27.「同じ名前『氏族的メシア』を彼らの前に命名します」 | 御言 missing link

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27.「同じ名前『氏族的メシア』を彼らの前に命名します」

 第26の記事「続 第4次アダム圏時代」で述べた考え方は、「第4アダム」をそのまま「氏族的メシア」に置き換えても同様に理解することができます。
 つまり、次のようになります。

「あなたは主である」という神様の啓示(原理講論「復活論」)と、文先生の「あなた達が氏族的メシアである」という御言(文先生は「地上の神」ですから、啓示と言ってもいいでしょう)とが同じ意味で使われているのでは?
 そして、祝福家庭全員が「氏族的メシア」だとしても、それは、第11のブログで確認した「中心家庭――直系を受け継ぐ一中心」が現われるということを否定することにはならない。
 やがて現われる文先生の後継者としての「中心家庭」も含めて、祝福家庭全体を「氏族的メシア」と称しておられる可能性がある。
 そうだとすれば、「氏族的メシア」という名前を頂いたとしても、その「中心家庭」との関係においては、私達の立場は、やはり、一歩下がって、実質「洗礼ヨハネ、メシアの代理使命者」(原理講論)ということになる。

 いかがでしょうか?

 さて、「あなた達は氏族的メシアである、その使命と責任を果たしなさい」という内容の御言はたくさんありますから、それをここで取り上げる必要はないように思います。ここでは、少々わかりにくい、なんともはっきりしない御言を提示させて頂こうと思います。
 ただ、第25のブログの中でも申し上げましたが、この、どうもよくわからない、はっきりしないということが、大事な内容だということを暗示していると思っています。御旨に関することの核心は明確には語られないはずだからです。

 では、御言です。

「ですから、長子権が復帰された基盤の上に世界圏が収拾されるのです。世界圏内に一族を収拾しようとするならば、12か国を中心として360度の角度に連結しなければなりません。すべての国が滅びるのを収拾するために、神様の代わりに地上に下りてきて氏族的メシアを派遣したというのです。  (宗族的メシア P26 氏族的メシアに対する中心的御言)

 最初のところに
「長子権が復帰された基盤の上に世界圏が収拾されるのです。」
 とあり、最後の部分に
「すべての国が滅びるのを収拾するために、神様の代わりに地上に下りてきて氏族的メシアを派遣したというのです。」
 とあります。

 残念ながら私は、氏族、仕事、隣近所、どの方面に対しても実質的に「長子権」を復帰したという自覚に立ててはいません。それでも「派遣された氏族的メシア」なのでしょうか?
「頑張って、今後氏族的メシアとなれ」というのならわかりますが。
「既に『派遣した』 というからには、私のほかに、しかるべき条件や資格を備えた人が『派遣』されているのでは?」
 と思いますし、
『長子権が復帰された基盤の上』『派遣』された中心的立場の氏族メシアがおられるのでは?」
 と考えたくなります。また、
「私達は、同じ名前でそこに横的・世界的につながるべき立場なのでは?」
 とも思えてくるわけです。

 では、次の御言です。

「そのような垂直の位置で、天にいる神様の代わりに地上に降りてきて、地上から横的な面で氏族的メシアを派遣するのが今回のことだというのです。氏族的メシアは、今私が死ぬとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直世界に接木するようになっているのです。(宗族的メシア P207 還故郷と氏族的メシア)

 ここに、
「氏族的メシアは、今私が死ぬとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直世界に接木するようになっているのです。」
 とあります。文先生がおられなくても、私達は、私達だけで
「垂直世界に接木する」
 ことができるほどの権能をいつ持ったのでしょうか?

 では、次です。

イエス様を神様が送ったように、先生は地上の神様の立場で氏族的メシアを送りました。それはイエス様を送ったことと同じです。イエス様の家庭はアダム家庭を復帰すればよいのです。分かりましたか。」(祝福79号 P38)

 ここでは、最初の部分に
「イエス様を神様が送ったように、先生は地上の神様の立場で氏族的メシアを送りました。それはイエス様を送ったことと同じです。」
 とあります。祝福家庭の中に、これを私達のこととして、額面通りに受け止められる人がいるのでしょうか?
 第18のブログでは、私たちは、「今だ所有観念をもつことのできない天使長かもしれない」ということに触れました。その同じ私たちが、一方ではイエス様と同じだというわけです。
「氏族的メシア」という言葉には、「第4次アダム」と同様、「私達」と、今後現われるはずの文先生の後継者としての「中心家庭――直系を受け継ぐ一中心」の両方の意味があり、文先生はそれを使い分けておられるように思えます。御旨に関する中心的テーマであるがゆえに、詳しく語ることができず、そのため、私たちは、混同して、すべて私たちのことだ思ってしまっているということはないでしょうか?

 次は、1989年1月3日「氏族的メシヤ権の宣布」の際の、文先生の祈祷です。

「天のお父様! きょう1989年正月3日午後2時25分の今この時間を期して、歴史的なすべての内容を明らかにし、天の願われる祖国がどこであるかを確定し、1989年の元旦を迎えたのちに宣布されたこの日の上に氏族的メシヤが来るようにしてください。この時間、祝福を受けた家庭を中心として、ここに集まった統一家と教会の代表たちの上に、氏族的メシヤとして宣布しますので、喜びをもって受けてください。今、はっきりと知り、両手を挙げて誓いますので、すべてのことを栄光をもって受けてください。そして、神様と真の父母の名を通して万宇宙に宣布するこのすべての事柄を実質的な宣布として天上世界の生余録に記録してくださることをお願いいたします。歴史に記録され得るこの時間となりましたので、喜びをもってこれを受けてください。真の父母もこの日を喜びの日として受け、国の希望の日として立てましたので、お父様、祝福してください。  
 不完全な立場ではあっても、今同じ名前を彼らの前に命名しますので、手厚い愛をもってより一層後援の量を大きく補充してくださり、平準化基準に立つことができるように、そして復帰の氏族圏を拡大させ、国と南北統一の世界へ進展することができるように許諾してください。アジアと世界に連結させ、天の解放まで連結することができるように許諾してくださることを切に願いながら、このすべてのみ言を真の御父母様のみ名を通して宣布いたします。アーメン。」
 (真の御父母様の生涯路程③ 二 氏族的メシヤ権の宣布と還故郷活動 「氏族的メシヤ権の宣布」1989・1・3、14:24、漢南洞公館、世界指導者および全国教域者集会)
 
 ここで、私が気になるのは、まず、最初の
「1989年の元旦を迎えたのちに宣布されたこの日の上に氏族的メシヤが来るようにしてください。」
 の部分です。
「氏族的メシヤとして勝利できるようにしてください」
 ではなく、
「氏族的メシヤが来るようにしてください」
 と祈っておられます。
 また、
「祝福を受けた家庭を中心として、ここに集まった統一家と教会の代表たちの上に、氏族的メシヤとして宣布します」
 の部分ですが、ここは、素直に受け取って、私達が氏族的メシアであると理解できると思います。私達に、それぞれの氏族を復帰する使命・責任があるということは間違いないことだと思います。
 ところが、最後の段落の初めのところで、
「不完全な立場ではあっても、今同じ名前を彼らの前に命名します」
 とあります。
「不完全な立場」とは、「氏族的メシヤとして宣布」された私達を指していると思われますが、その私達に
「同じ名前を彼らの前に命名します」
 と祈っておられるわけです。
 まるで、「同じ名前」の本家・本元が存在するかのような表現と言えるのではないでしょうか。
 
 さて、先回と今回で、
「『第4次アダム』『氏族的メシア』も「『三代の継続』『中心家庭――直系を受け継ぐ一中心』という観点からすると、私達を含めた表現ではあるが、私達はその『中心』と関わるべき立場ではあっても、決してその中心ではないのではないか」
 という疑義を出させて頂きました。今後、皆様にご検討いただければありがたいです。
 
 次は、文先生の最期の祈祷です。

「今日、最終的な完成の完結をお父様の前にお返しいたしましたので、今日までの一生涯をお父様の前にお捧げしたいと思っていますので、そのみ意のままに全生涯を全うする時間を、精誠を尽くして最後の時間を備えて、氏族的メシヤが国家を代表できる名を成し、この業をすべて成した。すべて成した。アージュ」  (天暦6月26日(陽2012.8.13)の文先生の祈祷)  

「氏族的メシヤが国家を代表できる名を成し、すべて成した」と祈られた、この「氏族的メシア」とは、本当に私達のことなのでしょうか? それとも、すでに、どこかに、おられるのでしょうか? 誰かが、勝利した立場で。
「中心家庭――直系を受け継ぐ一中心」が。

(ただし、上のお祈りにつきましては、改ざんの疑いがあるという説もあります。)


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