みんなの学び場美術館 館長 日下育子です。
今日は私より、素敵な作家を紹介させて頂きます。
彫刻家 須佐 尚康さんです。

須佐 尚康さん
第1回目の今日は、須佐 尚康さんが美術を始められたきっかけと制作テーマ、素材への思い
についてお聞かせ頂きます。
どうぞ、お楽しみに。
**********************************************

「花孔」
木彫(くるみ)
158×43×35cm
1999年
第63回 河北美術展 賞候補

「慈愛花」
木彫(くるみ)
178×45×42cm
2000年
第64回 河北美術展 東北放送賞


「天花」
石彫
200×50×50㎝
2007年
第92回 二科展入選
2007年から秋保温泉・篝火の湯「緑翠亭」ロビーに展示


「美妙花」
木彫(欅)
200×55×55cm
2008年
第72回 河北美術展 河北賞
2010年からホテルメトロポリタン仙台ロビーに展示

「尚舎」
アトリエ ドアの彫刻


「妖曲の花」
木彫(欅、着色)
140×35×30cm
2011年
第75回 河北美術展 招待作品
2012年から仙台画像検診クリニックに展示。

「震災にたたずむ女神」
石彫(黒御影石)
200×50×50cm
2013年
第98回二科展入選
2013年から仙台空港1階フロアに展示
日下
須佐さんが美術を始めたきっかけを教えて頂けますでしょうか。
須佐 尚康さん
小学校の頃、田舎で木彫りで犬や猫を制作したのがきっかけです。
日下
須佐さんが子供の頃というのは、小刀を持って遊ぶというのは普通だったのではないでしょうか。
須佐 尚康さん
そうです、小刀、鉈ですね。その頃はみんなターザンだったんです。私は昭和23年生まれで
その前後も入れた3年が団塊の世代ですから、あんな田舎でも自分の家の半径500メートルに
子どもが上級生、下級生も入れると30人位はいたんです。
今みたいに学年で20人1クラスとは違って、40~50人が3クラスもありました。とにかく人数が多
かったですね。
遊ぶところも山や川、製材所で、片づけしながら材料を貰ってきては小刀と鉈を持って、木の高さ
7メートル位まで登ってブランコをかけたり、木の上に小屋を作ったりしました。その小屋もちゃんと
屋根、床、窓を作って、床から下をのぞけるようにした3、4人は入れる小屋です。
日下
本当ですか。木の上に小屋なんて凄いですね!
須佐 尚康さん
それも雨漏りしない屋根でした。今でも子どもながらによく考えたな、と思いますが、板を張り合わ
せて、その隙間に藁縄を詰めて挟み込んで、粘土で目止めしたんです。粘土なんていくらでもあり
ましたから。本当によく作ったなと、いまだに昔を思い出します。
そういう遊びで、木の見方を自然と身につけていきました。おやつも食べるものなんて無かった
から、栗、アケビ、山ぶどうなんか食べましたね。山、木の香り、本当に昔を思い出します。
日下
それは本当に素晴らしい子ども時代でしたね。
須佐さんは、彫刻は北海道の松田与一さんに師事されたそうですね。
出会いのきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。
須佐 尚康さん
私は38歳の時に仕事で旭川に行ったんです。その時、駅舎で農民彫刻家 松田与一先生の
をたくさん並べた作品展がされていたんです。それで私は本当にじっくり食い入るように眺めて
いて、ちょうどその時、松田先生ご自身もそこにいらしたんです。でも、仕事の時間になってしま
って、「また帰りにきます」と言って仕事にいき、そそくさと終わらせてまた会場に戻ってきたん
です。
そこで、私は本当に作品に感動して、松田先生に「先生、なんとか教えて頂けないでしょうか」
と言ったら、「あんたどこの人?札幌?」と聞かれ「仙台です。」と答えたら、「それじゃ無理だし、
自分は人に教えるような者ではないから」と断られました。
松田先生は、旭川駅から30分位の隣町の東神楽町というところに自分で山を持って住んでいら
したんです。松田先生は日展に11回連続で入った農民彫刻家なんですが、有名になったのは
日展の連続入選ではなくて、札幌の雪祭りで初めて氷の彫刻、馬でしたがそれを作って有名に
なったんです。
というのも40年前は札幌の雪まつりではまだ氷の彫刻は無かったんです。そして会場も今の
大通公園ではなくて、すすきの通りで、飲みに行った人がみんな見たんです。 先生はその氷
の彫刻で注目を集めてロシア、東ドイツ、北欧など世界の国々から招待されて、東ドイツには
2回行っていますが私も手伝いで行きました。
日下
そうだったんですか。氷の彫刻は松田先生が始められたことだとは全く知りませんでした。
須佐 尚康さん
それで、駅舎での展覧会から1カ月もしないうちに先生のところに「弟子にして下さい」と訪ねて
断られ、それでも「弟子にしてもらえるまで毎月来ますから」と通い続けて6回目の時に先生の
横にいらした奥さんの方が「あんた、仙台からこんなにお金をかけて通ってくるのに、教えてやっ
たらいいじゃない」と奥さんの方が先生を説得してくれたんです。
それで先生は「あんた社長さんだって言うじゃないの。仙台から来るのだから宿泊、食事代、
指導料も一切いらないから春・夏・秋・冬ごとに1週間我が家に泊まり、それを5年間続け
られるならえる」と条件付きの許可が出て、嬉しくて、嬉しくて「お願いします!」と答えました。
日下
そんな風にして弟子になられたなんて、本当にすごい熱意ですね。
須佐 尚康さん
とはいえ、帰り道に、先生のところに弟子入りするのに、私もどうしたらいいか考えて、旭川に
営業所を作って一人だけ採用しました。先生のところに行くときは3日前に旭川に入って、そこで
その一人の社員と一生懸命、営業しました。そして制作で1週間たってから、また帰りに同じ
ところに、また仙台から来たような顔をして営業に行くんです。そうすると相手は、この前仙台
から来て、また1週間もたたないうちに「また来たの!?」という感じでびっくりして、熱意が
伝わって仕事をもらうことができました。それでものすごくたくさん仕事が取れたんですね。
日下
うわぁ、それはすごいですね! 彫刻のためにさらにお仕事も頑張られたんですね。
須佐 尚康さん
そのうちに仕事が忙しくなってきたので3年目位から、先生に「温泉付きで招待しますから、年に
4回のうち半分ぐらいは仙台に来ていただけませんか」とお願いして、仙台でも教えてもらえるよ
うになりました。(笑)
日下
須佐さんが、松田先生のご指導を受けられて、これは良かったとか、身について良かったと思うことはありますでしょうか。
須佐 尚康さん
松田先生の彫り方というのは、等身大の丸太を自作の台に寝かせて彫る方法でした。その台とい
うのは、横から見ると長さが1.5メートル位、片側の高さゼロで、もう片側は高さ30センチの傾斜が
ついたもので、台の上は丸太のカーブに沿うようにアールがついてくぼんでいて、そこに丸太を寝か
せて、ベルトで縛って彫るというものでした。作品の裏側を彫る時も、その台の上で向きを変えてい
ました。その台だと叩いて彫っている間に絶対に動かないんです。
私は作業台の上に木を寝かせて、万力などで絞めて彫りますが、どうしても動いてしまうんですね。
松田先生の彫り方はすごいと思いました。
日下
そうなんですか。私もそういう彫り方は初めてお聞きしました。
須佐 尚康さん
あと、先生に教わって良かったのは、たまにモデルを使うとき、先生は木材に3Bの鉛筆で直接
ガンガン描いて荒取りをするんですね。それも見事で、チェーンソーとか使わないんですね。
日下
紙にデッサンをしてからではなく、丸太に直接描かれるんですね!それはすごいと思います。
あと、チェーンソーとか使わないというのは、ノミだけで彫られるということでしょうか。
須佐 尚康さん
ノミと鋸ですね。
モデルさんを使うときに、ポーズをとると10分、15分位で体が持たなくなるので、休みますよね。
そういう時も先生はモデルさんを愛おしそうによ~く、見ているんですね。でもそれは愛おしい
から見ているんじゃなくて、モデルになった人の本当の良さ見つけるということだったんですね。
松田先生に「モデルの表情をよく見ないと表現できないよ」と言われて、ハッとしました。ポーズ
をとっているときにモデルさんのかたちだけを追うんじゃなくて、その人そのものを感じて彫る
ということを教わりました。
日下
そうですか~。
須佐 尚康さん
これは真似できないなと思うことでは、松田先生はモデルさんの背中や肩に実際に手で触れ
るんですね。松田先生は「本当に良いラインを手で感じて彫りたいんだ。」と仰っていました。
先生のモデルさんは近所の方で2、3人いらしたのですが、みなさんそれは分かっていらっしゃ
いましたね。でも私は、これはなかなか真似できないですね。(笑)
今の私の制作でも週に1回、モデルさんに来てもらうんですが、途中で耳の後ろとか、襟の所
とか、かたちがよくわからなくなった時、毎回モデルさんを呼んでいたら大変なので、大体人間
のかたちというのは近いですから、家内の首元を見たり、制作で迷った時に「今日は一緒に
お風呂に入って。」と言って入ってもらって、その時だけは「先生の真似だ」なんて言って、実際
に触れてみて制作することもあります。
日下
いいですね。奥様が協力して下さるというのは、円満で愛されている証拠ですね。
須佐 尚康さん
私が一つだけ、先生に褒められたことは「木を見る目はもともと持っている」と褒められたことが
あります。というのは先に話した通り、私が子供のころは、隣近所の製材所で遊んでいましたし、
大工も多くて建前をよく見たりしていたから木の見方は子どもの頃から本当によく知っていました。
日下
改めて須佐さんの制作テーマや素材についてお聞かせいただけますか。
須佐 尚康さん
ほとんどが木彫りです。5年前までは石彫も手掛けていましたが、最近はほとんど木彫りです。
一番好きな木は胡桃ですね。この頃、銀杏の立派な木をもらったのでアトリエじゅう、あの臭い
においになるのですが、頑張って彫っています。でも銀杏は柔らかすぎて難しいですね。
日下
須佐さんの作品には女性をモデルにしたものが多く、何か女性に対する愛情のようなものが感じ
られるのですが、ご自身では何か思いはあおありでしょうか。
須佐 尚康さん
私の芸術の原点は母にあります。私の母はとても綺麗な人で、そして本当に強い人でした。
そういう女性の美しさの中に秘めた本当の強さというものを表現したいと思っています。
日下
お母様はどんな方でいらしたのでしょうか。
須佐 尚康さん
私の母は、生け花、お茶、踊りができる人で、特にお花は先生をしていて近所の人が習いに
来ていました。絵も上手で、学校の先生より上手いと褒められるほどでした。
母は、福岡県久留米市の生まれで、私の父は生粋の会津人で仕事一徹の人で、その二人が
満州で出会って結婚し、日本に帰国してから、私は昭和23年に生まれました。
当時、久留米というのは博多と同じくらいの大都会でした。母が嫁いだ地は会津若松から車で、
今なら1時間ですがその頃は2時間もかかる山奥で、電気がやっと通ったばかりのような田舎に
本当によく嫁に来たと思います。
私は自分が生まれてから、母が亡くなるまで一度も母が寝たところを見たことが無いんです。
その位母は本当に田舎に嫁に来て頑張ったと思います。
日下
寝たところを見たことがない、というのは相当なことだと思うのですが!(驚き)
本当に凄いお母様ですね!
須佐 尚康さん
小学校1年の入学式の鮮烈な思い出なのですが、雪解けでビチャビチャの道を長靴を履いて
入学式に行った帰りのことです。母がふと立ち止まって、道の向こうの土手の雪解けした黒い
土から福寿草の黄色い小さい蕾が咲いているのが見えたんです。それを見て母が
「尚康、あの様な美しい花を見て何とも思わない人もいるけれど、あなたはあの福寿草に感動
するような人間になるんだよ。」と言いました。
それは今でも心に刻まれています。7歳で62年前に聞いた言葉ですが、鮮烈な思い出です。
だから私の美に関する感性は、母から来ていると思います。今でも一番好きな花は福寿草です。
日下
そうですか~。(感動。)
私自身も人の親にはなりましたが、自分はまだまだだと内心、恥ずかしく顧みながら、須佐さんの
お母様のお話をお聞きしていました。本当にご立派なお母様でいらっしゃるのですね。
小さい頃に、そういう体験をされていたとお伺いしてとても感動しました。
今日は素晴らしいお話をありがとうございました。
********************************************
編集後記
今年、須佐 尚康さんがオーナーをされている晩翠画廊が、開廊20周年とのこと、心よりお喜び
申し上げます。
私が須佐 尚康さんを存じ上げるようになったのは、私が20代半ばで河北美術展に出品するように
なった頃で、その頃は須佐尚康さんが晩翠画廊をオープンされた頃でもありました。
河北美術展では、須佐さんは事業をされていてご多忙にも関わらず、毎年どんどんレベルアップ
した作品を出品されていて、一方私は制作時間を確保するためと当時仕事は最低限のアルバイト
で時間に余裕のある制作をしていた私はとても刺激を受けておりました。 最終的には須佐さんも
私も2008年に河北美術展で招待作家に推挙されました。
かねてから須佐さんは子どもの頃から彫刻が大好きで、彫刻家になりたかったにも関わらず、
明治生まれで仕事一徹、厳格なお父様に「彫刻や絵でメシが食えるか!」と一喝され、事業の道
に進まれたというお話はお聞きしておりました。けれども今回のように詳しく幼少時代からのお話
をお伺いしたのは初めてでした。
自然豊かな奥会津の故郷での子ども時代と、お母様の一言が須佐さんの芸術の原点と知ること
ができて、とても感動しました。
次回は、須佐 尚康さんの個別の作品についての思いと、社会との接点、「あなたにとってアート
とは?」についてお聴きしてまいります。
どうぞお楽しみに。
******************************************
■ 須佐尚康(すさたかやす)さん プロフィール
・福島県金山町(奥会津)出身、仙台市太白区在住
・昭和23年(1948年)1月6日生 満69歳
・日本大学工学部卒業
・東洋ワーク株式会社 代表取締役社長
・晩翠画廊 オーナー
彫刻受賞暦
【主な受賞作品】
平成9年(1997) 河北美術展 入選 「翔太」
平成10年(1998) 河北美術展 入選 「ジャンケンポン」
平成12年(2000) 河北美術展 東北放送賞 「慈愛花」
平成16年(2004) 河北美術展 入選 「待ちぼうけ」
平成17年(2005) 河北美術展 河北賞受賞 「無言の花」
平成19年(2007) 河北美術展 東北放送賞 「夢幻花」
〃 第93回 二科展入選 「天花」
平成20年(2008) 河北賞受賞 河北賞受賞 「美妙花」
同年より 河北美術展 招待作家に推挙される
■須佐 尚康さんが掲載されているWEBページ
◇東洋ワーク株式会社
◇晩翠画廊 (須佐 尚康さんがオーナーでいらっしゃいます)
◇りらく 「顔」語りシリーズ 須佐 尚康氏 - 東北情報ポータルサイト
◇東北障がい者芸術支援機構 代表の挨拶
◇須佐尚康 / 震災にたたずむ女神 | @ART
本日もご訪問、ありがとうございます。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::
★無料メルマガ【1114(いい石)通信】
メルマガ登録のお申し込みは
★コチラから★
★ 34th 彫刻さんぽ at 彫刻工房くさかアトリエ
11月12日(日)13:30~開催いたします。
11月12日(日)13:30~開催いたします。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
★☆ アーカイブス ☆★
学び場美術館登場作家リスト
学び場美術館登場作家リストⅡ
学び場美術館 登場作家リスト Ⅲ ー2014
学び場美術館 登場作家リスト Ⅳ ー2015
学び場美術館 登場作家リスト ⅴ ―2016
↓こちらも
にほんブログ村 ← ポチっとおしてね!