87.磐石を二打 | 御言 missing link

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 原理講論では、モーセの最後の失敗は、磐石を二度打ったこととされています。石はキリストの象徴であり、一度打って水が出るようになった盤石は、堕落した立場から復活し、本然の状態となった人間、つまりイエス様を象徴し、二度目に盤石を打ったことは、水が出る石、すなわちイエス様を打ったことを意味するということでした。ですから、モーセが盤石を二度打ったことはイエス様の十字架の遠因を造ったと理解されてきました。
 実は、この事件の前に、このモーセの行為の導火線となったのではないかと思われる出来事が二つほどありました。一つはモーセの妻のことで、アロンとミリアムがモーセを非難したことであり、もう一つは、よく知られている12人の族長によるカナン偵察とその後の不信仰な報告でした。
 モーセは異邦人であるクシの女を娶ったのですが、そのことでアロンとミリアムはモーセを非難しました。民数記には、このモーセへの非難に対し、神様が怒りを発せられたと記されています。

「『なぜ、あなたがたはわたしのしもべモーセを恐れず非難するのか』。 主は彼らにむかい怒りを発して去られた。雲が幕屋の上を離れ去った時、ミリアムは、らい病となり、その身は雪のように白くなった。」(民数記12/8)

 異邦人の妻を娶ることは、当時のイスラエルにおいては非難されて当然のことように思えます。また、以前述べたように、ヤコブやユダの息子たちに対しては、異邦人の女性との結婚を、血統的な観点から神様自身が願われなかったと理解できる内容がありました。ですが、十戒の中には、「異邦人と結婚してはならない」という戒めはありません。ただ、「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」という戒めがあり、異邦人との結婚がこの戒めに対する障害となることを危惧し、その結果、異邦人との結婚が避けられてきたと考えることができます。ですから、そのことに支障がなければ、この時代は、すでに異邦人との結婚が禁じられる理由はなかったと考えられますし、むしろ、国家形成に向けて他民族との融合を図る時代に移っていたと言えるかもしれません。そもそもイスラエルの民がエジプトに入るきっかけをつくったヨセフも、その妻はエジプトの祭司の娘で、異邦人でした。また、モーセの妻のクシの女とはモーセのもともとの妻チッポラのことだという説もあります。いずれにしても、この段階で、アロンとミリアムがモーセの妻のことでモーセを非難した背景には別の理由があったと言っていいでしょう。上で引用した聖句の少し前には

「モーセはクシの女をめとっていたが、そのクシの女をめとったゆえをもって、ミリアムとアロンはモーセを非難した。彼らは言った、『主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか』。主はこれを聞かれた。」(民数記12/1~2)

 と書かれています。
「主はこれを聞かれた」というのは、その後に「主は彼らにむかい怒りを発して去られた」とありますから、決して二人の主張を認めたということではありません。この二人の主張から、アロンとミリアムがモーセを非難した動機は、神様の命令がモーセにのみに降り、彼らはそれに従うしかなかったことに対する不満だったと見ることができます。アロンはモーセの兄であり、ミリアムはモーセの姉でした。ですが、このときのモーセはメシアを象徴する立場(原理講論は「イエスの模擬者」と説明しています)にいたわけですから、神様は、あくまでもそのモーセに従うことを願っておられたと言えるでしょう。
 その後、12人の族長によるカナン偵察が行われました。信仰的報告をしたヨシュアとカレブ以外は荒野に倒れ、カナンに入ることはできませんでした。ヨシュアとカレブ以外の報告を聞いたときの民の様子を、民数記は、

「声をあげて叫び、民はその後泣き明かした。また、イスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会集は彼らに言った、『ああ、私達はエジプトの国で死んでいたらよかったのに。なにゆえ、主は私たちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか』。」 (民数記14/1~3)

 と記しています。神様とモーセを絶対的に信じる基台は、モーセの身近なところにおいてさえ、この時点になってもほとんど築けてはいなかったということになります。
 そのようなモーセの基台の弱さが、盤石の二打という行為につながったとみることができそうです。ですから問題は、盤石の二打という象徴的な行為そのものにあったわけではありません。愛のレベルを次の段階へと高め、それを縦横に拡大し、メシアを迎えることのできる基台形成へと向う、そういうことができなかったところにあったと言えるのではないでしょうか。

補足;関連する内容について、旧約聖書から引用しておきます。

「モーセはクシの女をめとっていたが、そのクシの女をめとったゆえをもって、ミリアムとアロンはモーセを非難した。 彼らは言った、『主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか』。主はこれを聞かれた。 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。 そこで、主は突然モーセとアロン、およびミリアムにむかって『あなたがた三人、会見の幕屋に出てきなさい』と言われたので、彼ら三人は出てきたが、主は雲の柱のうちにあって下り、幕屋の入口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。彼らふたりが進み出ると、彼らに言われた、『あなたがたは、いま、わたしの言葉を聞きなさい。あなたがたのうちに、もし、預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ、また夢をもって、これと語るであろう。しかし、わたしのしもべモーセとは、そうではない。彼はわたしの全家に忠信なる者である。彼とは、わたしは口ずから語り、明らかに言って、なぞを使わない。彼はまた主の形を見るのである。なぜ、あなたがたはわたしのしもべモーセを恐れず非難するのか』。 主は彼らにむかい怒りを発して去られた。雲が幕屋の上を離れ去った時、ミリアムは、らい病となり、その身は雪のように白くなった。アロンがふり返ってミリアムを見ると、彼女はらい病になっていた。 そこで、アロンは モーセに言った、『ああ、わが主よ、わたしたちは愚かなことをして罪を犯しました。どうぞ、その罰をわたしたちに受けさせないでください。どうぞ彼女を母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人のようにしないでください』。その時モーセは主に呼ばわって言った、『ああ、神よ、どうぞ彼女をいやしてください』。 主はモーセに言われた、『彼女の父が彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日のあいだ、恥じて身を隠すではないか。彼女を七日のあいだ、宿営の外で閉じこめておかなければならない。その後、連れもどしてもよい』。そこでミリアムは七日のあいだ、宿営の外で閉じこめられた。民はミリアムが連れもどされるまでは、道に進まなかった。その後、民はハゼロテを立って進み、パランの荒野に宿営した。」
 モーセは彼らをつかわし、カナンの地を探らせようとして、これに言った、『あなたが たはネゲブに行って、山に登り、その地の様子を見、そこに住む民は、強いか弱いか、少ないか多いか、また彼らの住んでいる地は、良いか悪いか。人々の住んでいる町々は、天幕か、城壁のある町か、その地は、肥えているか、やせているか、そこには、木があるかないかを見なさい。あなたがたは、勇んで行って、その地のくだものを取ってきなさい』。時は、ぶどうの熟し始める季節であった。 そこで、彼らはのぼっていって、その地をチンの荒野からハマテの入口に近いレホブまで探った。 ……… そして、パランの荒野にあるカデシにいたモーセとアロン、およびイスラエルの人々の全会衆のもとに行って、彼らと全会衆とに復命し、その地のくだものを彼らに見せた。彼らはモーセに言った、『わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこは まことに乳と蜜の流れている地です。これはそのくだものです。しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました。 またネゲブの地には、アマレクびとが住み、山地にはヘテびと、エブスびと、アモリびとが住み、海べとヨルダンの岸べには、カナンびとが住んでいま す』。 そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、『わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます』。 しかし、彼とともにのぼって行った人々は言った、『わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです』。そして彼らはその探った地のことを、イスラエルの人々に悪く言いふらして言った、『わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません』。」(民数記 第12~13章)

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