一つの信念体系を実際に実行してあるとしても、それは空虚になる可能性もある なぜなら・・・。
一つの信念体系を実際に実行してあるとしても、それは空虚になる可能性もある なぜなら・・・。
人は実行する行為自体を自動化して
ROUTINE
繰り返す事だけで
御仕舞とするから
それでは
たった一度の
真心の込めてある行為の方が
無論
価値は無限にあるというものだ
賽銭箱に
何十万円を投資しても
その方のそれは自由意志の実行であるし
自己にある全ての財産を
それは少額で
数千円しかないとして
その比較をする時に
誰に向かい
何を意図したのか
のほうが
価値を評価する時にものさしとなるので
天秤の事
自分こそ金持ちで
それは
神の御蔭だと
感謝を
所得の10パーセント
一割を捧げましょうとしている事でも
10分の1の税金と云う事であるが
裕福
というのは
一体
どんな者の事を本来は云うのか
細かに査定して観ると
望ましい
品物を得るであろう
如何にも見栄
自己の栄華を見せつける事で
人の心を動かしたいので
そのような振る舞い
立ち居振舞い
とする時なら
それは
見せかけて
威張る
わたしは
偉い者だぞ
と
イワンとする
あーーあ
あさまし気
あさましいとは
何か
汚いというのは
心中にある
それ
の何かしら
自己の憐憫さをもって
自己の事を
神自身から
褒めてくれといわんとするから
みえみえの事
その主なる訴えは
永遠の平安を得たいがゆえのはずだが
栄耀栄華を
来世
常世で
保持していたい故
古式と
先祖からの言い伝えの習わしは
何か違うのか
詳しく
それを査定して観る事こそ
要であるので
極貧という
貧しさの事の本来のまほ
なる
事とは
心のこそ
貧しい事で
そこには
奇麗にされている
器が
常にある事を
明確に
言として
顕示しているのですから
自分自身を
一つの器として
観る事を知る事こそ
御徳そのもの
その御徳も
いくつも種類があるのですし
何を徳目としているのか
世界の人々の内側にある
価値を
詳しく調査してみる事
観る
診断では無い
審判でもない
審美を評価する事でもない
査定
無数の石から
何を選ぶか
小さな
小さな
ガラス質の
一粒も砂
であるとき
そこに
何を置くか
知る事だ
Peto
片鱗そのもの
PAULI
ほんの少しのそれ
偉大な者に成る事を
どうして
不完全な者こそである
人という存在が
自分の力とかいいふらして
自負できるか
出来る事などない
なぜなら
死滅する事に
勝利する事など
やっぱり出来ないのですし
自力で人
その人に具えてある能力で
どうするといいますか
どんなに祈る事をしても
それは
無理だし
それを呪術で
どうにかしてあげるとか
いいながら
もっと金を寄こせ
差し出しなさい
なんて
いかさま模様を
どこまでも
主張して
われこそ
能力の万能人
だとか
正に
cultそのもの
それを信じ込まないと
死ぬ
不幸だとか
いいように操作してくる者は
そもそもの
生い立ちのそれを
詳しくして
こまかに
ライフヒストリーを
聞き出す
interview
をして御覧下さい
そうしますと
どうしても
その者は
矛盾で
いつか
怒るのです
もう
来るな
お前のような者は
ここから
今すぐ
に
出て行け!!!!
なんて
明確に
その者自身が
宣言するものだから
あの
ラムセスの子のような者として
如何にも
神と神の戦事
意固地にさせるのは
アブラハムが頼る事であった
あの者である
IYA
PHUEA
AVE
といいますのは
あなたは
生きる息を吹く者だ
おめでたい
と云う事なのです
芽出度い
女鹿出る事
芽
目
おがる
男鹿
小鹿
岡津
雄勝
とか
盛り上がる土地で
城塞のあって
堅固である場所
あなたは
私の堅固な砦
要塞と云う事なのです
7重
8重の
八重の八重垣とかいいますそれそのもの
すさ
須佐
立矛
盾
SHIELD
ラウレンチオ
Longの棒に刃のある両刃の剣
それは
一体
何をすためか
コトバは剣
言こそ
真っ赤な肉と真っ白な骨を
切り裂く切り分ける
ツルギそのもの
剣
白と赤の意味こそ
そこに知る事
薫香紫煙
香高し
その生贄を
全部
真っ赤な火で
焙り焼き
真っ白にする事だ
灰は
白に成る事で
そして
透明になる
色無となるので
炭素であるから
カーボン
そして
カルシウム
それらは
太陽の光を浴びる時
どうなるかね
LOLORIOLOGOKO
南山堂
試験試合とは 参加する事ならそれは正に競争なので 勝つ事は目的だしその後の経過はあるかこそ重要
嫌だなと思いながら
なぜ
それに臨席するのか
生きる事の目的を明確に全部
自分で合理で説明出来ている事は
とても御徳を得る算段である
明確に計算式を複数の全く違いがある合理の方法や方程式などを
知る事は
賢明だ
それらを
数字で表現してもいいし
実際
何を得たいかは
その本人の
目覚めの覚知の格物としての致知の結果で
如何に
究明理
窮理する事か
それを
土台として
何を理解したいと
希望し
希求するのか
探せとは
一体
何を探す事かから
理解していない事では
迷い
惑うに
違いない
道先案内をする者が
その生る事の
道を知らないのでは
師とは言えない
そもそも
何かを
利用して
自己にあるその性分をこそ
中心に花を咲かせたいというのでは
萎れる事こそ
そのなれのはて
結果である
ゆえに
腐った実
を
自分で
生らす事
それは
毒気を強い芳香として
空に
奉じる
何と云う事か
となるが
既に
時間の経過は在る事
しかし
希望と云う時は
その時で
自己減滅する事であっても
信頼
何かを信じる事では無いと
気が付く事だ
信とは
言ありて
それを
知る事から
開始する事
始め
α
終り
ω
この阿吽のその過程であること
頼るとは
完全に
身をゆだねる事でもない
それらは
一緒に事実をそれだ
とたしかにあることを
コワーキングしてあるその結果
正に
はたらき
コラボレーションと云う事ですから
相手を探していないなら
それから
着実に
まず
実践していくことを
理解
完全に理解する事こそ
重要
かなめ
12品の
それを
全部
インテグレイト
する時に
統合化するのは
自分の内実なのであるからこそ
一つ
一つ
内容にあるそれらのコンテンツというものを
調べて
観察し
査定する
ASSESSMENTは
どうしても必要なのです
これこそ
PHOTON
光ものを知る事なのですから
ポジティヴ
立証する事
暗くて
無いものは
Negativeなのです
意味
と意義
道具としての
言
を
LOGO
THEO
THECNE
それ
ARTHE
ART
ARS
人の意図
頭脳神経細胞システム
と
ライフ
LIVE
LIFE MODEL
そのもの
バイオメカニカシステム
統合化する事こそ
賢明だが
ただの混ぜ物では無いのです
南山堂
アナロギカル analogy メテフィジカル META
超えたそれらは
知る事は無理だ
ただ
それ
を超えている存在自体であるからして
その存在自体が
自らの意向と意志で
あけらかにすることをセルフ
自分自身で
実践する以外
完全に
それ自身を
こちらは知る事は無いのです
どんなに
欲を
動機として
好きですからなんて
申しても
それは
それで
虚言のような
虚しい
切ない
悲しみの声でしかない音そのもの
空を振動するだけで
気体を揺らすだけ
そもそも
あまりにも
その知力を
得たいという願望実現行為とは
正に
万能である存在に成りあがるための
種子そのものであるからこそ
ダニエルキスイの作品のような結末を
推定はできよう
在るジャあーー飲んでみたら
それ
そんな
魔訶不可思議な
タブレット
T
は
仮想現実であり
空想の産物
どうしても
英雄
はなお
になりがたった
その男の子
なぜか
親
父親の
褒め言葉と
その撫でる手を
欲して
未だに
止まない
その焦がれ
焦燥は
バウンダリーの形成の無さである事が
一つの大なる理由なのであるが
そこを
なんぼ
指摘しても
うるさい
だまれ
神の前でその口を開くななどと
どこまでも
吐く事の言あるし
否認の塊
イメージする事のその自分の頭脳神経細胞システムを
媒体にして
創作してしまった
理想像
を
偶像化して
IDOLにして
ICON
にして
それに礼拝し尽くすだけの
愚かしい
まったく愚鈍のよな
有様を
呈しているのであるが
それを正義なのですと
どこまでも
主張するのである
あまりに
ある
隔たりは
修正などもできない
ましてや
橋を架ける事も
無理なのであるから
そのままを
限りなく尊重するしかない
術などあることはまずなし
神と云う事であるとしても
自由を大前提としての
中心の事として
設定している限りは
無理に
変更など
状態変化を
強制する事は
まずない
人自身は
それをどこまでもやればできると
信念体系を組み合わせてしまうのであるが
その範囲はほんとに
限られている次第だ
それをなぜ
覚知しようと
努力しないのか
それも
摩訶不思議
不可思議と
不思議の違い
魔訶とは
MAHA
とっても大な事と云う意味だ
南山堂