日本ムスリム協会のウェブサイトで、日訳サヒーフ・ムスリムを無料で読む事ができます。
サヒーフ・ムスリムから、ジハードに関するハディースをまとめました。
かつて多神教の神殿であり、360の偶像に囲まれていたカーバ神殿をムハンマドが征服した際、偶像を全て破壊した。
アラビア半島からユダヤ、キリスト教徒を追放し、ムスリムだけを残す。
アッラーのために戦いに行く者に対しては恩典の保証がされている。
殉教者は必ず天国へ行き、無事帰還する人は報酬と戦利品を持って故郷に戻れる。
「まことに、私はアッラーの道のために戦って死し、そしてまた戦って死し、そしてなお戦って死す事を望んでいるのだ」
天国は現世で全てを手に入れるよりも高い名誉。
天国はあまりに素晴らしいため、仮に現世に戻ってこれても、 また天国へ戻るためにアッラーのために戦って死ぬだろう。
聖戦に匹敵する報酬を得られる行為は存在しない。
アッラーのために戦う事は、この世やそこに存在する全てに優る(報酬がある)
アッラーの道における聖戦で死んだものは、天国の中でも、「百階級も等級を昇進させられる」
アッラーの道で殉教したら、過去の罪も全て許される。
天国に行けるかどうかかなり不安なイスラム教徒にはかなり魅力的な事。若い頃飲酒や姦通など、許されない事をしていた人には特に。そういう人でも必ず天国に行ける唯一の抜け道である。
「アッラーの道のために殺害された者を死んだと思ってはならない。いや彼等は主の御許で扶養されて生きている」
「最良の人とは、どんな人物でしょうか」
「自身の財産や生命を投げうってアッラーの道のために戦う者である」
殉教を望んだ者は、たとえそれが達成されなくても、それに対する報酬が与えられる。
ムハンマドは、殉教を望む事がどれだけ大切かを何度もはっきりさせています。
ジハードという単語の意味は「奮闘」や「努力」であり、必ずしも聖戦ではない。
コーラン中のアラビア語のジハードは、文脈によっては奮闘努力と訳されたりもする。
だがムハンマドがジハードを語るときは、文脈的には聖戦を指す。
自分磨きではありません。
アッラーのための「戦死」が最も善い事だと、ムハンマドは繰り返しかたります。
「戦死」です。 「戦」って「死」ぬことです。
殉教とは戦死を指します。信仰者が死ねば殉教となるわけではありません。
最近の、イスラムを擁護する人がよく言う事は、聖戦は外へのジハードでしかなく、真の、大ジハードは、内なるジハードであり、自分との戦いだと。
「内へのジハードとは、己の中にある悪や不正義、欲望、自我、利己主義と戦い、内面に正義を実現させるための行為のことであり、それはいっそう困難で重要なものとされる」
しかし残念ながらムハンマド自身の口から、内なるジハードという概念が出た事は、ただの一度としてありませんし、聖戦より自分の内側との戦いの方が大事と説いた事もありません。
しかし擁護者たちは堂々と、ムハンマドは対外戦争より内側の戦いが大事だと説いた、と嘘をつきます。