153.「イエス様を中心とした新しい天の一族が誕生したはずではないでしょうか」 | 御言 missing link

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 神様が準備された「ヨセフ氏族を中心とするメシヤのための基台」は、ヨセフ家庭と洗礼ヨハネの失敗によって完全に喪失してしまいました。国家的基盤がない中に誕生されたイエス様にとって、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭は、イエス様がメシヤとしての使命を果たすために必要な最低限の基盤でした。この基盤がイエス様に侍ることができていたならば、イエス様は十字架の道を行く必要はありませんでした。
 御言です。

「もし教会がイエス様に従わなくても、教会の中心となる氏族が従えば、イエス様は死なないのです。道理がそうではないですか。教会が従わず国が従わなくても、イスラエルの国の中心であり、ユダヤ教の中心となるヨセフの氏族が従っていたならば、イエス様は死なないのです。教会と国が責任を果たせなかったとしても、氏族圏内でイエス様の家庭的土台を準備していたならば、外的にはヨセフの家庭の一派を中心としたカイン一族が現れ、内的にはイエス様を中心とした新しい天の一族が誕生したはずではないでしょうか。
 そうなっていれば、イエス様の相手である新婦も決定され、イエス様の願いである四位基台を築き得る息子、娘をもち、家庭での父の立場も決定されていたことでしょう。また、イエス様が年をとっておじいさんになれば、孫ももったでしょう。そうなればイエス様の一族ができたはずではないですか。
 ユダヤ教が反対し、イスラエルの国が反対しても影響を受けないのです。これさえ一つになれば、イエス様が死んでもイスラエルの教団の中心に立つようになるのです。また、教団の中心に立つのはもちろんのこと、イスラエルの国を収拾するようになるのです。そうなっていれば、今日、キリスト教非運の歴史はあり得ないという結論が出るのです。イエス様の前に十字架の道はあり得ないのです。」
 (イエス様の生涯と愛 P211~212 1971年1月3日)

 神様がイエス様のために準備された基台の中心はヨセフの氏族でした。ヨセフとマリヤが神様の願いを悟れなかったため、イエス様は、どんなに遅くても27歳までに結婚しなければならなかったにもかかわらず、30歳になっても実現しませんでした。
 ザカリヤとヨセフと洗礼ヨハネは、父母の立場であるイエス様に対して子女の位置に立つと同時に三天使長の位置に立ちます。この三天使長が一つになって形成される基台がなければ、イエス様はメシヤの位置に立つことができず、神のみ旨であるアダム家庭を復帰することもできません。この内容をもとに、私達は、「霊の子女が三人いなければ祝福を受けることができない」と教えられてきました。私たちは自分の救いのために必要なことと捉えてきましたが、私達のほとんどがメシアのための三天使長だったわけではありません。天使長に使われた天使に過ぎないわけで、文先生が私たちに伝えたかったのは、メシヤがアダムとして個体完成するための公式であったということになります。これが私達末端の信者にとって現実味を帯びるのは、「ホームチャーチ」や「氏族メシア」においてです。私達のことに置き換えて説明されたのが、上の霊の子女の条件です。ここにも、すべては私たちのためにあるという、天地創造時の天使長たちと同様の思い込みがあったと言えるでしょう。
 また、メシヤがアダム家庭復帰をするためには、女性の天使長の協助も必要でした。イエス様にとっては、エリサベツとマリヤがその立場でした。マリヤを中心とする母子協助によって、洗礼ヨハネとイエス様が一つになり、マリヤが洗礼ヨハネの妹に母子協助し、幼い時からイエス様の新婦として教育し、イエス様の子羊の婚宴を20歳までに成就しなければなりませんでした。そのような原理的条件を満たしさえすれば、地上にアダムの家庭が誕生し、イエス様の直系の子女が誕生していたはずなのです。さらには、洗礼ヨハネを中心としたイエス様の従兄弟たちによる十二支派が編成され、イエス様の子女を洗礼ヨハネが祭司長の立場で育て、中心家庭が決定し、他の支派もまたイエス様の子女を預かり育てることによって十二支派の基盤が揺るぎないものとなったはずでした。そのようになれば、子羊の婚宴から20年後、イエス様の息子と洗礼ヨハネの娘が結婚し、イエス様40歳の時に孫が誕生し、イエス様を中心とする三代圏が確立されていたはずでした。
 御言です。

「問題になるのは、イエス様が独身だったということです。祭司長になるにも独身で、王になるにも独身でなければならないのでしょうか。そんなことはありません。もしイエス様が結婚していたならば、どうなっていたでしょうか。イエス様を中心として、イエス様の家庭が生じていたでしょう。またアダムとエバが堕落せずに成就すべてきだった真なる父母の立場を、イエス様が代わりに成就することができたでしょう。
 イエス様も男性ですが、新婦を迎えて息子、娘を生みたかったでしょうか。生みたくなかったでしょうか。この地上で『お父さん』という言葉をイエス様は聞きたかったでしょうか、聞きたくなかったでしょうか。もちろん聞きたかったことでしょう。また『おじいさん』という言葉も聞きたかったでしょう。
 こうしてイエス様が祭司長になり、イスラエルの王になっていれば、神様が直接支配し得る皇族が生じていたでしょう。そのようになったら、今日この世界にイエス様の直系の子孫が残っていたはずです。」
 (イエス様の生涯と愛 P124~125 1971年1月1日)

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