イスラムは平和の宗教か? | イスラム、コーランを知ろう!

イスラム、コーランを知ろう!

実際にコーランを引用し、理想ではなく現実に基づいたイスラム情報を発信します。

 

 

イスラムを知りましょう!

 

 

 

コーランは、元は口頭で伝えられていましたが、ムハンマドの死後本としてまとめられたものです。厳密には、アラビア語のコーランしか、コーランと呼ばれません。訳書は本物でないとされています。

しかしそれを気にして、アラビア語でないとコーランを学べないと思うのは勿体ないです。進んで訳書を読みましょう。

翻訳自体が禁じれていると誤解する人がよくいますが、翻訳は禁じられていません。

英語圏の人は当たり前のように英語訳を読んでいますし、意外かもしれませんが中東よりアジアの方がイスラム教徒人口が多いのです。彼らも母国語で読んでいます。一冊の本を読むために、難関な外国語を習得しているような余裕がある人はそうそういませんし、アラビア語じゃないと理解できない、と言ってアラビア人以外に読ませないのはおかしいと思いませんか。だって、全知全能の創造神のことばでしょう?

 

 

コーランは神の直接の言葉であり、人間の書いたものではないとされています。

この21世紀になっても、イスラム国家はコーランを元にしたイスラム法(シャリーア)で政治をしています。

 イスラム教徒はコーランを完璧な本と言います。歴史上最も優れた本であると。

しかし・・キリスト教徒の多くが聖書を読んでいないように、イスラム教徒の多くは(特に欧米の、イスラム圏外のイスラム教徒は)コーランをちゃんと読んでいません。

なのでイスラム教徒を名乗りながら、コーランやハディースを詳しく知らない人は多いです。

逆に、イスラム原理主義に近い地域ほど、コーランが生活の中心になり、コーラン全暗記が目標とされます。

(イスラム教徒は優秀であれば10歳未満でコーランを暗記したりします)

 

 

 

 

コーラン9:5有名なverse of the sword(剣の節)。

「〜多神教徒を見つけ次第殺し」

https://ameblo.jp/mmj452/entry-12598547947.html

この節は別記事で詳しく解説しております。

 

 

 

9:28『多神教徒は実に不浄です」

 

9:29「アッラーと最後の日を信じない人たちや、アッラーとかれの使徒が禁じたことを禁じない人たちと、戦いなさい。また啓典を授けられた人(ユダヤ、キリスト教徒)の中で、真理の信仰を認めない人たちとは、かれらが自ら進んで税(ジズヤ)を納め、屈服するまで戦いなさい。」

最後の文は英語訳では、until they pay the jizyah with willing subbmission, and feel themselves subdued.

日本語訳は言葉が少し優しくなってますが、自ら進んで(自分から払いたいという気持ちで)税を払い、屈服(降伏)するまで戦えと言う意味です。

日本人は、ジズヤが大好きで、「金を払えば自分の宗教を保てた」と、これがいいシステムであるかのように皆語ります。もう一度よく考えてください。

特定の信仰をしている人たちが、税金を払わなければいけないのは、迫害です。

ユダヤ、キリスト教徒はジズヤで守られていたのではなく、ジズヤを払わされ、さらに迫害されていたのです。

アッラーは、「信仰を守りたくば税を払いなさい。さすれば許されるでしょう」と言ったのではありません。

直前の文を読んでください。

「たとえあなた方(イスラム教徒)が貧困を恐れても、アッラーが御望みになれば、かれの寵愛によって、すぐにあなた方を豊ませるでしょう。」これが文脈です。どう言う意味に聞こえますか?

この節が啓示された頃、ムハンマドはメッカを征服した後で、カーバ神殿への、イスラム教徒以外の巡礼を禁止しました。(元々多神教の神殿だったが、多神教徒は近づくことすら禁止された)クライシュ族(ムハンマドの部族)は、これにより交易の利益が減ることを懸念しました。そこで、最上なるアッラーが、教徒の収入源となるものを、啓示したのです。(この解説は、最も信頼されるイスラム学者、Ibn KathirによるThe battles of the prophetより)

つまりそもそも初めから、保護を目的とした法ではありません。命を脅せば金払ってくれるよ、って事です。

628年、ムスリムはユダヤ人の重要な拠点であるカイバーに進攻した。カイバーの戦いでムスリムがユダヤ人に勝利した際、ムスリムは降伏したユダヤ人にジズヤを払わせたが、これは毎年農作物の半分を払うと言うものであった。(sahih al bukhari2338)

抵抗者皆殺し、降伏すれば所得税50%。どう見ても「保護」。

 

 

コーランには、ユダヤ、キリスト教徒を、直接名を出して批判する節が多数あります。(かなり多い)

イスラム教徒はユダヤ、キリスト教徒を嫌えと、神から指令されているのです。

 

 

33:36。これは、アッラーとムハンマドの指示に完全に従わなければいけないという指令。少しでも神と預言者に疑いがあればイスラム教徒ではないとする。

 

敬虔なイスラム教徒は、神を疑ったさい、すぐさま許しを請うように訓練されます。かなり小さい年齢から。 神と預言者を疑う事自体を恐れるようになります。 

 

 

 

3:31、アッラーは信仰を拒否する人たちを 愛さない。アッラーは無条件の愛ではない。先にアッラーを愛した人間だけが、アッラーに愛されるのです。

 

 

 

非イスラム教徒は、被造物の中でも最悪で、永久に地獄の火の中に住む。

この訳はやや誤魔化しがあり、多神教徒、啓典の民でも、自分の宗教を信じれば天国に行けるかのようにも聞こえます。ですが英語訳を確認するとはっきりと「イスラムを信じない人」と書かれています。

イスラムでは全ての人間が天国に行く、と言う人がいますが、そう言う人は実際のイスラムの神の言葉を聞いていません。イスラム教徒以外天国に行かないと言うのは、何度も明確に書かれています。

※ちなみにイスラム上では、ユダヤ教の預言者達やキリストはムスリムだった事になっているので、彼等は天国にいます。

 

コーランにはとにかく苦痛(地獄)の脅しが多いです。聞き飽きるくらい多いです。

従わないと地獄の苦痛が待ってるぞ、と何度も何度も書かれます。だがアッラーは慈悲深い、許しの神だと。

DV加害者の発言だよね

 

 

 

9:111。

偶然にも、9.11事件とかなり関わりが深い節なんで、9章111節と覚えやすい。

 これはアッラーのために(イスラムを広げるために)戦って死ぬと天国に行けるという節。

そういうわけじゃないだろ、という擁護は不可能です。

コーランに次ぐイスラムの啓典、ハディースでムハンマドははっきりと言います。最高の死に方は戦って死ぬ事、イスラムのために戦うのが最も高貴。アッラーのために死んだ戦士は天国の中でも最も良いところへ行きます。

そこには72の処女がおり、彼女らと無限にセックスをする事ができます。

 

 

 

 

 

 

2:216 不信心なままで死ぬ人は地獄へ行く。

つまりイスラムを信じない人は地獄へ行きます。

 

 

こちらもだいたい同じ。信じない人への罰は何度も何度も繰り返し書かれます。

 

 

ユダヤ、キリスト教徒へ。思い込みをするな。証拠を出しなさい。

 

 

4:156 キリストはアッラーの使徒であり、十字架にかけられて死んでいない、それは幻覚だったとする節。

イスラム教徒は幼少期からこれを学び、「キリスト教徒はキリストが神だという間違いを信じている」という風に教わります。

イスラム教は聖書も聖典として認めている、と学校で習いますが、それは半分正しいですが、半分嘘です。

ムハンマドは初期の頃は聖書を聖典として認めていました。彼は預言者として、ユダヤ人に受け入れられると思っていたのです、しかしユダヤ人は彼を預言者として受け入れなかった。その後ムハンマドはかなりのユダヤ嫌悪になった。

ムハンマドは学者ではなく、ちゃんとした聖書の知識がなかったため、コーランは実は多くの点において聖書と矛盾する

この矛盾について、イスラム学者は、「聖書が汚されている(改ざんされた」とする。

だが聖書が改ざんされていない事は明らかである。

イスラム教側からすると、ユダヤ・キリスト教の預言者も皆ムスリムであったとする。

何と多神教徒であったであろう、アレキサンダー大王ですらムスリムであったとする。

※ムハンマドは文盲だったと考えられている。彼は聖書の内容を人から聞いた話でしか知らず、聖書の正式の内容と、聖書に含まれない神話(当時アラビア語半島には多かった。アブラハムが火から生まれた、ソロモンが動物と話した、等 )の分別は出来なかった。キリスト教の三位一体を、父と子と聖霊ではなく、父と子と「母」だと言ったりした。

彼がユダヤ教徒たちに預言者として受け入れられなかったのも、彼が旧約聖書の内容を正しく知らなかったからである。 

 

これは非常に重要なんですが、日本人はほとんど知りません。学校教育が明らかに親イスラムのためです。(ムハンマドの都合の悪い情報は何一つ教えてくれない)い。

 

ユダヤ、キリスト、イスラムの神が同一の神だ、と言うのも世界史の授業で習う嘘です。

それは単なる理想であり、それぞれの聖典を読めばそれぞれの神は全く性格が違う事が分かります。

旧約と新約の間ですらかなりの違いがあり、「神は旧約と新約の間でカウンセリングを受けた」などと揶揄されるくらいです(旧約の神は非常に嫉妬深く暴力的で、原始的で、ユダヤ人にしか関心がないが、キリスト教の神はキリストを含む三位一体で、全人類を無条件に愛しているとされる。アッラーはムスリムしか愛しておらず、ユダヤ、キリスト教徒を嫌う。ムハンマドだけ特別に愛し、彼にだけ欲しいものは全て与える)

実際に存在しないものを同一かどうか議論すること自体、おかしいですけどね。どうせ祈りを聞いてる神はいないんだから。

 

5:51 ユダヤ、キリスト教徒と友達になるな、友達になれば彼らと同類だ。彼らは彼ら同士で友達だ。とする節。

擁護者という訳は、分かりにくいです。友達と言った方が近い。(英語訳ではfriends でした)

  

3:28、イスラムを信じない人と友達になってはいけない。

そうする人は、アッラーと関係なくなる。

キリスト教徒と仲良く暮らすイスラム教徒は、世界中にいくらでもいますが、彼等はコーランを全部読んではいないのかもしれません。

 

 

 

9:30 アッラーが、ユダヤ、キリスト教徒の撲滅を願っています。

 

 

 

 

48:29 イスラム教徒同士は友愛に満ちていますが、信じない人には「手を抜かず」。

手を抜かずというのは変な訳ですが、英語ではsevereという訳になっています。シビア、厳しい、という意味。

 

 

3:85 イスラム以外の宗教は認められません。

 

文脈で言うと、イスラム教徒以外は神に受け入れられません。

 

 

9:123、近所の非信者と戦いなさい。

 (アラブ人の)(悪に対して)と言う部分は英語訳には存在しなかったです。

文脈的には、戦うのは悪に対してではなく、非信者に対してだと思いますが。

意思堅固であることを、彼らに知らせなさい。つまり、譲るな、諦めるなということ。

 

全知全能の神が、誤解の恐れがある言葉を使うと思いますか?わざわざ解釈しなきゃいけない言葉を使うと思いますか?悪と戦って欲しいなら、「悪と戦え」と言えば良いですよね。

 

 

 

4:34 非常に日本語訳が悪いが、「ある人びとに他よりも多くを恵まれたからであり、」は男が女より優れているという意味です。(まるでそれを隠そうとしているかのような翻訳だが、英語訳を読めば明らかにそういう意味だと分かる。また岩波文庫のコーランははっきりそう書いてあります。)

 

そしてその続きは、従わない女は打て、という指令。

訳者が擁護 として、女を打ちなさい、の前に(最終手段として)と書き込んでますが、原文に最終手段として、とは書いていません。英語訳にも書いていませんでした。

 

コーランには女性差別とミソジニーが たくさんあります。女性が最も苦しんでいる国がほとんどイスラム圏だという事と、関係はあるのでしょうかね?

 

4:15 では、レイプの証明には男性4人の証言が必要です。これがない場合は、鞭打ち80回。(24:2)

2:222 月経中に女には、かの女たちが清まるまで(月経終了後の全身沐浴)近づいてはいけません。

月経中の女性が不浄である事についてのハディースはこちらをご覧ください

33:33「預言者の妻たちよ、あなた方の中で明らかにみだらな行為を犯した人には、苦痛が倍加されます。」これは神から直接の言葉で、ムハンマドの妻たちへ、不倫をするなと言う命令。(ちなみにムハンマド自身はかなり不倫しています。)

2:282 女性二人の証言は、男性一人の証言と同じ価値。女性が知的に劣っているからとされる。「もし二人の中の一人が間違えても、もう一人が正すことができるからです」

65:4では、「まだ月経のない人」との離婚方法が書かれているため、初潮前の女の子と結婚できる事が示唆されている。コーラン学者はそれを否定しない。

 

 

 

47:4 不信心な人とまみえるときは、首を打ちなさい。

これはイスラム国自身が、殺人の正当化として語った節です(※※本当。ちなみにその際欧米のニュースメディアは「この節は殺人を指令してない」、と否定。)

 

また訳者のイスラム擁護として、(戦場で)と付け加えられていますが、もちろん、これも原文では存在しませんよ。英語訳にもありませんでした。

勝手に文章を変えて、神のメッセージを変えるのはいい事なんでしょうかね?訳者さん。

 

 

 

 

8:12アッラーは信仰しない人たちに恐怖を与える。あなた方は彼らの首を打ち、指先を打ちなさい。

 

 

 

 

 

コーランを読み始めてすぐ、2:6〜2:20は、だらだらと、偽信者への罰が書かれます。

アッラーは、異教徒や不信心者だけでなく、偽信者も地獄へ落とします。 

ムハンマドは、武力と命の脅しで、アラビア半島の多神教徒たちを改宗させましたが、命惜しさに改宗した人々が多く、彼らは本当にアッラーを信仰していたわけではない。

「彼らの心には病が宿っているので、アッラーはその病をさらに重くされます。嘘をついてきた報いとして、彼らには激しい苦痛が与えられます」

 

 

9:61「アッラーの使徒を侮辱する人には、激しい苦痛があります」

9:63「彼らは知らないのでしょうか、アッラーと彼の使徒に反抗する人には、地獄の火があり、その中に永遠に住むことを。」

9:68「アッラーは約束しました。偽信者と非信者が、地獄の火の中に永遠に住むことを。彼らにはこれで十分です。アッラーは彼らを拒否し、彼らには永遠の苦痛があるでしょう。」

9:73「預言者よ、非信者と偽信者に対して奮闘努力し、彼らに厳しく対処しなさい。彼らの住まいは地獄です。」

 

 

 

5:32

これはイスラムが殺しを否定しているとする主張に使われる節。コーランの中の名言の一つでもあります。

「人一人を殺すものは、全人類を殺したに等しい、また人一人救うものは、全人類を救ったに等しい」。

しかしこれを引用する人は文脈を言いません。

これは偉大なるムハンマドが、弟子たちに諭した言葉ではありません。

アッラーが過去にイスラエル人に書き記した言葉です。

これは創世記にて、カインがアベルを殺した事についてです。アベルを殺すことにより、アベルの子孫が皆生まれなかった、と言う事です。

神は全知全能で、ムスリムによるとコーランは完璧な本、主張ははっきりしているので、神は「人よ、どのような理由があっても殺しあってはなりません」と言えばよかったものの、そうは言ってません。

この節はよく読めば、殺してはいけないと言う文章ではありません。

 

これを引用する人は、直前に、「人を殺し地上に腐敗を広めたという理由なく、」と書かれているところを抜き取ります。人を殺したり、地上に腐敗を広めた人は別(殺しても良い)んです。

この節は人を殺したらどうなるのか、を語っているだけで、これを殺すなと解釈するには無理があります(他の、殺害を命じる節を無視してまで・・)

ちなみに「信者は信者を殺してはいけません。過失は別として。」と言う節はありますが、信者限定です。

 

そのすぐ下、次の節5:33では、アッラーと戦うものは殺せと書いてある。面白いですね。

イスラム擁護に使われる節のほんのすぐ次に両手両足を切断しろって書いてあるのは、興味深いです。

ちなみにそのちょっと後、5:38では盗人の両手を切断しろと書いてあります。

 

 

イスラム系サイトを見てみましょうか。

 

イスラム 平和 で検索したら信憑性の高い()サイトがたくさん出てきました!

 

先ほどの5:32を引用してますね!

ん?イスラムという単語の意味が平和だって?初めて聞きました。

submissionだと思っていたのですが。

 

 

 

承服。「人の意見を受け入れる」「体や心に受け入れて従う」

神への承服ですから、「神の意見を受け入れる」「神を心に受け入れて従う」と言う事になります。

 

これがイスラームの意味です。かなり宗教の本質も表しています。

受け入れる、従う、のが信者としての徳であり、目指すべき高みなので、それと逆方向である神への疑い、批判などは「できない」のです。

「考える」事も「議論する」事も決して徳ではないのです。

 

日本アハマディアムスリム協会は故意的に嘘をついたね。

基本的に海外のムスリムの主導者たちも恥ずかしげもなく嘘をつくの知ってるので、特に驚きではないです。

信者はなんでも言うことを信じますし、ソースを自分で確かめたりしませんからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、この記事はムスリムを攻撃するつもりで書いたものではありませんので、信仰心を侮辱されたと感じる方には謝罪いたします。

当然ですが、イスラム教徒のほとんどはテロリストであるとは思ってないですし、そう主張するつもりも一切ありません。

しかし、コーランに実際に書いてある内容と真逆のことを言う書籍やメディアには呆れます。

「他の宗教に寛容で、戦争を否定するイスラム」は、ムハンマドとコーランを通したアッラーの宗教とは別の宗教です。

その別のイスラムは、現代化したイスラム教徒が、現代の価値観に合わせてイスラムを再解釈したものです。

イスラムを定義するのは、アッラーとムハンマドです。 現代人の理想ではありません。 

 

 

 

 

コーランに次ぐ聖典、ハディースについては、こちらの記事をご覧ください。

 

ジハードについてのハディースはこちらにまとめてあります。

 

 

 ※コーランに、コーランを燃やすなという節はない。何故ならコーランがムハンマドを通して啓示されていた頃は、まだ本ではなかったからである。コーランは、初期の頃は統一されていなかった。統一させるために、決まった種類以外のコーランが燃やされた歴史もある。

コーランを燃やす事がタブーなのは、イスラム教徒が脆すぎるからでしかない。聖書を燃やしてもキリスト教徒は怒らない。そのため、イスラムだけが特別な地位を持つべきでない、として、アメリカなどでは 「コーランを燃やす日」などが開催される。これは差別だ、イスラム嫌悪だと否定される事が多いが、コーランだけが燃やされてはいけないのは、表現の自由と思想の自由に反すると、開催者は考える。

米軍は、軍事行動中にコーランに出くわした際、慎重に、尊重して扱えと指令されているが、なんらかの理由で不必要になった聖書は焼却破棄した。というケースがあり、話題になった。

 

 

 

 

帯の「イスラームが人間的に成熟することなしでは実践できない成人の宗教」に吹き出しそうになりました。

 

 

 

中田考氏「ムハンマドとアッラーの指示に従う人は(ぼくのかんがえた)イスラームをやってない」

 

 

 

 

日本はかなり情報統制がされている国で、英語が分かる人からすれば、英語ネットで得られる情報が日本語ネットと結構違う、と言う事に気がつきます。

私は基本的に、英語ネットでイスラム批判について学びました。特にここのコンテンツは大半がDavid Wood氏から来ているので、彼をクレジットしておきます。(この記事ではイスラムを扱ってますが、私は個人的にキリスト教も批判しているなので、イスラムに特に恨みはないです。)

英語でイスラムやコーランについて調べると、ここで扱ったような内容は割と簡単にヒットします。が、日本語でイスラームについて調べると、英語圏ではすでに何度も論破されているような嘘が、Googleのトップにヒットするので、非常に呆れています。

 

 

 このブログの内容が、TVで放送されたり、本になる事はありません。

少なくとも、今はまだ、無理です。「人種差別」「偏見」「イスラム嫌悪」と呼ばれるので。

一向に理解しない人がいるんですが、イスラムは人種ではありません。 

イスラムを批判すると、一定数の人は無条件に傷つきます。

この記事はただ単に、コーラン自体を引用しているだけなんですが、これをするだけで、私がヘイター扱いされます。

この記事へのリンクを見た方の中では、「フェイクはよくない、対立煽りよりも悪質」とコメントをくれた方もいました。が、フェイクではないので、彼は自覚なく、コーランの内容を悪質と言った事になります。対立を煽ってる人がいるとすれば、それは私ではなく、アッラーとムハンマドです。

 

「ムスリムの大半はいい人たちなのです」→ だから何?

「我々はテロリストではありません。」→あなた方がテロリストだとは、最初から言ってません。

 相手の言ってもいない事を責めるのは誤謬(論理的間違い)の1つで、ストローマン論法と呼ばれています。コーランとムハンマドを非難する事は、ムスリムを非難する事とイコールではありません。私はムスリムの1人1人は人間としてリスペクトするべきだと思いますし、差別されるべきではないとも思います。また、差別する人がいれば、非難されるべきだと思います。

メディアでもネットでも、イスラム批判があれば正義の鉄槌がすぐに下され、誰も話を聞いてくれません。宗教を批判してはいけないのは、何故ですか?傷つく人がいる事は、こちらも百も承知です。そんな理由で、危険な思想を危険と言わないべきなんですか?

 

 

イスラムが、平和の宗教だという主張は、最近(特に911以降)ムスリムたちを守るために唱えられ始めたものであり、もともとムハンマドの教えは平和と平等、非暴力ではありません。宗教が平和でなければいけないという ルールもありません。それ自体が、宗教を過剰評価した考え方です。 ( 日本人は無宗教なのに、「宗教はリスペクトしなければいけない」という強い義務感を感じている人が多い。それは自分が宗教と無縁だからなのが大きいだろう。自分自身が宗教による害を被ると、自然と戦う人も増えるし、自分の愛する人がテロで亡くなったりでもしたら、そのテロの背景に実際にどういう思想があったのか、ちゃんと関心を持つだろう)

 

イスラムの教義を暴く事は、最終的にはイスラム教徒を救います。イスラム圏は女性の人権が世界で最も軽視されており、ムスリムは宗教の自由も、思想の自由も、発言の自由もないです。イスラム教徒はその人口に関わらずほとんどノーベル賞を取っていません。コーランが科学に反するからです。イスラム教徒は進化論とビッグバン理論を信じません。学びすらしません(かなりイスラム色が強い国の話でして、もちろん欧米のイスラム教徒は違います)。エジプトではテレビで無神論者を自称しビッグバン理論を語ると「精神科へ行く事を勧められ、追い出されます」。異文化をリスペクトするのも大事ですが、ムスリムたちにも、21世紀に見合った人権を与えたいと思いませんか?

イスラムをただ「誉め続ける」のは本当に、教徒達自身にとっても、最終的に利益になると思いますか?

 

49のムスリム主流国のうち、16国では棄教は犯罪です。

イランとサウジアラビアでは、死刑に処される場合もあります。

「サウジアラビアの女性は地獄へは行かない。なぜならそこへ二度行く事はできないからだ」

 信教の自由がある欧米のイスラム教徒は、法で罰せられる事はないですが、家庭から破門されるという重大なリスクがあります。棄教した後、家族と一切連絡を取っていない、とする人たちのドキュメンタリーなども多くあります。

 

彼らは7世紀の文盲の統合失調の軍人(もちろんムハンマドのこと)が編み出した本を元に政治をしています。それがどれだけ異常なことか、あなた方は認識できないのですか?

我ら日本人は、古事記を持っていますが、これはただの神話と文学として扱われています。コーランも、神話と文学になる時代なのです。これを神の言葉だとして、法律の根拠にする事はおかしいです。

 

 

イスラム国や過激派組織は真のイスラムを表してはない、と報道したり主張すると、大衆に一時的な満足を与える事は出来ますが、根本的な解決には近付きません。実際にコーランに書かれていることを無視し、目を瞑り続けるほど、より多くの血が流れる事になります。

コーランは何度も何度もあきらかにします。「アッラーを信じない者と戦え」

この言葉は、異教徒とディベートしろとか、経済で勝てとか、じゃんけんで勝てとかいう意味ではありません。

 

イスラムに勝つ方法は、教育です。テロ組織を武力で負かしても、全く根本的な解決には近づきません。争いが増えるだけです。イスラムが実際に何を教えているのか、コーランとハディースを、イスラム教徒に、そして非イスラム教徒に、学習させるのです。イスラムが平和だと言う人はコーランもハディースも読んでいません。コーランはちゃんと読めば、本当はかなり欠陥のある人間が書いたものだと分かります。

当ブログで公開されている節は、暗記するまで繰り返し読んでいただきたいです。

さらに、イスラム圏は、科学が最も遅れています。高等教育を受けた人間 は、高確率で無神論者になります。そして、政教分離の大切さや、宗教より自由と人権の方が上だと言う西洋の価値観に傾倒するはずです。

イスラム圏に教育を与えるには、まずイスラム圏外の私たちがイスラムを知る必要があります。

次、イスラムテロ組織のテロ事件をニュースで見たら、この記事を思い出して、読み返して下さい。

 

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