mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -117ページ目

一つの信念体系を実際に実行してあるとしても、それは空虚になる可能性もある なぜなら・・・。

一つの信念体系を実際に実行してあるとしても、それは空虚になる可能性もある なぜなら・・・。

 

人は実行する行為自体を自動化して

ROUTINE

 

繰り返す事だけで

御仕舞とするから

 

それでは

たった一度の

 

真心の込めてある行為の方が

無論

価値は無限にあるというものだ

 

 

賽銭箱に

何十万円を投資しても

その方のそれは自由意志の実行であるし

 

 

自己にある全ての財産を

それは少額で

数千円しかないとして

 

その比較をする時に

 

誰に向かい

何を意図したのか

のほうが

価値を評価する時にものさしとなるので

天秤の事

 

 

 

自分こそ金持ちで

それは

神の御蔭だと

感謝を

所得の10パーセント

 

一割を捧げましょうとしている事でも

 

 

10分の1の税金と云う事であるが

 

 

裕福

というのは

一体

どんな者の事を本来は云うのか

 

細かに査定して観ると

望ましい

品物を得るであろう

 

 

 

如何にも見栄

自己の栄華を見せつける事で

人の心を動かしたいので

そのような振る舞い

立ち居振舞い

とする時なら

 

それは

見せかけて

威張る

 

わたしは

偉い者だぞ

イワンとする

 

 

あーーあ

あさまし気

 

あさましいとは

何か

 

汚いというのは

心中にある

それ

の何かしら

 

自己の憐憫さをもって

 

自己の事を

 

神自身から

褒めてくれといわんとするから

 

みえみえの事

その主なる訴えは

 

永遠の平安を得たいがゆえのはずだが

 

栄耀栄華を

来世

常世で

保持していたい故

 

 

古式と

先祖からの言い伝えの習わしは

何か違うのか

詳しく

それを査定して観る事こそ

要であるので

 

 

 

極貧という

貧しさの事の本来のまほ

なる

事とは

 

心のこそ

貧しい事で

そこには

奇麗にされている

器が

常にある事を

明確に

言として

顕示しているのですから

 

自分自身を

一つの器として

観る事を知る事こそ

御徳そのもの

 

その御徳も

いくつも種類があるのですし

 

何を徳目としているのか

 

世界の人々の内側にある

価値を

詳しく調査してみる事

 

 

 

観る

 

 

診断では無い

 

審判でもない

 

審美を評価する事でもない

 

 

査定

 

無数の石から

何を選ぶか

 

小さな

小さな

ガラス質の

一粒も砂

であるとき

 

そこに

何を置くか

知る事だ

 

 

Peto

 

片鱗そのもの

 

PAULI

 

 

ほんの少しのそれ

 

 

 

偉大な者に成る事を

どうして

不完全な者こそである

人という存在が

自分の力とかいいふらして

自負できるか

出来る事などない

 

 

なぜなら

死滅する事に

勝利する事など

やっぱり出来ないのですし

自力で人

その人に具えてある能力で

どうするといいますか

 

 

どんなに祈る事をしても

それは

無理だし

 

それを呪術で

どうにかしてあげるとか

いいながら

もっと金を寄こせ

差し出しなさい

 

なんて

 

いかさま模様を

どこまでも

主張して

われこそ

能力の万能人

だとか

 

正に

cultそのもの

 

それを信じ込まないと

死ぬ

不幸だとか

 

いいように操作してくる者は

 

そもそもの

生い立ちのそれを

詳しくして

こまかに

ライフヒストリーを

聞き出す

 

interview

をして御覧下さい

 

そうしますと

 

どうしても

その者は

矛盾で

いつか

怒るのです

 

もう

来るな

お前のような者は

ここから

今すぐ

出て行け!!!!

 

なんて

明確に

その者自身が

宣言するものだから

 

あの

ラムセスの子のような者として

 

如何にも

神と神の戦事

 

 

意固地にさせるのは

アブラハムが頼る事であった

あの者である

 

IYA

PHUEA

AVE

 

 

 

といいますのは

 

あなたは

生きる息を吹く者だ

おめでたい

と云う事なのです

 

芽出度い

 

 

女鹿出る事

 

 

 

 

 

 

おがる

 

男鹿

小鹿

 

岡津

 

雄勝

 

とか

盛り上がる土地で

城塞のあって

堅固である場所

 

あなたは

私の堅固な砦

要塞と云う事なのです

 

7重

8重の

八重の八重垣とかいいますそれそのもの

 

 

 

 

すさ

 

須佐

 

立矛

 

SHIELD

 

ラウレンチオ

 

 

Longの棒に刃のある両刃の剣

 

それは

一体

何をすためか

 

 

コトバは剣

 

言こそ

真っ赤な肉と真っ白な骨を

切り裂く切り分ける

ツルギそのもの

 

白と赤の意味こそ

そこに知る事

 

薫香紫煙

 

 

香高し

その生贄を

全部

真っ赤な火で

焙り焼き

真っ白にする事だ

 

灰は

白に成る事で

そして

透明になる

色無となるので

炭素であるから

カーボン

 

 

そして

カルシウム

 

それらは

 

太陽の光を浴びる時

どうなるかね

 

 

LOLORIOLOGOKO

 

 

 

 

 

南山堂

 

 

 

 

 

 

 

試験試合とは 参加する事ならそれは正に競争なので 勝つ事は目的だしその後の経過はあるかこそ重要

嫌だなと思いながら

なぜ

それに臨席するのか

 

生きる事の目的を明確に全部

自分で合理で説明出来ている事は

とても御徳を得る算段である

 

明確に計算式を複数の全く違いがある合理の方法や方程式などを

知る事は

賢明だ

 

それらを

数字で表現してもいいし

 

実際

 

何を得たいかは

 

その本人の

目覚めの覚知の格物としての致知の結果で

 

如何に

究明理

 

窮理する事か

 

それを

土台として

 

何を理解したいと

希望し

希求するのか

 

探せとは

一体

何を探す事かから

理解していない事では

 

迷い

惑うに

違いない

 

道先案内をする者が

その生る事の

道を知らないのでは

 

師とは言えない

 

そもそも

 

何かを

利用して

自己にあるその性分をこそ

中心に花を咲かせたいというのでは

 

萎れる事こそ

そのなれのはて

 

 

結果である

 

ゆえに

腐った実

自分で

生らす事

 

それは

毒気を強い芳香として

空に

奉じる

 

 

何と云う事か

 

となるが

既に

時間の経過は在る事

 

しかし

希望と云う時は

その時で

 

自己減滅する事であっても

 

信頼

 

何かを信じる事では無いと

気が付く事だ

 

 

信とは

言ありて

それを

知る事から

開始する事

 

始め

α

 

 

 

 

終り

 

ω

 

 

 

 

この阿吽のその過程であること

 

 

頼るとは

完全に

身をゆだねる事でもない

 

 

それらは

 

一緒に事実をそれだ

とたしかにあることを

コワーキングしてあるその結果

 

正に

はたらき

 

コラボレーションと云う事ですから

 

相手を探していないなら

 

それから

着実に

まず

実践していくことを

理解

完全に理解する事こそ

重要

かなめ

 

 

 

12品の

それを

全部

インテグレイト

する時に

 

 

統合化するのは

自分の内実なのであるからこそ

 

一つ

一つ

内容にあるそれらのコンテンツというものを

調べて

観察し

査定する

 

ASSESSMENTは

どうしても必要なのです

 

これこそ

PHOTON

光ものを知る事なのですから

 

ポジティヴ

 

 

立証する事

 

暗くて

無いものは

Negativeなのです

 

 

 

意味

と意義

 

道具としての

LOGO

 

THEO

 

 

 

THECNE

 

 

それ

 

ARTHE

 

ART

 

ARS

 

 

 

 

 

人の意図

頭脳神経細胞システム

ライフ

 

LIVE

 

LIFE MODEL

 

そのもの

 

バイオメカニカシステム

 

 

 

 

 

統合化する事こそ

賢明だが

 

ただの混ぜ物では無いのです

 

 

 

 

南山堂

アナロギカル  analogy  メテフィジカル META

 

 

超えたそれらは

知る事は無理だ

ただ

それ

を超えている存在自体であるからして

その存在自体が

自らの意向と意志で

あけらかにすることをセルフ

自分自身で

実践する以外

 

完全に

それ自身を

こちらは知る事は無いのです

 

どんなに

欲を

動機として

好きですからなんて

申しても

それは

それで

虚言のような

虚しい

切ない

悲しみの声でしかない音そのもの

 

 

空を振動するだけで

気体を揺らすだけ

 

そもそも

あまりにも

その知力を

得たいという願望実現行為とは

正に

万能である存在に成りあがるための

種子そのものであるからこそ

 

ダニエルキスイの作品のような結末を

推定はできよう

 

 

 

 

 

 

在るジャあーー飲んでみたら

それ

そんな

魔訶不可思議な

 

タブレット

T

仮想現実であり

 

空想の産物

 

 

どうしても

英雄

はなお

になりがたった

 

 

その男の子

 

なぜか

 

父親の

褒め言葉と

その撫でる手を

欲して

未だに

止まない

その焦がれ

 

焦燥は

 

バウンダリーの形成の無さである事が

一つの大なる理由なのであるが

 

そこを

なんぼ

指摘しても

うるさい

だまれ

神の前でその口を開くななどと

 

どこまでも

吐く事の言あるし

 

 

否認の塊

 

 

イメージする事のその自分の頭脳神経細胞システムを

媒体にして

創作してしまった

理想像

偶像化して

IDOLにして

ICON

にして

それに礼拝し尽くすだけの

愚かしい

まったく愚鈍のよな

有様を

呈しているのであるが

 

それを正義なのですと

どこまでも

主張するのである

 

あまりに

ある

隔たりは

修正などもできない

 

ましてや

橋を架ける事も

無理なのであるから

 

 

そのままを

限りなく尊重するしかない

術などあることはまずなし

 

神と云う事であるとしても

 

自由を大前提としての

中心の事として

設定している限りは

 

無理に

変更など

状態変化を

強制する事は

まずない

 

人自身は

それをどこまでもやればできると

信念体系を組み合わせてしまうのであるが

その範囲はほんとに

 

限られている次第だ

 

それをなぜ

覚知しようと

努力しないのか

 

それも

摩訶不思議

 

 

不可思議と

不思議の違い

 

 

 

 

魔訶とは

MAHA

とっても大な事と云う意味だ

 

 

 

 

 

南山堂