山本 哲三さん  第3回 ~フランス留学で五月革命に遭遇しました~ | 幸せな人が集まる会社 株式会社みんなの学び場 公式ブログ

山本 哲三さん  第3回 ~フランス留学で五月革命に遭遇しました~

みなさま こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。


今日は素敵な作家をご紹介いたします。
彫刻家 山本 哲三さんです。






山本 哲三さん 1978年、ボザールのアトリエで)



前回までの片桐 宏典さん、ケイト・トムソンさんからのリレーでご登場頂きます。
     
彫刻家 片桐 宏典さん
  
第1回   第1回続き  第2回目  第3回   第4回   第5回   第6回   第7回   

  第8回      第9回   第9回リンク    第10回  第10回リンク  


彫刻家 ケイト・トムソンさん

  第1回   第1回続き  第2回   第3回   第4回   第5回   第6回   第7回  第8回  番外編  




第3回今日は、山本 哲三さんがパリに給費留学生で留学された頃のお話をお伺いしました


山本さんは留学中に五月革命という出来事に立ち合われていますが、

その革命の内容は、100年も200年も前から続くアカデミックな教育を批判する学校変革だった

というお話をお聞かせ頂きます。


山本 哲三さんが京都美術大学で受けられたバウハウスのカリキュラムを倣った美術教育が

実はアカデミックなものに対して新しく取り入れられたものだったという興味深い内容です。


どうぞお楽しみ頂けましたら幸いです。


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「4号歩専用道路修景、垂直壁及びベンチなどの景観石」

(ケイト・トムソン氏と共同制作)

田原石(閃緑岩)、H300cm

1990年

パークヒルズ田原彫刻シンポジウム(四条畷市)






「樹間シリーズ」

大理石+能勢石+鉄板+和紙

1989年

AD&Aギャラリー個展(西本町地下ギャラリー)






金環食700
「金環食」

大理石+鉄板+和紙、H45cm

1989年

AD&Aギャラリー個展(西本町地下ギャラリー)







おもかるサン700
「おもかるサン」

大理石+木材+和紙+玄武岩、H75cm

2005年

AD&Aギャラリー個展(京町堀)







かみさんのカミサン700
「かみさんのカミサン」

大理石+安山岩+木材+和紙+玄武岩、H120cm

2005年

AD&Aギャラリー個展(京町堀)






見と通し石700
「見通し石」

大理石+木材+和紙、H65cm

2005年

AD&Aギャラリー個展(京町堀)







見と通し石700
「里山の村」

伊達冠石(安山岩)+木材+和紙、H35cm

2000年

AD&Aギャラリー2Fグループ展(京町堀)






日下
山本さんは卒業後すぐにフランス留学されていますが、
これは石の彫刻をやると決めて行かれたのでしょうか。



山本 哲三さん
いや、その頃は、あんまり彫刻家でなんかやっていこうとか、
そんな意識は、まるでなかったんですね。



日下
そうですか。



山本 哲三さん
ただその当時外国へ行くということは、わりあいとまだまだ困難な時代やったわけです。
外貨の持ち出しもすごく制限があるし、1ドルがまだ確か360円かそんなんやったし。


その頃風潮的にも、とにかく外国へ出て行っていろんなものを見るということが出てきました。
外貨の割り当てはあるにしても、その範囲内でみんな一応豪華な旅行はできましたけどね。

と言うか、JALのパック旅行とかね。


僕らの若い時は、そんなにお金をかけずにヒッチハイクとか、誰かの所に泊めてもらうとか、
無銭旅行なんて言葉があったりして。
世界を見て歩くことの面白さを、新聞とか雑誌とかでも旅行紀みたいなものがとりあげられ出して
それを読む人も、わりあい出てきていました。


僕もとにかく1回ちょっと行きたいなぁ、という気持ちがあって、わりと親しい高校からの先輩が
まず行ったんですよ。それが自分でお金を出すのではく、フランス政府の給費留学生という

奨学金をもらって行くという方法があると分かったから自分もそれを目指そうと思って。
もう卒業してたから、専攻科に入ってモラトリアムの時期を作って、その間、奨学金を貰おうと。


それには一応フランス語の試験があって、通らなきゃいけないということで日仏学館の

フランス語講座へ勉強しに行きました。

まぁ、幸い京都から応募する人が少なかったのか、彫刻で受けた人がいなかったせいか、

(今から思うと彫刻科の先生方の教育方針が新しいものやった、からかな)、

ともかく奨学金がもらえたのです。



日下
素晴らしいですね。



山本 哲三さん
なんか、すごくラッキーやったですね。



日下
そのフランス留学で日本の美術教育と違いを、感じるようなことはありましたでしょうか。



山本 哲三さん
それはね。僕らの行ってた時は、パリのボザール(※)という所で、勉強できたんです。
その後は、その奨学金をもらっていた留学生でも、そこには行けない状態になったんですけど

ね。

  ※ボザールエコール・デ・ボザール



 
日下
そうなんですか。



山本 哲三さん
それは、日本の言い方にしたら誰誰先生の教室というふうなアトリエで、
毎日モデルが来ていて、とにかくそれを塑像で作るという授業なんですよ。
だから学科はそうなくて(正規の学生はそうではない)、皆が(学年関係なく)一緒くたに

やってるわけですね。


ボザールの教育というのは、先生が週2回来て、午前中9時から12時までの授業なんですけれども、
順番にここはこうだとか、いろんな話をずっと学生と話しっぱなしなんですね。
人数も一つの教室に20人位いてるんで、ひと通りそれぞれの学生に一巡しようと思ったら、
時間がかかるんですよね。本当にとにかく学生たちが先生をつかまえて喋りに行って、

ほっとかないわけです。


日本だったら先生はずっと見てて、すぐ研究室に引っ込んでしまって、学生との接触というのは、
来た学生には話するけど・・・、というふうな形なので対照的でした。


午後からは、実材を扱える所があったりとか、大きな石膏室、図書館、常時裸婦がポーズしている教室、版画室、他の所へ働きに行く学生や、どこかに遊びに行く学生や、思い思いの所に行ってました。


週の中で先生が来る2日間は、それだけの学生もいるけど、普段の時はそんなにいなくって、
まぁー適当なんです。

教室の運営は、級長さんみたいな学生がいて、例えば、石膏取りなんかの時に、みんなで買う

石膏代のお金を集めたりとか、あるいは、モデルのポーズをきめる時の先導役になったりとかね。
そういうことを学生が仕切っているような授業なんで、あんまり勉強になったという、

思いはないんですよね。(今から振り返ると、勉強のやり方を知らなかった、のですね。)



日下
そうですか~。何か意外な感じがします。



山本 哲三さん
僕は丁度11月からそこへ通いだしたんですけども、すぐに冬休み、春休みですね。
美術館なんかも、もの凄くボリュームがあるし、(セーヌ川を渡ればルーブル美術館)休みに

あちこち見学旅行に行くってことが面白いですから、友達とギリシャの方へ旅行に行ってたんです。
本当は給費生は外国に出てはいけないらしんだけれど、全然こっちが、知らなかったというか

かまへんって感じで、旅行に行たんですね。



日下
そうでしたか~。良いですね~。



山本 哲三さん
2週間ほど。帰ってきたらね。
いわゆる五月革命 っていう学生紛争が、パリのソルボンヌ大学を中心起こってましてね。
だから、美術学校のボザールなんかも全部閉鎖です。


何週間かは毎晩、カルチエ・ラタン の所で、機動隊と学生が衝突しているわけです。
そして、パリはピンコロ石の敷石でしょう。
あれを学生が全部掘りあげて、それを機動隊に向かって投げるんですよ。

 

それとか駐車してある車を道路の真ん中に引きずり出してきてバリケードを作るんですよね。
そして、自動車に火つけたり、それを機動隊が散らしに行ったりという、もの凄く激しいことも

ありましたね。
後から労働組合が学生運動に参加してですね、ジェネストなんですよ。



日下
ストライキなんですか。



山本 哲三さん
ジェネラルストライキ。交通とか、水道とか、さすがに電気は止めなかったけど公共機関が、
全部ストップしてしまったわけですね。
学校へ行くにしても(閉鎖してた)、地下鉄とか全部止まっていて、歩きでしか行けないようなね。
夜になるとデモ隊と機動隊の衝突があるので、それを見によう行きましたね。



日下
そうですか~。凄い体験をされているんですね。



山本 哲三さん
それがだいたい1ヶ月か2ヶ月くらいあって、ボザールもソルボンヌも完全に学生が
学校を占拠してしまってたわけですよ。
ところが労働者が参加することによって、どんどんそのデモの規模が膨らんで、
一時期ものすごく一大事になってしまって。
その時、ド・ゴール大統領という軍人出身の大統領やったんですけども、その人が軍隊に戦車も要請

して、パリの郊外まで戦車を持ってきて制圧するぐらいまでいったんですよ。

(後の評価ですが、学生運動で主張をアピールする手段にポスターが多量につくられ街に貼られました。
ボザールの版画教室が印刷工場の一つになっていました。ポスターの歴史では、商品などの広告以外  の 用途でポスターが作られた初めてのこととされています。)



日下
パリの市民にとっても、山本さんのような留学生にとっても大変な事態ですね。



山本 哲三さん
それから、その労働者側と政府のとの話し合いが続いて、そこまで大きくなったから
逆に早く終わったんかもしれないんですけどね。
結局、労働者の方は労働者の権利の拡大とか、それなりにの要求は通ったんですけれども。

(後に分かってきましたが、五月革命以後フランスの人たちの意識が大きく変化します。例え

ば、婚姻制度などもより自由になったなどです。)


学生紛争は、もともと学生が始めたことなんでね、それは何かと言うたら、学校の改革なわけですね。
ソルボンヌ大学なんていうのは、100年とか200年前に出来たシステムのままずっときてたわけです。
まぁ、ボザールにしても先ほど言ったように、ただ制作しているというだけのやり方やったわけです。


だからそういう学校のシステムを新しく変えていかないと今の時代ダメなんじゃないかということで、

学生たちがストをやったんですよね。
一つスローガンとして、学校の運営なんかを学校側の教授とか事務系の人たちでやる。
そこへ学生も入れての共同経営をしろとか、そんなことを結構言ってたんですね。


まぁ、実際には、紛争が終わった後もそこまで行ってないですけども、
その後一年間位はボザールにしても、ソルボンヌのパリ大学にしても、学校がストップして
その間にかなり新しいやり方を取り入れて変革をしたみたいです。


留学中の半分位はそんなで学校がなかったんで、結局、旅行とか美術館を巡ったりとかね、
自分でアトリエで制作したり、イタリアのカラーラ という所に行ったりして、大理石を彫ったりとか
していましたね。




ニッコリ工房制作

当時、カラーラのニッコリ工房を使わせてもらい制作した作品





日下
そうだったんですか~。ご自身でイタリアで大理石を彫られたのは素晴らしいですね。



山本 哲三さん
でも、行った時の内容はそんな感じで、
そのアカデミック、アカデミーというのは、まだ王様とか貴族とかがいる時代のシステムなんですよね。
当時の政治は王様たち貴族たちが握っていて、王宮や彼らの肖像を描いたりとか。
彼らが宮殿や大きなお寺を作るときには画家とか彫刻家を使うわけですけど、
ある技術のレベルに達してない人たちをそういうところには参加させないわけですから、
そのレベルを上げるための教育機関としてアカデミーというものを作ったわけですよね。


その時のやり方としてヨーロッパの場合は、ギリシャ美術、ギリシャ・ローマ美術から始まってるでしょう。
ルネッサンスというのもあってね。
アカデミーでは、それら昔の時代に作られた本物はなかなか見られないけど、石膏模型というのは

できますので、それを模刻したり、模写したりというところから始まるわけですよね。


だから日本の美術教育は、明治時代に明治政府がイタリアから彫刻の先生、絵画は絵画で

アカデミックな先生を招聘して、そういうやり方を取り入れて作ったでしょう。

東京芸大で、そういうアカデミックなやり方でずっときてるわけですけれども。
明治時代から、そういうやり方が他の私学なんかでもやられているというか。



日下
はい。そうですね。



山本 哲三さん
話が戻ってしまうけれど、そういうやり方でなく、別のやり方としてそのバウハウスの点・線・面という

考え方を参考にした美術教育をやってみようということで始めたのが京都美大の彫刻科なんですよね。



日下
とっても分かりやすくお話して下さってありがとうございます。
では、山本さんの場合は、日本で学ばれていたことの方が、当時のヨーロッパの美術教育よりも
ある意味、先を行っていたということですよね。



山本 哲三さん
先、そういうことですね。



日下
それは、面白いですね。
パリの歴史やアカデミーの由来のお話をお聞かせ頂けて、改めてとっても勉強になりました。
ありがとうございました。




開運はかり 芽の700
「開運はかり/芽の出る石(182.0kg)・見道し石(185.0kg)」

大理石+木材+和紙、H65cm

2005年

AD&Aギャラリー個展(京町堀)


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編集後記


今回、片桐 宏典さん、ケイト・トムソンさんのご紹介で、初めて山本 哲三さんにお話を

お伺いしました。
山本 哲三さんは大阪芸術大学の教授を数年前にご退職された、活動歴豊富で多彩な彫刻家で
いらっしゃいます。


片桐 宏典さん、ケイト・トムソンさんからは、1969年にオーストリアのサンクト・マルガレーテンの

採石場で開催された日本人のみ5人での共同制作の伝説的な彫刻シンポジウムに参加された
素晴らしい彫刻家のお一人としてご紹介を頂きました。


そのシンポジウムで、山本 哲三さんを含む日本人5人が制作した素晴らしい作品は
シンポジウム関係者から『ジャパン・ライン』と栄誉な名前で呼ばれることとなりました。
これから後の回で、たっぷり紹介させて頂く予定です。


山本 哲三さんはその彫刻シンポジウムをオルガナイズされた、彫刻シンポジウムの父と呼ばれる
彫刻家カール・プランテルさんに贈る冊子「ARIGATO PRANTL SAN」という、
日本人の参加した彫刻シンポジウムの記録冊子編纂にも尽力されていました。


今日は、そんな山本 哲三さんがパリに給費留学生で留学された頃のお話をお伺いしました。
私は美術においては何事もヨーロッパが先端というイメージを持っていましたが、山本さんが

留学された頃のヨーロッパの美術教育のアカデミックな昔からのもので、山本さんはむしろ日本で

バウハウスに倣った新しい美術教育を既に受けていらしたというお話が、とっても興味深く感じました。


これから数回にわたって、山本 哲三さんの彫刻の学びと活動の歴史、そして
伝説のシンポジウムについても貴重な写真資料と共にお届けしてまいります。


どうぞお楽しみに。

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◆ 山本 哲三さんのホームページ 

 

◆ 山本 哲三さん著
 「彫刻シンポジウムと共同制作
  ―日本人の参加した彫刻シンポジウムの記録冊子編纂の機会を得て―」

(大阪芸術大学 紀要)



◆山本 哲三さんが編集の一員を勤められた資料集
 
冊子「ARIGATO PRANTL SAN」のプロジェクトホームページ
 

 ビバ! 彫刻シンポジウム
 日本人彫刻家が参加した世界の彫刻シンポジウム 参加記録・作品写真集のホームページ
 


◆ 山本 哲三さんの展覧会情報

  ホームページ展覧会情報

  アートでびっくり!干支セトラ(午)展

  前半2014年12月5日(金)-23日(火)

  後半2015年1月9日(金)-25日(日)
  毎週、金・土・日と祝日のみ開廊/AM11時-PM5時
 

 Art-Setスタジオ

 〒489-0042瀬戸市中切町3TEL0561-83.0484(開廊日のみ対応)
 
Art-Setスタジオのfacebook  


山本 哲三さんの略歴


◆山本 哲三さんお薦めの彫刻シンポジウムに関するレポート

 文化資源学,文化経営学の研究者 柴田葵さんのホームページ

  彫刻回帰線
  彫刻家カール・プランテルさんを訪ねて





本日もご訪問くださいまして

ありがとうございました。



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