彫刻家 渡辺 知平さん(再放送)第1回~自分のものを作れるようになった頃  ~  | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

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生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」

みなさま こんにちは。

彫刻工房くさか 日下育子です。


今日は素敵な作家をご紹介いたします。

彫刻家の渡辺 知平さんです。



渡辺 知平さん


前回(※2014年1月)登場の杉 英行さんからのリレーでご登場頂きます。

  彫刻家 杉 英行さん 第1回  手記  第2回   第3回   第4回   第5回  


第1回の今日は、渡辺 知平さんが彫刻の制作を始めたきっかけについて
お話をお聴かせ頂きました。


また渡辺 知平さんがここから自分の作品が作れるようになったきっかけと感じられている
1984年制作の作品についてお聴かせ頂きました。


2014年2月6日のインタビューを再放送でお送りします。


どうぞお楽しみ頂ければ幸いです。


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n1子供達の夜2013 
子供たちの夜  2013
木 鉄 布 ガラス



m

種子の在る風景
木 ガラス アクリル 水 種子
2700×1500×300
2012年



l2
MIZU NI TATU HITO  VERSION B
1150×200×70
アクリル 木 金箔 水
2013年




e3

水面
鉄 ガラス 水 石 鉄筋(H2000)
900×900×70 6~9ピース
2010年



b1

作品
鉄板 石
500×500×500
1984年




b2

b3
作品
鉄板 石
800×400×300
1984年



日下
渡辺 知平さんは杉 英行さんの後輩でいらっしゃるのですね。



渡辺 知平さん
僕は杉さんとは大学では多分、重なっていないんじゃないかと思います。
杉さんは、知人から多摩美の先輩ということで紹介して頂いて、
それから付き合いは長いです。




日下
美術大学に入られたということは、
お若い頃から美術を志していらしたのですよね。



渡辺 知平さん
制作のきっかけという意味ですと、父親がずっと絵を描いたんです。
絵描きになりたかったらしいのが、家長で家を継ぐので諦めて、
趣味で絵を描いたり、ちっちゃな仏像を彫ったりしていました。


環境的におじさんも絵を描いていましたから、
気がついたら彫刻を作っていた感じなんですよ。
だから特別なきっかけは、あんまりなかったですね。


もちろん絵が好きで、 浪人する時に絵は独学でも描けるなと想いましたが、
彫刻は習ってみないとどんなものかわからないなと想って。
大学に行くなら彫刻を勉強してみたいと想ったんですよ。



日下
そうでいらしたんですか。
杉 英行さんは多摩美大で建畠覚造先生に習ったというお話しでしたが、
渡辺さんは師事された先生はいらしゃいましたか。



渡辺 知平さん
僕の頃は、そういう有名な先生方は学園紛争か何かでいなくなっちゃっていました。
そう言ったら当時いらした先生に失礼になっちゃいますけど。

僕は土谷武さん が好きなんですが、彼もいなくなっちゃっていました。
もう亡くなりましたけどね。
   
    

日下
そうですね。
土谷さんは、日本の現代彫刻の一時代築いていらっしゃいますよね。



渡辺 知平さん
そうなんです。
だから当時は、土谷さんにしろ、建畠さんにしろ、
彫刻家はそうそうたるメンバーがいたんですけど。
僕がいたときは皆さんもう出られていてあいにくだったんですけどね。



日下
そうでしたか。
彫刻は習ってみないと分からないとのことでしたが、
実際にはいかがでしたか。



渡辺 知平さん
僕は浪人したものですから、代々木ゼミナールに芸大科という所があって
もう一人美術クラブにいた岡崎君というのと九州から上京して、
彼は絵の方で、僕は彫刻で二人でゼミナールに通っていました。


そこで、粘土の塑造と石膏デッサン。
これは高校の時から多少はやっていましたけどね。


それで、僕は絵や色彩は自分ではあんまり得意じゃないと想っていたんですよ。
その岡崎君というのは色がとても良くて、すごいな―と想っていて。
だから彫刻科に入った訳でもないんですが、彫刻科を選んで良かったなと想いました。


選んで良かったというのも言い方は変ですが、面白かったです。
子供の時の工作なんか、作るということはもともと好きでしたから。



日下
そうですか。
美術は、ご家族やおじ様も作っていらして、環境はおありだったのですね。



渡辺 知平さん
そうですね。環境はありました。
まあ、あの親も僕が絵を好きだということを理解してくれていましたし、
だから、美大に行くことも積極的に応援をしてくれていたと想います。



日下
失礼かもしれませんが、東京で2年間浪人をされたというのも
裕福でいらっしゃるのかな、と感じるのですが。



渡辺 知平さん
そうでもないです。父親は浪人の1年目に亡くなっているので。
家が何件かあったものですから、母親が下宿なんかを始めて
高校の学生さんを置いたりして。
まあ、その辺は僕は良くわかりませんが、なんとかやらしてくれました。



日下
そうだったのですか。
素晴らしいお母様ですね。

今回送って頂いた作品写真は割と近年のものですね。



渡辺 知平さん
そうなんです。
唯一古いのは、庭に置いてあるんですけど、
石の作品で草の中にあるものです。


鉄板をバ―ナ―であぶって、留めてあるものなんですけど。


自分がアートだと想い始めた作品はこの頃からです。
それまではグループ展中心にやっていて、まだどういうものが自分のものかモヤモヤしていた。
昔の作品がアートじゃないとは言えないんですけども、
この頃から、自分のものを作れるというか、そんな気がしましたね。



日下
それまでには素材的には、塑造とか木とかだったのでしょうか?



渡辺 知平さん
僕は、木彫と言ってもカーヴィングじゃなくて、
いろんな板っきれを使ったり、板を使って柵を作ったり。
今の作品とそう遠くはないんですが。


学生の時は木彫をのみで彫ったりするのは作っていましたけど。
卒業してからは、丸太を彫るというのはあんまりやっていなかったんですね。
嫌いじゃないんですけど。



日下
石を鉄板で覆ってあるものは、私の勝手な印象ですが
もの派に近いのかな、でも、少し違うかなとも感じますが。



渡辺 知平さん
もの派は人気がありましたよね。
当時、もの派の時代から少し時間は経っていましたが、
多少影響は受けていると想いますよ。


長野で彫刻シンポジウムみたいのがありまして、多摩美と他の所もいましたけど。
そこに参加した時に、作品を作るつもりはなかったんですけど、
木は提供してもらえるというので鉄板とバーナーと酸素を積んで持って行って。


当時、材木、古木なんかを見つけて
鉄板をバーナーで切って貼るような仕事をしていたんですよ。


それで、近くに石を採る場所があって見学したら、
大理石をタダでくれると言うんでもらってきて。
鉄板は現地に持って行っていっていましたから
急遽、現場で作品を作ったんですね。


構想も何もなかったですが、石をずーっと観ていて、
ああ、じゃあこうしようと、石を観ながら鉄を叩いていって。



日下
大理石が取れるということは佐久のあたりでしょうか。
長野で佐久彫刻シンポジウムというものがあったことは知っています。



渡辺 知平さん
ああ、そうです。その近くです。
私は余りあの辺は詳しくないんですが
佐久から少し離れた小さな山で、有名な石切り場ではないと想います。


山の表面に水で削られたような石がバラバラとたくさんあって
この石なんかは、あんまり使いものにならないような石だったんですね。



日下
面白い作品ですね。
石の表面に鉄板を添わせていくのに叩いてとか・・・。



渡辺 知平さん
そうなんですよ。
丁度、金物屋さんに行ったら、コンクリートに直接、利かせるビスというのが
売られていたんですよ。
これがあれば、少しずつくっつけながら、バーナーで叩いて行けば
ある程度出来るんじゃないかと想ってやって見たら、結構うまくできて
それでしばらく、何点かは作りましたね。



日下
それはドリルなどで穴を開けなくても利くものなのでしょうか。



渡辺 知平さん
いいえ、下穴は開けるんですけどね。
普通はカールと言って、鉛やプラスチックのものを入れてから
ビスを利かせるんですが、それが必要無くて、下穴に直接入れられるビスだったんですね。
特に大理石で柔らかいですから、まあ可能だったんでしょうけど。



日下
面白いですね。
この頃からアートという感覚が芽生えてきたのですね。



渡辺 知平さん
そうですね。作りたいものがどんどん出てくるようになりました。



日下
何かこの作品が変化点になったということでしょうか。



渡辺 知平さん
そうですね。
モデリングじゃないのでフォルムからものを作っていくということは余りやらないんですよ。

一つの素材をずっと追求していくとか、フォルムとかというのは
あんまり僕の作品作りにはないんですよ。


だいたい、素材をどう扱って行くかということから始まって
基本的には木と鉄ですかね、あと、ガラスとか、アクリル、水
とかも使いますけど。




日下
そうですか。
拝見していて、やはりガラスは特徴的だと想いました。



渡辺 知平さん
ガラスはこれからちょっと後で、
90年の後半ぐらいから使い始めたのかな。



日下
では、次回以降、ガラスを使い始めた経緯を楽しみにおうかがいいたしますね。
今日は、ここまで、ありがとうございました。




a1

子供達の夜 2005
鉄 ガラス 布
1800×450×400

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今回、杉 英行さんからのご紹介で、初めて渡辺 知平さんのお話をお聴かせ頂きました。


渡辺 知平さんは2010年頃まで「子供たちの夜」という題名で作品制作をされてきました。


一つの素材に限定せず、木、鉄、ガラスなどいくつかの素材から
独特の雰囲気の作品を作られています。


それは、渡辺 知平さんが子供の頃の、
眠ると向こうの世界に行ってしまうのではないか、という不安な感覚や
何かしら此岸と彼岸の意識を根底にもっていらっしゃることから来るのではないかと感じました。


そしてそれらの作品は、観る側にとっても、その人それぞれの
今現在と過去という記憶を行き来させてくれる、不思議な入り口になるように感じます。


渡辺 知平さんはいつも新しい作品を作るときは、手技的には荒々しくても、
窮屈な感じがなくて好き、制作はいつも楽しいと仰っていました。
その制作の姿勢もとても素敵だなぁと想いました。


みなさまもぜひ、渡辺 知平さんの彫刻作品をご覧になって見てはいかがでしょうか。


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◆渡辺 知平さんが登場するWEBページ
  
 ◇  
自由美術協会公式ウェブサイト

 ◇  渡辺 知平さんの紹介ページ
 

 ◇  ハマ展:横浜美術協会ホームページ


◆渡辺 知平さんの経歴 


1949 大分県に生まれる
1970 多摩美術大学入学
1974 同大学卒業
  以後、グループ展、個展にて発表
2001 横浜美術協会展出品 協会大賞受賞
2002 同展横浜市教育委員会賞受賞 会員推挙
2009 自由美術展 佳作賞受賞
2010 同展 佳作賞受賞
2011 同展 現代彫刻美術館賞受賞 新会員

 


本日もご訪問下さいまして、ありがとうございました。


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