mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -112ページ目

坂上田村麻呂さん  と 安倍 引田臣 比羅夫さん 

今の人と

先の人との違い・・・・ヒューマンビーイング  PHUANNE 

 

 

 

ふいと

生きるために必要な息を吹きつけられたから

土から出来ているそれは

生きる

 

 

ふーーーー

FOOOOOO

PHOOOOO

BHUOOOOOO

VEUOOOOOOOO

 

 

ふひいと

 

PUHITO

 

PHUEHITO

 

 

 

 

ふひと

 

 

不比等

 

漢字は音を表記したいだけですから

 

 

 

えみし

 

 

生きる事の力の証明

 

 

生えて来るそれ

 

木も

 

小さな種子のひとつから

 

ひいとおほつう

から

 

地から天に向かい

緑青葉の芽を出す

その様こそ

 

 

真っ白な根っこ

 

そして年 月の満ち欠けを経て日輪は

東から上昇し

みな

みむく

真空の中にひかあり

日火ひかる

かかやける

 

西に

しつまる

 

 

光の無いよは

星々の

ひかる

 

点滅

 

きらほし

 

北斗

 

天主の座する星

 

世界の統治者であるその御主

 

 

 

7つの皇極

 

 

 

 

 

三つ星

 

 

 

 

世界は

大きな龜の上に回転する大蛇

 

そこにいろいろな存在がある事

 

 

などなど

 

HINDO

 

大きな河の向う岸にある土地にすもうと

移動してきた

 

西から東に

 

パーシル

 

 

ペルシア

 

 

 

ウルの人々は

西に向かいます

 

日の昇地

オリエントから

 

日の沈む地

オクシタン

 

 

 

しかしそれは

地中海の中心として

 

みると

 

その人を中心として

世界は構成されてある

人の知は

体験して

経験して

物事を

知る事になるが

 

理知でも

推定は可能だし

 

それと

現実の現用を観察し

ことわりを

習うこと

 

知を

織りなす

 

綾なす

 

編み成す

 

 

 

営む

 

 

 

運営

 

運ぶ事は

何を

 

administrator

 

 

 

中心を動かす人

 

 

 

ここは世界の中心とすると

そうして

自己の居場所をセンター化

 

しかし同時に

センターは

世界中にある

 

サブシステムの分類

 

 

いくつもの津

 

つもりあがる

品物など

あつまる人々のいる場所

 

ところ

 

 

居所

 

大きな屋根のある場所

 

おおやけ

 

大屋家

 

おおやけ

 

 

 

 

 

君侯

 

 

 

きみ

 

 

 

 

アーリア

 

 

司祭は上位者である事

 

司祭とは

多くの人々と神々を仲介し

結ぶ仕事を生業としている

 

一生涯の役目としてそれを完遂して死滅を迎える事

 

 

 

 

祭司

 

 

神と人に奉仕する人を

祭司

司祭

 

それぞれに奉仕

自分から進んで向かい合う事

 

特に

困窮し

苦難を被り

重荷を背負っている者を

見つけて

 

神々に

その者の為に

身代わりに

 

意をのる

 

宣べる

 

 

そして

執り成し

 

恩恵を

頂く

 

それを

その困窮者の

至善徳を必要十二分とし

 

充満する事

 

 

これを

祈願

祈祷

念祷

 

 

自分たちの生活の質を保持するために

祈るのではないですし

 

そもそも

 

おおやけ

とは

その意味が

はじめにあり

おわりまでそうだと云う事を

理解できる事は

必須だ

 

 

 

 

 

・・・・

 

偉いなら

あらゆるひとり

ひとりに

奉仕せ

 

とは

厳しい

 

磐の

 

 

そのもの

 

LOGOTHE

 

とは

それそのもの

 

これを放棄してしまっている司祭の者

祭司の者は

 

自分から

外れている事

 

きわめ

 

 

自己を知るとは

それ

 

 

自己覚知

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2000年前は

日本の界隈はどんな状況であったか

 

1700年前は

 

1300年前は

 

今と

当時の人々と

その内実は

何が違いますか?

 

 

 

 

価値に対する見方

 

 

価値化する対象物

 

 

 

大事な物事は一体なんだったでしょうかね

 

 

ローマ帝国は2000年前には成立している

 

中原の大国 前漢も成立している

 

ローマ帝国 - Wikipedia

 

前漢 - Wikipedia

 

 

 

 

あへ

 

あんばい

あべ

 

木→紀

蘇我

大伴

中臣

葛城

安倍

物部

清原

 

忌部

犬養部

猪飼部

土師部

膳部

 

品部 - Wikipedia

大化前代においては、伴造などの豪族に率いられて朝廷(ヤマト王権)に様々な物資あるいは労働力の形で奉仕を行った。また、5世紀後半以後に渡来した渡来人の技術者集団の中には品部に属した者が多いとされている。大化の改新以後、一部は廃止されるが残りは再編されて官司に付属され、貢納の一環として宮廷で用いる奢侈品や特殊な技術を必要とする工業製品の生産を義務付けられるようになる。大宝令内の職員令においては、所属官庁、品部名、法定戸数はそれぞれ以下のように定められていた。

図書寮-紙戸(50)
雅楽寮-楽戸…伎楽(49)・木登(8)・奈良笛吹(9)
造兵司-雑工戸…爪工(18)・楯縫(36)・幄作(16)
鼓吹司-鼓吹戸(大角吹)(218)
主船司-船戸(船守戸)(100)
主鷹司-鷹戸(鷹養戸)(17)
大蔵省-狛戸…忍海戸狛人(5)・竹志戸狛人(7)・村々狛人(30)・宮郡狛人(14)・大狛染(6)・衣染(21)・飛鳥沓縫(12)・呉床作(2)・蓋縫(11)・大笠縫(33)・桉作(72)
漆部司-漆部…漆部(15)・泥障(10)・革張(4)
織部司-染戸…錦綾織(110)・呉服部(7)・川内国広絹織人等(350)・緋染(70)・藍染(33)
大膳職-雑供戸…鵜飼(37)・江人(87)・網引(150)・未醤(20)
大炊寮-大炊戸(25)
典薬寮-薬戸(75)・乳戸(50)
造酒司-酒戸(185)
園池司-園戸(300)
土工司-泥戸(51)
主水司-氷戸(水戸)(114)
身分としては、一般の公民(百姓)と同じ良民を構成したが、公民と比べると身分は若干劣るものとされた。ただし、官庁への隷属度は弱く、戸籍登録も居住地の戸籍に一般公民と等しく登録されるなど、待遇としては一般公民との差別はほぼ無かったとされる。職務・身分を世襲する常の品部のほかに、一般公民より臨時に編入する借(かり)の品部が存在した。狛戸及び染戸の一部は毎年一定量の料物を貢納したが、その他は1戸あたり1名が一定期間の交替制か臨時に官司に上番して労役を行うか一定量の製品を貢納した。その代わりとして戸内の課役の一部もしくは全てが免除され、兵役からも除外された[1]。

奈良時代に入ると、養老5年(721年)に主鷹司の品部廃止が行われ、続いて天平宝字3年(759年)に高度な技術を要する「世業相伝者」以外の品戸は原則廃止されて公戸に編入(一般の公民扱い)された。その後も品戸の廃止が続き、平安時代の『延喜式』の時点では兵庫寮の鼓吹司のみとなった。これは古い部民制の残滓である品部そのものが律令制と相容れなかったこと、律令制の衰退によって品部の維持が困難になってきたこと、社会経済水準の向上によって民間からの調達・雇役が可能になったこと(この場合の民間には旧品部の商工業者からの調達を含む)が複雑に絡み合っていたと考えられている[1]。

学術的には同様の組織である雑戸と合わせて品部・雑戸制(しなべ・ざっこせい)とよぶ場合もあるが、雑戸の職掌範囲は軍事関係の技術労働に従事しており、またその戸籍は一般の戸籍とは違う雑戸籍が独自に構成されており、公民との法的な身分差は品部よりも強いとされる[2]。







 

 

 

 

 

藤原

 

大化の改新 - Wikipedia

蘇我氏は蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿の四代にわたり政権を掌握していた。中臣鎌足(後の藤原鎌足)は蘇我氏による専横に憤り、大王家(皇室)へ権力を取り戻すためまず軽皇子(後の孝徳天皇)と接触するも、その器ではないと諦める。

そこで鎌足は、中大兄皇子に近付くことにした。蹴鞠の会で出会う話は有名である。2人は共に南淵請安に学び、蘇我氏打倒の計画を練ることになった。中大兄皇子は、蝦夷・入鹿に批判的な蘇我倉山田石川麻呂(蘇我石川麻呂)の娘と結婚して石川麻呂を味方にし、佐伯子麻呂、葛城稚犬養網田らも引き入れる。

そして、皇極天皇4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自害。蘇我体制に終止符を打った。

この蘇我氏本宗家滅亡事件をこの年の干支にちなんで乙巳の変という。

この乙巳の変が大化の改新の第一段階である[1]。

 

 

 

 

 

さかかみ

さかのうえ

 

 

 

 

 

 

 

阿倍比羅夫 - Wikipedia

大化5年(649年)左大臣・阿倍内麻呂が没して阿倍氏の宗家が絶えたため、比羅夫は傍系出身ながら阿倍氏一族の最有力者として、氏上的な地位に就いたと想定される[5]。

蝦夷征討・粛慎討伐
斉明天皇4年(658年)4月から斉明天皇6年(660年)5月にかけて、越国守であった比羅夫が蝦夷・粛慎征討を行ったことが『日本書紀』に記されている。これらには重複を指摘する意見のほか、一部の事象のみを史実とする著書もあった[5]。また、渡島をはじめ、日本書紀に書かれている地名を元に明治期に制定された地名があるため、同定には慎重な判断を要する。

斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。また、有間浜で渡島の蝦夷を饗応している[6]。同年7月には蝦夷200人余りが朝廷に参上して物資を献上するとともに、饗応を受けた[7]。
同年、比羅夫は粛慎(みしはせ)を平らげ、生きているヒグマ2匹とヒグマの皮70枚を献上する[8]。粛慎(みしはせ)の出自については諸説ある。詳細は粛慎 (みしはせ)の項を参照。
斉明天皇5年(659年)3月には船軍180艘を率いて再び蝦夷を討つ。比羅夫は飽田・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏の蝦夷20人を一ヶ所に集めて饗応し禄を与える。また、後方羊蹄(シリベシ)に至り、蝦夷の要請を受けて当地に政所を置き郡領を任命して帰った[9]。「後方羊蹄」の具体的な場所は明らかでないが、余市説[10][11](後志国余市郡)、末期古墳のある札幌・江別説(石狩国札幌郡)や恵庭・千歳説(胆振国千歳郡)があるほか[注釈 1]、江戸時代末期の探検家・松浦武四郎は北海道の尻別川流域と比定し、同地を後志国(しりべしのくに)、同地の山を後方羊蹄山(しりべしやま)と名付けた。
この頃、再び粛慎と戦って帰還し、虜49人を朝廷に献じたともいう[12]。
斉明天皇6年(660年)3月に船軍200艘を率いて粛慎を討つ。比羅夫は大河(石狩川あるいは後志利別川と考える説がある)のほとりで、粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められる。比羅夫は粛慎を幣賄弁島(へろべのしま。粛慎の本拠地を樺太や[13]、奥尻島とする説などがある)まで追って戦い、能登馬身龍が戦死するもこれを破る[14]。同年5月に蝦夷50人余りを献じ、粛慎の47人を饗応した[15]。
白村江の戦い
天智天皇元年(662年)8月に中大兄皇子(後の天智天皇)の命により、新羅征討軍の後将軍として百済救援のために朝鮮半島に向かい、武器や食糧を送った(この時の冠位は大花下)。しかし、翌天智天皇2年(663年)新羅と唐の連合軍に敗れる(白村江の戦い)。この敗北により百済再興はならなかった。

天智天皇3年(664年)新冠位制度(冠位二十六階)の制定に伴って大錦上に叙せられる。またこの頃、筑紫大宰帥に任ぜられている(『続日本紀』)[16]。白村江の戦いののち、唐や新羅の来襲に備え、軍事経験豊かな比羅夫を九州地方の防衛責任者に任じたものと想定される[5]。

系譜
父:不詳 - 一説では阿倍目
母:不詳
生母不詳の子女
次男:阿倍宿奈麻呂(?-720)[16]
男子:阿倍船守 - 阿倍仲麻呂、阿倍帯麻呂の父

 

 

 

 

 

 

 

歴史 | 唐丹町漁業協同組合

 

以下は以上のリンクから参照。

 

 

延暦21年(801) 坂上田村麻呂、蝦夷を平定。胆沢城に鎮守府を移し、唐丹村はその所轄となる。その後安倍氏が台頭し、その支配下に入る。
康平5年(1062) 前9年の役で功のあった清原氏の支配下に入る。
寛治元年(1087) 後3年の役で功のあった藤原氏の領有となる。
文治5年(1190) 源頼朝が藤原氏を滅ぼし、気仙郡は家臣の葛西氏の領有となる。
天正18年(1590) 豊臣秀吉の奥州仕置に際し、気仙郡は家臣木村氏の領有となるが、その後伊達氏の領有となり明治元年までその支配下に入る。

歴史2慶長13年(1608) 唐丹村海中山盛厳寺開創。
享和元年(1801) 伊能忠敬の第2次測量。唐丹でも測量を実施。

歴史3明治4年(1871) 廃藩置県。気仙郡は一関県に。その後一関県は水沢県となる。
明治6年(1873) 唐丹小学校、小白浜小学校、大石小学校創立。
明治8年(1875) 水沢県が磐井県となる。
明治9年(1876) 磐井県廃止。気仙郡は宮城県に編入される。その後、気仙郡は岩手県に編入され現在に至る。
明治22年(1889) 盛警察署唐丹村巡査駐在所開所。
明治22年(1889) 市町村制施行。気仙郡唐丹村が成立。村役場を小白浜に。
明治29年(1896) 明治三陸津波が発生。唐丹村も大被害を受ける。死者2100人。
明治35年(1902) 漁業法実施。唐丹村漁業組合設立。
明治39年(1906) 村立小白浜漁業補習学校創立。

 

 

以上歴史 | 唐丹町漁業協同組合から参照。

GNOSCO GNO  知る Know

Co Gno

 

 

 

言を知る事

 

 

 

行為として何か対象を理解したいと目を覚まして

覚知している状態を維持して保持していて

そこで

これは一体

何かと探求する努力を自己に投資する事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その機能は備えられている人体に

頭脳神経細胞システムと他の臓器の郡類と共に

神経細胞システムは

連動しているのですし

 

無数の細胞群はあるし

 

それは

人自身そのもの

包括して

統括して

統合化して観てみようとする努力を投じないと

そういう認知形成は完了しない

 

 

 

 

人を

どう

受け止めるか

 

受け入れる必要はまずない

 

受け入れるとは

混合する危険もある

 

まぜるな危険だ

 

 

誰かの言を

調べもしない

その根拠を

明確に確認もしていないまま

そうなんだと

信じ込む行為は

とても危険

自分をあやうくする

 

 

人生を棒に振る事

 

 

 

 

 

それでも

存在自体は在る事で

 

底辺でもアップステアでも

ソフィールでも

高い處にあっても

 

世界は

反転しているのですし

 

地球も自転し

いつでも回転しているのですし

 

宇宙も

UNI

VERSA

渦巻いていますし

 

 

 

天は円

地は方

とか

中原に生きていた人々は

認知して

概念を形成した

それは

生きるためには

必要な作業だったんだなと

邂逅できる次第だ

 

 

ある人の事

その人自身は

その人が努力して

自分の知り得た知識こそ優位だとして

固執する事例もある

 

 

それを基準にして

あらゆる物事を

審判

judgmentす

という習慣を内在化して

自働装置化している事例

caseもある

その時は

環境の事を調べるにしても

既に

審判行為を習慣にして

それこそ正義だと

胸に宗としているので

 

信じこむのは

その自分の習性そのもの

 

 

 

それを

指摘しても

その方は

とても憤慨し

憮然としてしまい

 

怒って

 

あなたこそ

間違いだ

とか

いいます

 

 

 

そこまでも固執してるとなると

とても

認知行動の仕組みを説明をしても

なかなかの至難で

 

対話自体が

まず

成立する事は無いので

 

 

難しいのは

その人との

コミュニケーションそのものです

 

 

 

それが

病気としての症候群である事象である事例と

 

それこそ正確な事は全部自らに具えられているのだという信じ込みの結果とは

 

まるで

かかわりの技法を変える必然がある

 

その事を明確に判断する

臨床として

 

場面面接とかいっている場合でもないのです

 

 

生活場面面接とかいいますけども

 

生活とは

一緒にある事を実際に

共に体験して

観る事をしていないなら

やはり

難しい

把握する事を

対象になっているその人自身の事を

理解するには

いっぱいの項目が不足するのです

 

 

 

ある病院から

自宅に退院する支援がある事例でも

再入院の予防を前提にする場合と

 

 

単純に

支援として

退院を促進しているだけ

では

 

結果が

全く違ってしまう

 

正に

回転ドア式の医療システムを更に促進しているだけの

支援となる可能性もあるのです

 

 

その人に向き合い

何が真に必要か

NEEDSは

何か

明確に査定するには

その作業に必要な時間と労力を事前に計算して

合理として

結果を上げている必要があるし

そこを価値化する作業を

少なくとも関係する者はみな共通の認識を形成して然る

べき事なのです

仕事ですので

べきという事もあるのは当然

 

 

特に

人命と肉体のそのものを保持するための仕組みを工作して

システム化し

アドミニストレーション自体を

知っているなら

もっともエコノミカルな

システムは

人自身を

きめ細やかに

丁寧

共に協働する事

コワーキングそのものを

 

生活全体SYSTEMで

実践する事こそ

有意義と云えるのです

 

そこで

SECTシステムを強化して

一部のセクトだけ

経済原理の仕組みが

有効に運用される法体系では

そもそも

 

社会とかいっているその内実は

改善などする事はまずない

のですし

 

それを明確に理解している事でも

 

権力を保持している者たちの

大勢は

口先は

DEMONSTRATIONするけども

内実は

身内の健全化としての

それまで

 

の仕事に

限定して

 

ある時は

感情を表明してみたり

 

パフォーマンスに余念がない

と言い切ることもできてしまう

 

人のしている事なので

現象として

まず

受け止める作業は

賢明かな

 

 

 

善だ

善の欠如だ

 

悪だ

審判しても

意味

が無いのです

全く

つまり

meritは

自分に得る事は無い

 

ただの批判は

完全に

DEMERIT

 

 

 

 

 

批判は

meritはあるが

 

それは

一つの裁定では無い

 

ASSESSMENTの行為の一つの過程である事を

規定する事が重要ではあるのです

 

よりよい

少しでも

砂の一粒でも善い事を

生産する事は

あらゆる人々にとり

善い事ではあるから

 

これは

合理として

計算は直ぐに出来ます

 

 

小さな薬の一粒を生産している職群の人達なら直ぐに理解できる事だ

 

MEDICINE

 

 

 

 

薬理

薬品

 

くすし

 

瑠璃光院

 

 

東の主人とは

 

薬師如来とかいいますけどもね

 

だれでしょうね

薬師如来って

 

 

 

 

奈山堂

 

 

 

 

 

 


 

完全にその存在の全部をゆるすこと   許可する事か 赦し  緩し  許し 揺るし  

ゆるめること

 

束縛しない

 

こちらの私的理想像に変化を期待する事はしない

 

 

 

希望とは

善徳をその当人様が

全て知りたいなと

希望する事なので

 

自分では無い

 

 

自分は既に

善とは何かを理解する事を

一つ一つ

検分して

作業を積み重ねている次第だ

 

 

そもそも

人生のはじめのころからの

ワーキングそのもの

 

 

 

 

 

 

生涯

 

 

一生涯とは

マイライフ

 

自分にある事の人生と云う事

 

何をしているか

 

 

私的な合理の理由があるので

 

それを全部

他者に

ひけらかす事をしても

全く

御徳とは言えないし

 

るのは

文章

文書

 

文字を媒体にして

自分の内部にある生産した言を

羅列して

文作する事

 

これも

幼少から

積み重ねている仕事そのもの

趣味などではない

HOBI

では無い

 

自分にある仕事

ワーキングそのもの

 

 

勉強とか

そんなのは

必要無い

 

 

興味とか

関心は

 

人そのもの

 

他の生き物

 

地球

 

宇宙の仕組みなど

 

 

人は

最も興味ある対象だから

 

自分自身も人の一つ

事例

caseだし

 

親も

兄弟姉妹でも

他の人

 

友人でも

知人でも

見ず知らずの人でも

 

人は人

 

その方の自らにある属性はそれはそれ

存在自体は

唯一無二

 

 

何か組織にあるその人では無いので

 

そもそも

 

それらはみな属性としての物事でしかない

 

 

 

 

なぜその人はそれを選択する事になった

その過程を知る事こそ

賢明だ

PROCESS

 

意図

 

どんな気持ち

気分

感情

 

結果

 

誰かの影響を受け止めて

その果実を

その人自身は

腹に入れたのか

 

呑み込んだかどうか

 

 

そこを見分ける

識別する事は

 

方法論として正当だし

 

サイエンチアの一つの分野でもある

 

技法は

interviewもあるし

文書など

検分する事とか

 

 

人生の過程で

成果を知る事とか

 

今実際に思っている事とか

 

いろいろな

ライフヒストリーの展開の中での

実際に

起きた事とか

出来た事とか

 

経験した事実とか

想定していた内容とか

 

必要十二分条件をはじめに設定してから

臨む

 

 

臨床とは

クリニカルなのですから

 

 

査定するためには

ASSESSMENTの項目を複数用意して

 

予め検証する作業を実地で地道に検討する必要もあるのです

 

準備は重要だ

 

 

 

 

 

 

備え

土台

とは

それでもある

 

価値あるmeritを

知る事

 

善徳

 

複数種類あるけども

それさえも

白黒で

審判しているなら

どうなるか

 

感情で

すきだとか

きらい

 

すきではない

いやだ

とか

それで

診断して

審判するなら

どうなってしまいますか

その者自身の成果は

 

 

 

 

 

苦手

後回しとかね

 

必要を理解していても

作業をあとまわしにしているなら

徳を得る事は無いのは

計算で直ぐに

理解できる

 

同時に

焦る必要もない

焦燥で

不安で

居る事は

賢明ではないのですし

 

悪い事ではない

から

 

善と

善の無いと云う事はあしこと

 

理解をススメル事は

 

よきこと

という具合

 

 

 

 

 

みよしのの

よしの

よくみたらよいき

 

 

 

 

 

南山堂