内的に摂理した世界において絡まった多くの曲折をすべて解き、これを外的な世界にそのまま横的に展開させて蕩減復帰するための準備期間でした。30年の準備期間は内的であり、3 年の公生涯路程は外的期間であって、33年の期間を通して、完全なアダム復帰、個体完成を完結するために戦ってきたことを知らなければなりません。
 メシヤとして生まれたその日から、メシヤの振る舞いをするのではなく、先祖たちが誤っていれば、誤ったすべてを完全にサタンの前に蕩減して、分別された勝利的基盤を築いた基台の上で、メシヤとして出発できるのです。この地上に、そのような出発のできる土台があったならば、イエス様は苦難の道を行く必要がないのです。
 もし東方の博士、あるいは羊飼いなのが、イエス様が準備時代として内的な闘争をする30年の準備期間に、イエス様の垣根になり、外的な闘争の基盤を築き上げていれば、イエス様は外的3年の公生涯路程において、内的なそのすべての天的な恨を地上に横的に展開して蕩減するに当たって、苦難の道、迫害の道、苦労の道を行かずに土台を築けたでしょう。
 また、築かれたその土台を中心としてこれを動かしていき、苦難に遭うにしてもこれを基盤にして、彼らと連結できる洗礼ヨハネを中心とした人たちが責任を果たしていたならば、イエス様は外的な苦難にぶつからずに、み旨を成し遂げられたでしょう。
 けれども、そのような土台がすべて崩れていくことによって、イエス様は東方の博士や羊飼いたちが追及した人間の代表としての使命を再び収拾し、洗礼ヨハネを立てたすべての準備の基盤を築いてきたものまで収拾して初めて、時代の前に現れることができることを知らなければなりません。
 それゆえ、長く見るならば四千年の歴史を収拾しなければならず、御自身の生涯について見るなら、30余年の生涯路程において、天が準備した横的な地上の歴史的条件までも蕩減しなければならなかったのです。ですからイエス様が蕩減しなければならない期間が、30年の生涯と3年の公生涯路程であることを知らなければなりません。この3年の公生涯路程というのは、この上なく悲しい路程です。人間が責任分担を果たせなかったことによって、イエス様が苦難の道を行き、十字架の道を行ったことを私たちは知らなければなりません。」
 (イエス様の生涯と愛 P155~157 1964年1月3日)

「神様は、アダムを通してエバを造られました。救いの摂理歴史は再創造歴史なので、原理どおりにしなければなりません。それゆえマリヤは、イエス様の新婦を迎えるために準備しなければなりませんでした。ところがその責任を果たすことができなかったので、イエス様はやむを得ず家を出たのです。家を出て、乞食の群れのような人々を集めたのが十二弟子です。一族でイエス様の新婦を探し出してあげていたならば、その一族の人々が十二弟子になるようになっていました。イエス様は何もせずに、『あれはあなたがして、これはあなたがしなさい』と任せればいいのです。ばかばかしく、あちこと歩き回りながら、あんなに苦労して弟子を求めることはしないのです。当時のユダヤ人たちは、祭司長ザカリヤ家門の洗礼ヨハネの言葉なら、みな従うようになっていました。それゆえ一度にすべてを引っ張ってくることができたのです。サタン側国家であるローマ帝国に対して反旗を翻すように言ったでしょう。世界的なアベル国家である小イスラエルを中心として、世界的なサタン国家であるローマを征服させようと言うのです。
 当時のローマは四通八達した世界文化の中心地だったので、ローマさえ屈服させれば、キリスト教とイスラエルを中心として、その時、既にみ旨は成就されていたのです。亡くなったイエス様が四百年でローマを征服しましたが、もしイエス様が生きていらっしゃれば、40年でローマを征服できなかったでしょうか。おそらくイエス様は、80歳になる前にローマを完全に料理していたことでしょう。」
(イエス様の生涯と愛 P112~113 1970年12月6日)

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