28.「8人家族を復帰するための内容が、信仰基台と実体基台です」 | 御言 missing link

御言 missing link

ブログの説明を入力します。

28.「8人家族を復帰するための内外の内容が、信仰基台と実体基台です」

 修練会等において、「復帰原理」の中で強調されてきた
 「信仰基台」+「実体基台」=「メシアのための基台」
という内容は、 「すでにメシアを迎えた」からなのか、いつしか「メシアのための基台」から切り離され、「信仰基台」と「実体基台」が、条件としてのみ重要視されてきました。祈り、断食、水行、敬拝、訓読、‥‥‥、献金、そして中心者との一体化。
 果たして、それで良かったのでしょうか?
 今回は、「信仰基台」と「実体基台」について考えてみたいと思います。まず、次の2つの御言をお読み下さい。

「堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に戻る復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。‥‥‥したがって個人が救いの目的ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。」 (ファミリー 98年9月 P30「世界平和統一家庭連合」 世界副会長就任式(顕親様)における御言)

「創世以降、今日に至るまで神様が訪ねて来られた歴史は、失ってしまったアダム家庭ただ一つを復帰するためのものでしたが、アダム家庭を取り戻すためには、創造した出発の基準とは反対の道を行かなければなりません。」 (ファミリー 99年2月 P11)

 ここで、文先生は
「本然の姿に戻る復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。」
「神様が訪ねて来られた歴史は、失ってしまったアダム家庭ただ一つを復帰するためのものでした」

 と言っておられます。
 そして、「失ってしまったアダム家庭」の内容について、次のような御言があります。

「堕落が何かといえば、偽りの父母を中心として8人の家族を失ったことです。言い換えれば悪の父母を中心としてカイン、アベル、セツと、彼らの相対まで合わせて、8人の家族を失ったのが堕落だというのです。ですから、8人の家族を再び探したてなければなりません。死線を越えて立つためには8人の家族を備えなければならないのです。 (祝福家庭と理想天国Ⅰ P1003)

「アダム家庭の堕落のために、世界の一切が堕落してしまったのだから、霊の父母と一つになって世界の復帰を目標として上がっていく家庭でなくてはならない。堕落は8人の家族を中心として、サタンによって無原理圏に落ちていったね。(み旨と世界 P905 信仰の3子女と本然の家庭基盤 祝福家庭と理想天国Ⅱ P925)

 堕落によって、失われたのは、
「カイン、アベル、セツと、彼らの相対まで合わせて、8人の家族」
 だと言っておられます。
 そして、
「死線を越えて立つためには8人の家族を備えなければならないのです。」
 とあります。
「死線」って何でしょうか? 堕落人間にとっての超えるべき死線。逆に言えば、超えようとして超えられない死線。そうとらえると、この「死線」とは「長成期・完成級」ととることもできそうです。
 そこに立つためには、8人の家族をそなえなければならないと言っておられるようです。

堕落したアダム家庭の8人は、サタンの実子圏に立って落ちていったね。ただし『実子』といっても血統が違う。違うものが神の直系の血統に入ることはできません。それは養子圏に立つ以外に道がないというんだね。養子圏に立つ子供は親と一つになって、(再び)落ちていくのではなくて、長成期完成基準から7年間上がっていかなくてはならない。あなたたちは完成基準にはまだ上がっていないだろう。神の直接主管圏に上がるには、完成基準を乗り越えなければならない。それは原理の教えだよ。今はまだそうなっていない。それをまとめたのが長成期完成基準だ。アダム家庭は、ここから落ちていったんだけれど、ここを中心として7年間上がっていく。それは家庭編成のための7年間である。」(み旨と世界 P905 信仰の三子女と本然の家庭基盤、祝福家庭と理想天国Ⅱ P925)

「アダム家庭の8人家族を失ったので、この8人家族を探したてなければ、復帰の道に至れないのです。ノアの時にも8人家族になったとき審判しました。8人家族がいたので掃き捨てることができたのです。8人家族がいなければ復帰できないのです。(祝福家庭と理想天国(P1004)「完成のための公式路程」)

 ここで、文先生は、
「アダムの8人家族が堕落した長成期完基準から、私達は逆に上がっていかなければならないが、アダム家庭で失った8人家族を探したてなければ、復帰の道に至れない。8人家族がいなければ復帰できない。」
 と言っておられると理解できます。
 私達が、長成期・完成級に立ったという条件として造成しなければならなかったのが、原理講論によれば「信仰基台」と「実体基台」であり、それが「メシアのための基台」ということでした。
 しかしながら、次の御言をご確認下さい。

「アダムとエバが偽りの愛で堕落して偽りの父母になり、この偽りの父母を中心として3人の息子であるカインとアベルとセツ、そして彼らの妻まで含めて8人の家族が堕落した立場なので、この8人の家族の形態を復帰するための内外の内容が、すなわち信仰基台と実体基台だというのです。これを復帰したのちに、天の父母に侍って越えていかなければなりません。 (祝福家庭と理想天国Ⅰ P777)
 
 ここでは、文先生は、
「8人の家族の形態を復帰するための内外の内容が、すなわち信仰基台と実体基台だというのです。」
 と言っておられます。このような「信仰基台」、「実体基台」というとらえ方は、教会内では1度も聞いたことはありませんでした。
 これは、
「メシアを迎えるための時代に必要だった内容であり、すでにメシアを迎えた私達には必要ないことである」
 と理解することもできるでしょう。
 ですが、「8人家族」の内容がすでに私達には必要のない話だとしたら、文先生は、その必要のない話を私達にされたということになります。それは考えにくいことです。
 私は、この「信仰基台と実体基台としての8人家族の復帰」が「ホームチャーチ」、「氏族メシア」、「訓読家庭教会」の原型なのではないかと考えています(はっきりとした御言の根拠は見つかっていませんが)。
 それを造成することにより、メシアを迎えることができ
「これを復帰したのちに、天の父母に侍って越えていく」
ことが可能になる、ということなのではないでしょうか。
 これは、人間の復帰・完成に関する御旨の中心テーマの一つです。文先生が一番教えたいにも関わらず、人間の責任分担を残すため、詳しく教えられない内容だった可能性があります。
 しかしながら、文先生は、最後まで「氏族メシア」を強調されていました。もし、上で述べたような「信仰基台」と「実体基台」としての意味が「氏族メシア」にあるとしたら、それは、「中心家庭――直系を受け継ぐ一中心」(第11のブログ 御旨と世界 P943)の時代を迎えるためだったということはないでしょうか?
 だとしたら、すべてはまだ
「これから」
 なのかもしれません。

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村