一昨日無事にホスピスへ入院した母。
手続きを済ませ、妹と2人久々にゆっくりそれぞれの自宅で眠れました。
母を1人実家に残していた夜から解放された安堵感もありました。
昨日、旦那や娘を送りだした後、気が抜けたようにボ~~っとしていた時、私の携帯が鳴りました。
入院したホスピスの看護師さんからの電話でした。
夜から呼吸が顎での呼吸になってきたこと(去年亡くなった父のときと似ています)や、血圧が50くらいまで落ち込んでいること、脈が手首では計れず肘の内側で計れるものの、まるで全力疾走した後のような速さであること・・・などを伝えられ、お別れが近いであろうということでした。
妹にも連絡をし、午前中にまたホスピスへ出向きました。
もう声も聞くことができない状態。
鼻のチューブだった酸素がマスクに変わっていました。
手足がもう真っ青になっていて、冷たかった。
でもまだ一生懸命息をしていました。
妹と2人、今日はここに泊まらせてもらおうかと話し、そんな時でもお腹がすくんだね~なんて言いながら、病院の真ん前にある24時間スーパーでサンドイッチやお茶を買って病室に戻り、母をはさんでおしゃべりしながら食べて…
午後1時半を回った頃から急に呼吸の間隔が長くなってきて…慌ててナースコールを押す。
「母の様子を見に来てください
」と。
どうやらいよいよ母の呼吸は止まりそう……
妹と2人、母の手を握って、腕や頭や顔をさすって呼びかける。
ずっと閉じたままだった母が目をうっすらと開け、一呼吸して目を閉じた。
母が逝ってしまいました。
私たちがいるのがわかったんだろうか![]()
病院へ入ってからは痛みも取れたようで、もう母の眉間にしわは無かったです。
手術をした後が痛々しいけれど、可愛らしい母はそのまま私たちの記憶に。
病室の窓には桜の花びらが貼りついていました。
父が迎えに来てくれたのかもしれません。
涙が止まりませんでした。
亡くなってから看護師さんたちが母にシャワーをしてくれて、持ってきていた新しいパジャマに着替えさせてくれて・・・
その間に父の時にお世話になった葬儀社さんへ電話をしました。
父の時にも担当をしてくれた方が驚いて折り返しの電話を。
母の葬儀もその方に担当していただくことができました。
母が綺麗になって病室へ戻ってきてから、看護師さんと一緒に母に エンジェルメイク をしました。
もともとそれほど化粧っ気がある母ではなかったですが、外へ出るとき、人前に出るときはこんなに近場でも必ずベースメイクだけはしている人でしたから。
紅もひいてあげて、綺麗な顔になりました。
葬儀社さんがお迎えに来てくれて、門の外で母を見送るときもその場にいたホスピスのかたがみなさんでお見送りしてくれました。
たった一晩の入院でしたけど、とてもよくしてもらいました。
その後母を追いかける形で私たちも病院をあとにして、タクシーで葬儀社さんへ。
葬儀の打ち合わせやお花を決めたり、焼き場の予約を入れたりという事務的なことが進みます。
最終的な見積もりを見たら・・・ほぼ父の時と同じくらいの金額になりました。
父の時よりグレードアップした食事用意したんだけどね![]()
実家に戻り、母の遺影に使えそうな写真を選び、母の棺に入れたいものを用意しました。
母がずっと長いこと趣味にしてきたパッチワークの作品や生きてた頃に私の時にはこれを入れてっていわれてたものとか。
その時に母が作って愛用してたパッチワークのバッグがたくさん出てきました。
殆どは私や妹や自分の姉妹や姪っ子たちにあげてたけど、それでも長年の趣味でしたから結構残されていて、私、たくさん持って帰ってきちゃいました。
もう2度と作ってもらえないんだなぁって思ったら、どれ一つ捨てられない。
そして、今日の夕方には 母の納棺式 があります。
今日休暇を取ってくれた旦那と一緒に参列してきます。
またいっぱい泣いちゃうよ。
今もブログを更新しながら泣けて泣けてしょうがない。
もっといっぱい話したかった。
もっといっぱいお出かけもしたかった。
母の手料理ももっと教わりたかったし、食べたかった。
ごめんね。でも愛情をいっぱいありがとう。 ジジと会えてるといいな。
母はすごく頑張りました。
とても疲れたんだと思います。
もう頑張らなくていいんだよ。 向こうでもジジと仲良くしてね。