102.ダビデ家の二人の王子の争い | 御言 missing link

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 あるとき、ダビデの側室アヒノアムとの間に生まれた長子アムノンと、もう一人の側室マアカとの間に生まれた第三子アブサロムとの間に争いがあり、その結果、兄アムノンが弟アブサロムに殺されるという事件が起こりました。
 アベルとカインの話と重なるこのできごとのいきさつは次のようになります。
 ダビデの子アブサロム(第三子)にタマルという美しい妹がいました。ダビデの長子アムノンはタマルに恋をし、深い恋煩いに陥りました。そこで父親のダビデに、病気と称して、
「どうぞ、わたしの妹タマルをこさせ、わたしの所に食物を運ばせてください。そして彼女がわたしの目の前で食物をととのえ、彼女の手からわたしが食べることのできるようにさせてください。」(サムエル記下 13/6 )
 と願いました。ダビデはタマルの家に人をつかわして、タマルをアムノンの家へ行かせました。そこでタマルは粉で菓子を作ったのですが、アムノンはそれを寝室にもってこさせました。タマルが彼に食べさせようとして近くに持って行った時、彼はタマルを捕えて、力ずくで彼女と関係をもったのでした。タマルの兄アブサロムはこのことのゆえにアムロンを憎みました。
 2年後、アブサロムは王の子たちを皆招いて祝宴を開きました。その中にアムロンもいました。アムロンが酒に酔ったころを見はからって、アブサロムは自分の若者たちに命じて、アムロンを殺してしまいました。そしてアブサロムは逃亡しました。
 その後、ダビデはアブサロムを許し、エルサレムに呼び戻したのですが、後にアブサロムは謀反を起こし、ダビデは不本意にもアブサロムを殺さざるを得ない状況となるのでした。
 こうして、ダビデの世継ぎである王子のうち二人がいなくなってしまいました。イスラエルの人々にとっては大きな事件だったはずでしたが、神様が選んだ次の王は、バテシバとの間に生まれたソロモンでした。本来は、アムロンとアブサロムは、一つとなって他の兄弟たちをもまとめ、ソロモンの基台となるべきだったのかもしれません。それがメシアのための国家的基盤となり、さらには世界的な基盤形成に向かうことが可能となるはずだったのではないでしょうか。
 後継者候補の王子が複数いて、その間に何らかの争いが生じたというのは、よくある話でしょうが、では、王子たちを廃して、自分が女王になった母親というのは、歴史上、例があるのでしょうか。
 以前、ある古い先輩家庭の講話を聞く機会がありました。その内容は、ご本人が真の御父母様に直接侍って来られた証しでした。私の知らない御父母様の世界に触れることができたのは良かったと思います。
 ただ、その中に、
「分派が批判しているような『独生女』等のことについての神学的な内容はよくわからないが、‥‥‥」
 と言いながら、真のお母様を証ししておられたことに違和感を覚えました。真のお母様に関する話の内容は、講演を依頼した教区長の意向を受けてのことでしょうから想定していたことで、一生懸命、真のお母様の素晴らしさを証している姿にむしろ痛々しさを感じるところがありました。その内容は別として、異議を唱えたくなったのは、「神学的なことはよくわからないが」と言いながら、ご本人の知っているお母様を強調していたことです。その講演者の方は、決して神学的内容に疎い方ではありません。
 真の御父母様に身近に接してこられた古い先輩方が、神学的な見地を否定しながら、あるいは無視しながら、「私の御父母様」を証しすれば、2000年前のペテロとパウロのかい離と同様のことが起こってしまうのではないでしょうか。その結果もたらされたものは、極論かもしれませんが、イエス様の真意とは異なる神学でした。同様に、家庭連合においても文先生の真意とは異なる神学が出来上がっていくのではないかという危惧を覚えます。神学的無関心もそのような土壌を醸成していく点では同じです。神学が必要か必要でないかの議論は不毛です。なぜなら、なければないで、その時々の主宰者に都合の良いように、次第に、時代とともに作られていく宿命をもっているからです。家庭連合もすでにそうなりつつあると言っていいでしょう。シャーマニズムのようなものは別として、基本的には神学というものは、なければないで済むというものではありません。問題は、それが文先生の御言の中にある普遍的な真理に沿うものとなっていくかどうかです。
 文先生の時代は終わって新しい時代が来たという方や文先生の御言に基づく神学は不要だという方々には、そのあたりを、歴史の教訓を踏まえて、ご検討いただきたいものです。
 文先生の真意とは異なる神学により家庭連合の体制が作られていく、それはすでに不可避なことのようです。イエス様の真意とキリスト教会のかい離と同様のことが、家庭連合においても起こっていくのは、必然で、もはや避けることはできないのかもしれません。

補足; 関連する内容を旧約聖書から引用しておきます。

「さてダビデの子アブサロムには名をタマルという美しい妹があったが、その後ダビデの子アムノンはこれを恋した。 アムノンは妹タマルのために悩んでついにわずらった。 それはタマルが処女であって、アムノンは彼女に何事もすることができないと思ったからである。ところがアムノンにはひとりの友だちがあった。名をヨナダブといい、ダビデの兄弟シメアの子である。ヨナダブはひじょうに賢い人であった。 彼はアムノンに言った、『王子よ、あなたは、どうして朝ごとに、そんなにやせ衰えるのですか。わたしに話さないのですか』。アムノンは彼に言った、『わたしは兄弟アブサロムの妹タマルを恋しているのです』。 ヨナダブは彼に言った、『あなたは病と偽り、寝床に横たわって、あなたの父がきてあなたを見るとき彼に言いなさい、“どうぞ、わたしの妹タマルをこさせ、わたしの所に食物を運ばせてください。そして彼女がわたしの目の前で食物をととのえ、彼女の手からわたしが食べることのできるようにさせてください”』。 そこでアムノンは横になって病と偽ったが、王がきて彼を見た時、アムノンは王に言った、『どうぞわたしの妹タマルをこさせ、わたしの目の前で二つの菓子を作らせて、彼女の手からわたしが食べることのできるようにしてください』。
 ダビデはタマルの家に人をつかわして言わせた、『あなたの兄アムノンの家へ行って、彼のために食物をととのえなさい』。そこでタマルはその兄アムノンの家へ行ったところ、アムノンは寝ていた。タマルは粉を取って、これをこね、彼の目の前で、菓子を作り、その菓子を焼き、なべ 取って彼の前にそれをあけた。しかし彼は食べることを拒んだ。そしてアムノンは、『みな、わたしを離れて出てください』と言ったので、皆、彼を離れて出た。アムノンはタマルに言った、『食物を寝室に持ってきてください。わたしはあなたの手から食べます』。そこでタマルは自分の作った菓子をとって、寝室にはいり兄アムノンの所へ持っていった。 タマルが彼に食べさせようとして近くに持って行った時、彼はタマルを捕えて彼女に言った、『妹よ、来て、わたしと寝なさい』。タマルは言った、『いいえ、兄上よ、わたしをはずかしめてはなりません。このようなことはイスラエルでは行われません。この愚かなことをしてはなりません。わたしの恥をわたしはどこへ持って行くことができましょう。あなたはイスラエルの愚か者のひとりとなるでしょう。それゆえ、どうぞ王に話してください。王がわたしをあなたに与えないことはないでしょう』。 しかしアムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、タマルよりも強かったので、タマルをはずかしめてこれと共に寝た。
 それからアムノンは、ひじょうに深くタマルを憎むようになった。彼女を憎む憎しみは、彼女を恋した恋よりも大きかった。アムノンは彼女に言った、『立って、行きなさい』。タマルはアムノンに言った、『いいえ、兄上よ、わたしを返すことは、あなたがさきにわたしになさった事よりも大きい悪です』。しかしアムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、 彼に仕えている若者を呼んで言った、『この女をわたしの所から外におくり出し、そのあとに戸を閉ざすがよい』。この時、タマルは長そでの着物を着ていた。昔、王の姫たちの処女である者はこのような着物を着たからである。 アムノンのしもべは彼女を外に出して、そのあとに戸を閉ざした。タマルは灰を頭にかぶり、着ていた長そでの着物を裂き、手を頭にのせて、叫びながら去って行った。
 兄アブサロムは彼女に言った、『兄アムノンがあなたと一緒にいたのか。しかし妹よ、今は黙っていなさい。彼はあなたの兄です。この事を心にとめなくてよろしい』。こうしてタマルは兄アブサロムの家に寂しく住んでいた。ダビデ王はこれらの事をことごとく聞いて、ひじょうに怒った。アブサロムはアムノンに良いことも悪いことも語ることをしなかった。それはアムノンがアブサロムの妹タマルをはずかしめたので、アブサロムが彼を憎んでいたからである。
 満二年の後、アブサロムはエフライムの近くにあるバアル・ハゾルで羊の毛を切らせていた時、王の子たちをことごとく招いた。そしてアブサロムは王のもとにきて言った、『見よ、しもべは羊の毛を切らせております。 どうぞ王も王の家来たちも、しもべと共にきてください』。 王はアブサロムに言った、『いいえ、わが子よ、われわれが皆行ってはならない。あなたの重荷になるといけないから』。アブサロムはダビデにしいて願った。しかしダビデは行くことを承知せず彼に祝福を与えた。そこでアブサロムは言った、『それでは、どうぞわたしの兄アムノンをわれわれと共に行かせてください』。王は彼に言った、『どうして彼があなたと共に行かなければならないのか』。 しかしアブサロムは彼にしいて願ったので、ついにアムノンと王の子たちを皆、アブサロムと共に行かせた。 そこでアブサロムは若者たちに命じて言った、『アムノンが酒を飲んで、心楽しくなった時を見すまし、わたしがあなたがたに、“アムノンを撃て”と言う時、彼を殺しなさい。恐れることはない。わたしが命じるのではないか。雄々しくしなさい。勇ましくしなさい』。アブサロムの若者たちはアブサロムの命じたようにアムノンにおこなったので、王の子たちは皆立って、おのおのその騾馬に乗って逃げた。
 彼らがまだ着かないうちに、『アブサロムは王の子たちを ことごとく殺して、ひとりも残っている者がない』という知らせがダビデに達したので、王は立ち、その着物を裂いて、地に伏した。そのかたわらに立っていた家来たちも皆その着物を裂いた。しかしダビデの兄弟シメアの子ヨナダブは言った、『わが主よ、王の子たちである若者たちがみな殺されたと、お考えになってはなりません。アムノンだけが死んだのです。これは彼がアブサロムの妹タマルをはずかしめた日から、アブサロムの命によって定められていたことなのです。それゆえ、わが主、王よ、王の子たちが皆死んだと思って、この事を心にとめられてはなりません。アムノンだけが死んだのです』。
 アブサロムはのがれた。時に見張りをしていた若者が目をあげて見ると、山のかたわらのホロナイムの道から多くの民の来るのが見えた。ヨナダブは王に言った、『見よ、王の子たちがきました。しもべの言ったとおりです』。 彼が語ることを終った時、王の子たちはきて声をあげて泣いた。王もその家来たちも皆、非常にはげしく泣いた。しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ。アブサロムはのがれてゲシュルに行き、三年の間そこにいた。王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。アムノンは死んでしまい、ダビデが彼のことはあきらめていたからである。」 (サムエル記下第13章)

「王はクシびとに言った、『若者アブサロムは平安ですか』。
 クシびとは答えた、『王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、 あの若者のようになりますように』。 王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、『わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ。』」 (サムエル記下 18/32~33)

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