152.「神様の息子を愛することによって、忠臣の基準が決定されるのです」 | 御言 missing link

御言 missing link

ブログの説明を入力します。

 神様の願いをただ一人知っておられたイエス様は、その願い通りにならない無念さを抱きながら、30歳までヨセフの家で忍耐されました。30歳の時に、ご自身の結婚について最後の談判をしたのですが、それもマリヤにはとどきませんでした。
 カナの婚宴でイエス様がマリヤに対して言われた
「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません。」(ヨハネ2/4)
 という言葉には、イエス様の30歳までの忍耐が現れていると言えるでしょう。イエス様がヨセフの家を出るということは、神様が4000年かけて準備したイスラエル選民の基台が崩壊してしまうことになります。イエス様が30歳の時に洗礼ヨハネのもとを訪ねられたのは、義理の兄である洗礼ヨハネに一縷の望みをかけてのことだったといえるでしょう。
 洗礼ヨハネも、この時すでにザカリヤ家庭を出て、出家し、ヨルダン川で洗礼(バプテスマ)を行っていました。
 イエス様の30歳までの生涯が聖書の中でほとんど語られていないように、洗礼ヨハネもまた、誕生時の奇跡以外、出家するまでの30年間については全く記されていません。
 洗礼ヨハネは祭司長の息子でありながら、なぜ出家し、ヨルダン川でバプテスマを行っていたのでしょうか。聖書の中にある洗礼ヨハネの言葉から推測すると、自分がエリヤであるという自覚はなかったにしても、他のユダヤ人たちと同じようにメシヤを待ち望んでいたことが伺えます。おそらく洗礼ヨハネは、当時のユダヤの現実に失望し、とてもメシヤを迎えられる状態ではないということを悟り、自分自身が集団を形成し、メシヤを迎えるための準備をしていたのではないでしょうか。  
 洗礼ヨハネの
「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。」(マタイ3/11)
「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」(マタイ11/3)
 という言葉から、当時の洗礼ヨハネがメシヤを待ち望んでいたことを伺い知ることができます。
 ヨルダン川でイエス様と出会いイエス様を証した洗礼ヨハネは、イエス様と行動を共にすることなく、ヘロデ王の結婚に関する批判から捕らえられ、処刑されてしまいました。
 文先生は、洗礼ヨハネの使命は、エリヤの再臨としてイエス様のために十二支派編成を成すべき立場であったと語られています。すでに説明したように、本来十二支派は、ヨセフの氏族の中でイエス様の従兄弟たちによって編成され、イエス様の異母兄弟である洗礼ヨハネがその中心に立つべき立場でした。しかし、ヨセフの失敗により、洗礼ヨハネは自分の集団を中心として、ご自身で十二支派編成をなさなければならなくなったわけです。 
 当時の洗礼ヨハネが、文先生が語られるような十二支派編成の意味を悟っていたとは思えないのですが、摂理的に見ればそのような使命が洗礼ヨハネにはあったと考えることができます。
 原理講論に中心人物として書かれている洗礼ヨハネの使命は、ヨセフの氏族における父母の失敗によって背負わされた第二次摂理でした。しかし、ヨセフの使命やマリヤの使命とともに、洗礼ヨハネの使命に対しても文先生が御言の中で語られた内容と比べると、原理講論の説明は不十分です。
 原理講論では、カインである洗礼ヨハネがアベルであるイエス様に従うべきであったという観点でしか説明されていません。それは、原理講論が執筆された当初は、まだ「四大心情圏と三代王権の完成」という御言が語られていなかったためと言えるでしょう。
 洗礼ヨハネのもう一つの重要な使命は、イエス様の子女を養育し結婚させることでした。本来ヨセフの氏族におけるザカリヤ家庭とヨセフ家庭が勝利していれば、洗礼ヨハネはその勝利した基台の上に、イエス様の直系の息子を養育し、自分の家庭から誕生した子女(娘)と結婚させるだけで三代王権は実現されたでしょう。
 しかしザカリヤ家庭とヨセフ家庭における父母の失敗が、洗礼ヨハネとイエス様に蕩減条件を負担させることになりました。父母(一世)が果たすことができなければ子女(二世)が蕩減しなければならないからです。つまり、イエス家庭と洗礼ヨハネ家庭がそれぞれザカリヤ家庭とヨセフ家庭の蕩減をしなければならなくなったわけです。
 以前、147.「エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません」で紹介した
「母たちがしなければ、イエス様が洗礼ヨハネと一つになって、母を選ばなければならないのです。カイン・アベルを復帰して母を復帰するように、イエス様と洗礼ヨハネが一つになっていたら、母を探し立てる道が開かれるので、そこで一つになることができたのです。」
(イエス様の生涯と愛 1993年1月10日 
 という御言には、父母たちが失敗した後のイエス様と洗礼ヨハネがなさなければならなかったことの一つが示されています。  
 つまりザカリヤとヨセフのカイン・アベルが一つになってエリサベツとマリヤと洗礼ヨハネの妹の三代の女性を復帰しなければならなかった内容を、イエス様と洗礼ヨハネが一つになって、母(三代の女性)を探しださなければならなくなったということです。
 本来、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになって、イエス様に対する防御壁であるホームチャーチを形成し、その中でエリサベツとマリヤが一つになって洗礼ヨハネの妹をイエス様の新婦として育て、教育しなければなりませんでした。その内容を蕩減復帰するために、イエス様と洗礼ヨハネが一つになって、新しくエリサベツとマリヤと洗礼ヨハネの妹の位置を蕩減復帰する三人の女性を探し出さなければなりませんでした。
 言い換えれば、イエス様と洗礼ヨハネが一つになって次のアダムを送るための環境を準備し、次のアダムの防御壁となるホームチャーチを形成し、イエス様と洗礼ヨハネによって新しく探し出された三代の使命をもつ女性たちを中心として新婦を復帰し、新しくメシヤの使命をもって誕生してくるイエス様の子女を迎えなければならなくなったということです。
 このとき、イエス様と洗礼ヨハネが一つになって復帰するマリヤとは、イエス様を生んだ母マリヤのことではなく、洗礼ヨハネとイエス様が一つになって探し出す、マリヤの使命を引き継いだ新たな女性を意味すると考えるべきです。つまり、ザカリヤとヨセフ、マリヤとエリサベツを中心として、地上にイエス様が誕生された内容を、イエス様と洗礼ヨハネを中心とする関係でもう一度再現しなければならなくなったということです。
 同時に、イエス様は、洗礼ヨハネの集団を中心として十二支派を編成しようとされました。そのためにはイエス様自身が家庭を持たなければなりません。家庭を飛び越えて氏族を編成することはできないからです。
 しかしこの時にイエス様が持つ家庭は理想相対を復帰するということは難しい状況でした。なぜなら父母の勝利圏が成立してない立場で持つ家庭だったからです。本来、イエス様の理想相対は父母たちが準備した基台の中で選ばれるべきものです。天使長達が母を準備して成されるのがイエス様の結婚の本然の姿であり、イエス様御自身が自分の結婚を準備するというのは原理的ではありません。しかし、氏族を新しく編成するためには、イエス様に必ず家庭がなければなりません。そしてたとえ本来の結婚ではなかったとしても、イエス様が家庭を持つには、必ず原理的条件を満たさなければなりませんでした。本来、あるべきザカリヤ家庭、ヨセフ家庭、洗礼ヨハネ家庭を蕩減復帰するために、イエス様の結婚には、洗礼ヨハネの弟子たちを中心として三位基台が必要になります。三天使長の協助の失敗によりアダムが家庭を持てなかった内容をカイン・アベル・セツが蕩減復帰してアダム家庭復帰を再出発しようとされたように、失敗したザカリヤ、ヨセフ、洗礼ヨハネの三位基台を、洗礼ヨハネを中心とした三弟子による三位基台が復帰されることによってイエス様は家庭を持つことが可能となるのでした。そしてイエス様が家庭を復帰した後、洗礼ヨハネが結婚し、天使長の立場でイエス様の直系の子女を養育し、ヨセフの失敗を蕩減復帰するようになっていたと考えることができます。そしてイエス様の家庭から誕生する子女(娘)を洗礼ヨハネの妻がマリヤの立場に立って教育し、洗礼ヨハネ家庭で養育されたイエス様の直系の息子と結婚させなければならなかったはずなのです。そのようになれば、ヨセフとザカリヤが失敗したとしても、義理の兄である洗礼ヨハネがヨセフの立場とヨセフの氏族の立場を蕩減復帰することになり、神が4000年間準備したイスラエルの血統を中心としたヨセフの氏族の基台がかろうじて残され、その基台の上にイエス様の直系の孫が誕生する道が開けたはずでした。
 しかし、洗礼ヨハネが失敗することによって、イスラエル選民によるメシヤを迎えるための基台は完全に崩壊してしまいました。イエス様は、30歳で出家した後、洗礼ヨハネの失敗によって、神様が準備したイエス様の血族を中心としたイスラエルの基台を完全に喪失してしまったのでした。
 その後のイエス様は、本来神様が準備した人たちとは全く関係ないペテロ・ヤコブなど、イエス様と何の血縁関係もない十二弟子を中心として歩まざるを得なくなったのでした。
 次は今回の考察のもととなる御言の一つです。

「今日キリスト教信者は、イエス様が天使長のラッパの音とともに雲に乗って再び来られると言うのですが、そのようなことはありません。その前に、この地上に天使長の使命を完結し得る天の忠臣が現れなければなりません。そうして『私が来たのは、私の志のためではなく、神様の息子のみ旨のためだ』と、宣布する者が現れなければならないのです。
 そのようなことが、イエス様の当時にも起きました。その使命の代表的な中心存在が、洗礼ヨハネでした。ですから彼は『悔い改めよ、天国は近づいた! 私が来たのは、私のためではなく、彼を証するためである』と言いました。
その洗礼ヨハネは僕として来て、イスラエルの国全体を代表して堕落した直後のアダムの立場を復帰しなければなりませんでした。堕落直後のアダムの立場、堕落していないアダムの立場に連結できる、その立場を復帰しなければならなかったのです。堕落したこの世で、堕落していないアダムの立場を復帰して、この世のすべての権限を彼に相続させることを約束すべき代表者が、洗礼ヨハネだったのです。
『悔い改めよ。天国は近づいた』という言葉は、洗礼ヨハネの個人の言葉ではありませんでした。それは全イスラエルの歴史を代表し、イスラエル民族を代表した言葉であり、四千年の歴史を代表し、この地球上に生きている全人類を代表する言葉だったのです。また、洗礼ヨハネがイエス様に洗礼を与えたその場は、歴史的なすべての責任を相続させる立場でした。そのあとにイエス様は出発することになるのです。
 それはどういうことでしょうか。この地にまだ天の忠臣が現れなかったということです。忠臣が現れるには、この地上に真の神様の息子が現れなければなりません。天使長はその神様の息子に仕えて、天の前に真の神様の息子の道理を果たさなければならないのです。神様の息子を愛することによって、忠臣の基準が決定されるのです。それゆえ歴史的なこの終末時代に、必ず神様が愛し得る息子が現れなければなりません。そうなってこそ忠臣が決定されるのです。
 神様が洗礼ヨハネを召して立てられたのは、それまで四千年の間、神様と対決してきたサタンの頭、天使長、神様を裏切ったその天使長ではなく、神様のために忠誠を誓って乗り出した天使長の立場に代わりをさせるためでした。イエス様に忠誠を果たし、イエス様のために生きよということでした。イエス様の困難を自分の困難と思い、それを克服するために、あらん限りの力を尽くせということでした。
 ところが洗礼ヨハネは、そのような責任を果たすことができませんでした。ですから歴史的な悲しみは、より一層深まらなければならず、洗礼ヨハネはイエス様の三弟子に入らなければならなかったのです。洗礼ヨハネを歓迎した数多くの群れは、イエス様を歓迎する群れにならなければならなかったのです。
 そうして洗礼ヨハネは、新郎、新婦の本然の名をもった神様の息子、娘に忠誠を尽くす天使長の代表的実体として現れた者であり、天使世界を導き、実体のサタン世界に対して防備しなければなりませんでした。神様が訪ねてこられる天使長の実体目的を完成した洗礼ヨハネとならなければならないのに、彼がその使命を完結できなかったので、イエス様はその使命までも責任を負わなければならなかったのです。
 それゆえ僕たる道理ができたのです。『私が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためである』と言われたでしょう? 神様の息子がそのように語る話がどこにありますか。新郎として、あり得ないことでした。それゆえ、栄功の中で出発すべきだったイエス様は、悲しく恨めしい僕のくびきをかけて出発しなければならなかったのです。そのような歴史的な過程が残っているがゆえに、その峠を越えるために生まれたのがキリスト教の二千年の歴史なのです。」
 (イエス様の生涯と愛 P127~130 1965年10月17日)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村