mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -115ページ目

精神状態の異常といいますのは、どんな状態ですか?精神状態の正常であるとはどんな状態なの?

精神状態の異常といいますのは、どんな状態ですか?精神状態の正常であるとはどんな状態なの?

 

 

他人の意向を鵜呑みにして

あとから後悔して愚痴るのは

精神の状態は異常なのかな?

 

 

そもそも精神っていう漢字字体に無いか曰くがつくのではないか

 

 

MENTALHEALTH

精神保健

 

これは

どうしても意味が変化するだろうね

 

神経とか

精神とか

 

なぜ

神なんていう漢字を使うか

 

そもそもおかしなことかもしれないね

 

 

精神科

 

神経精神科

 

 

 

身体にあるのは

物質だけですね

 

 

世界も物質の無数の量のあつまり

 

人自身

 

頭脳神経細胞システムの統合化の結果

 

そもそも精子と卵子の結合の結果の一つの

0.1mmくらいの玉として

存在した事から

人自身が

生成

おがる成長するのですし

 

 

 

そこで

なんらかの成長過程での機能の支障を抱える場合もあるのは

むしろ当然かもしれないのですし

 

 

何かしらの身体心身の機能の支障は

全体としてのその人の心身のシステムの働きに

どんな影響を与えるのでしょうかね

 

 

 

社会的なかかわりの中での過程で

 

他者との関係の維持に非常に困難を抱えている場合は

その人がいまいてる社会では

いきにくいかもしれない

 

 

むしろ

一人で清々しているという人もいるかもしれない

 

意図的に

他人との関係性を淡泊にして

懇意にはしないでいる事が

賢明であるということもあるからですが

 

そうして

 

他者の意図の様々な事を

すりぬける方法も複数あるものだし

 

その一つが

本音と建て前とかいう

それら

 

意思疎通の形式も出来ている社会もあるし

 

集団としても

大集団とか

 

それぞれの区分けのエリア

SECTの形成とか

 

groupとしても

いろいろな種類があるので

 

教区のような

学区のような

 

自治組織のような

 

村組織のような

 

 

とか

 

とか

 

市とか

 

CITY

とか

CITE

 

とかね

 

とか

 

郡とか

 

とか

 

地方とは

円天に対して

地は方形と云う事だし

 

 

城柵から

条里

とかね

 

 

通り

とか

 

ストリート

とか

アベニュー

とか

 

どこのエリア

地域

 

どの場所で

くらす

いきるか

 

それによっても

人の人生の状態自体が変化するものだし

 

他者とのかかわりで

非常に妄想を抱いてしまう状態をその人自身のマインドに

かかえている方もあるし

 

 

その解決には

薬物を利用するとか

 

物理的な電子の通電を肉体を侵害しない程度で利用する道具があったり

 

 

いわゆる認知療法とかいいます

手法で

 

精神療法の一種として

継続治療を意図したり

 

 

いろいろなアプローチがある

 

 

同時に

 

その異常とか

正常の区別の問題も横たわっている次第だし

 

障害というのも

機能に支障を抱えている状態を抱えている事で

他者との関係にも支障を抱えてしまう事とか

その地域では暮らす事が困難であるなどの

障害

正に

 

人としての生きる事が困難で

自己を侵害してしまう方もあるのですし

 

 

それは他の人がどうその方と関係を維持して良いのか不明の場合も多いから

 

手段として

いろいろな状態を抱えている人との付き合い方を

 

専門に学習する事も重要な課題ではあるのです

 

カウンセリングの技法とは

そもそも

人と人の関係の維持の賢明な手段を知るためにあるのですしね

 

 

 

他人と自己の両方を詳しく理解して

適度

適切な

適宜な

互いの存在自体を極めて丁寧に尊重する事を

する事でもあるのですし

 

 

 

NEEDSを知る事

覚知の為の方法論でもあるのです

 

 

カウンセリングとは

何かを操作するための手段では無いのです

 

 

また

一つの方法に偏り

診断したり

審判する事の為の手段でもないのです

 

 

この人は異常者だとか

審判する為に

 

面接技法があるのではないし

面談の手法を学ぶのは

きわめて倫理を学習する必然がある

 

どんな状態である人とも

対面して

有効に接する技法である事だから

 

 

好きとか

キライとか

感情が

内的にある時は

転移の現象を

きちんと自己で受け止めて

適切に処理できる

その必要十二分な能力を自分で養う必要があるし

 

そこを

多くの人々が

気が付いて

 

学習する必然がある

 

医師でも

カウンセリングの具体を知らない方もあるしね

 

 

そもそも

 

 

 

 

心理学とか

精神医学とか

知識は

学びとしては

蓄積していても

 

臨床で

ほんとに

UNIQUE

そのものである人は

実感できて

それぞれ

 

各位と

真剣に向き合う態度も自分から学び

形成できる能力が

大前提なのです

 

それを

本来なら

学部の時代に習得出来ている事が必須だし

 

それを自分から除外してしまっているなら

非常に残念で

大いに損をしている事なのです

 

 

また

大学に進学していないとしても

 

高校でも

中学でも

また小学でも

 

カウンセリングは

技法として

十二分に学ぶ

機会を

それぞれに

提供する必要は

多いにあるのです

 

日本国としても

その技法について

詳しく知って

生活の具体の道具としての標準を

それぞれ

施策として

提示する必要もある

 

 

メンタルヘルスケアの事を

非常に誤解している人々もいますし

 

 

秋田などでは

看護師などでも

 

「しんけいたかれ」

なんていう

コトバを

平然と

臨床現場でつかうのですから

未だに

 

それでは

 

自殺率だって

改善はしないでしょうと

理解できますね

 

 

 

 

 

南山堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この人は一体 永遠に問いかけて何を味わっていたいのか? そこが基準事項ですね・

それは

 

TASTEの事

 

 

何を味わっていたいのか

舌で

 

そこだ

 

もしも

物理として

ウイルスが

頭脳神経システムにある時に

そのウイルスの働きで

神経細胞群の一部分が

機能に不全を

抱える事で

 

 

 

 

 

味わいの部分が

感応しないとすると

 

物理としての現象として

支障を

抱えている事なので

 

なかなか

元の通りに回復する事は難しい方もあるし

 

 

何か

いわゆる効果的な治療をいくつか工面する事で

 

少しは

状態のリカバリーを促進できたと云う事例もあるし

 

 

肝心な事は

物質の物理の現象のその結果の事だと云う事を

詳しく理解しようとしてみることだ

 

 

 

 

 

 

 

 

何かの霊の作用だなんて

物理現象に

それらが

関与する事など

あり得ないではないですか

そもそも

 

霊は

物質の事では無いのです

 

 

量子の事で

理解できるはずだ

 

 

 

 

ほんとに微細である事のその物体

 

 

何かあるか

おもって

詳細を研究し

調査し

知らべると

 

 

 

知る事を

はべる

 

 

経験として

実験し

証拠

あきらかに

ある

それを

POSITIVEといいます

 

 

何も無いものは

Negativeといいますし

 

 

それで

光のその反射を観るしかない事だけども

 

 

 

 

肉眼で知るには

それしかない

 

なぜなら

視神経の細胞にある仕組みが

光を

受け止めるのですし

 

 

光子を

 

それが

もしも

何かの都合で

機能を果たす事をしていないなら

目は見えませんとなる

 

 

認知できない

自覚としては

見えないとなる

 

 

ところが

 

あのルルドでは

 

その片目の機能自体を石の子礫で

失った人が

 

あの泉

 

地下から湧き出す水で

目を洗うと

 

怪我の状態はそのままで

両目が見えるようになった

 

それは

確かに

疑問

魔訶不可思議

現象なのです

 

 

それは

実際に

立証されている次第だ

 

物理では

解明されない

実証

 

見えるとした

 

片目は正常の機能があるままで

もう一つの片側の目自体は

機能不全で

失明しているのです

 

石を採掘する仕事や

加工する仕事では

 

石の小さなそれは

眼球に突き刺さり

外傷となって失明する事もあるからですね

 

 

火の粉もそうだ

鍛冶屋さんなどは

その危険は

いつでもある

 

 

 

 

 

 

 

 

人自身が 天主とかDEUS  DEO  TEO LOGOTHE 天地全宇宙の支配人となるなど無理

 

 

神の子

とかいうのは

何をさすか

 

 

地獄か

天国か

 

予定してある事など無いでしょうね

 

 

そもそも

自由

何かに束縛されて

強制命令をして

天国などに

向かいましても

 

その人自身が

望まないなら

 

正に

不自由きわまりないのです

 

 

拒否するでしょうね

その者は

強制連行して

楽園などに

連れていかれてしまうので

 

 

この場所こそ

楽園なんだぞ

なんて

云われてもね

 

そんなものは

地上にある事はまずない

 

いつも状態は変化しているので

常に

今なのです

 

 

 

 

今でしょ!

では無い

 

常に

 

この時の積み重ねなので

過ぎていったことでも

本来は

無い

 

単純に

計算としての

論理としての

構築意図を

 

大前提とする時に

 

relay

としての相対化を

いちいち

工夫したからこそ

そういう

観方を視座を

もとめてみた

というだけの事なのです

 

一つの

気が付きの事でしかない

 

 

 

 

そもそも

 

 

 

南山堂