GNOSCO GNO  知る Know | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

GNOSCO GNO  知る Know

Co Gno

 

 

 

言を知る事

 

 

 

行為として何か対象を理解したいと目を覚まして

覚知している状態を維持して保持していて

そこで

これは一体

何かと探求する努力を自己に投資する事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その機能は備えられている人体に

頭脳神経細胞システムと他の臓器の郡類と共に

神経細胞システムは

連動しているのですし

 

無数の細胞群はあるし

 

それは

人自身そのもの

包括して

統括して

統合化して観てみようとする努力を投じないと

そういう認知形成は完了しない

 

 

 

 

人を

どう

受け止めるか

 

受け入れる必要はまずない

 

受け入れるとは

混合する危険もある

 

まぜるな危険だ

 

 

誰かの言を

調べもしない

その根拠を

明確に確認もしていないまま

そうなんだと

信じ込む行為は

とても危険

自分をあやうくする

 

 

人生を棒に振る事

 

 

 

 

 

それでも

存在自体は在る事で

 

底辺でもアップステアでも

ソフィールでも

高い處にあっても

 

世界は

反転しているのですし

 

地球も自転し

いつでも回転しているのですし

 

宇宙も

UNI

VERSA

渦巻いていますし

 

 

 

天は円

地は方

とか

中原に生きていた人々は

認知して

概念を形成した

それは

生きるためには

必要な作業だったんだなと

邂逅できる次第だ

 

 

ある人の事

その人自身は

その人が努力して

自分の知り得た知識こそ優位だとして

固執する事例もある

 

 

それを基準にして

あらゆる物事を

審判

judgmentす

という習慣を内在化して

自働装置化している事例

caseもある

その時は

環境の事を調べるにしても

既に

審判行為を習慣にして

それこそ正義だと

胸に宗としているので

 

信じこむのは

その自分の習性そのもの

 

 

 

それを

指摘しても

その方は

とても憤慨し

憮然としてしまい

 

怒って

 

あなたこそ

間違いだ

とか

いいます

 

 

 

そこまでも固執してるとなると

とても

認知行動の仕組みを説明をしても

なかなかの至難で

 

対話自体が

まず

成立する事は無いので

 

 

難しいのは

その人との

コミュニケーションそのものです

 

 

 

それが

病気としての症候群である事象である事例と

 

それこそ正確な事は全部自らに具えられているのだという信じ込みの結果とは

 

まるで

かかわりの技法を変える必然がある

 

その事を明確に判断する

臨床として

 

場面面接とかいっている場合でもないのです

 

 

生活場面面接とかいいますけども

 

生活とは

一緒にある事を実際に

共に体験して

観る事をしていないなら

やはり

難しい

把握する事を

対象になっているその人自身の事を

理解するには

いっぱいの項目が不足するのです

 

 

 

ある病院から

自宅に退院する支援がある事例でも

再入院の予防を前提にする場合と

 

 

単純に

支援として

退院を促進しているだけ

では

 

結果が

全く違ってしまう

 

正に

回転ドア式の医療システムを更に促進しているだけの

支援となる可能性もあるのです

 

 

その人に向き合い

何が真に必要か

NEEDSは

何か

明確に査定するには

その作業に必要な時間と労力を事前に計算して

合理として

結果を上げている必要があるし

そこを価値化する作業を

少なくとも関係する者はみな共通の認識を形成して然る

べき事なのです

仕事ですので

べきという事もあるのは当然

 

 

特に

人命と肉体のそのものを保持するための仕組みを工作して

システム化し

アドミニストレーション自体を

知っているなら

もっともエコノミカルな

システムは

人自身を

きめ細やかに

丁寧

共に協働する事

コワーキングそのものを

 

生活全体SYSTEMで

実践する事こそ

有意義と云えるのです

 

そこで

SECTシステムを強化して

一部のセクトだけ

経済原理の仕組みが

有効に運用される法体系では

そもそも

 

社会とかいっているその内実は

改善などする事はまずない

のですし

 

それを明確に理解している事でも

 

権力を保持している者たちの

大勢は

口先は

DEMONSTRATIONするけども

内実は

身内の健全化としての

それまで

 

の仕事に

限定して

 

ある時は

感情を表明してみたり

 

パフォーマンスに余念がない

と言い切ることもできてしまう

 

人のしている事なので

現象として

まず

受け止める作業は

賢明かな

 

 

 

善だ

善の欠如だ

 

悪だ

審判しても

意味

が無いのです

全く

つまり

meritは

自分に得る事は無い

 

ただの批判は

完全に

DEMERIT

 

 

 

 

 

批判は

meritはあるが

 

それは

一つの裁定では無い

 

ASSESSMENTの行為の一つの過程である事を

規定する事が重要ではあるのです

 

よりよい

少しでも

砂の一粒でも善い事を

生産する事は

あらゆる人々にとり

善い事ではあるから

 

これは

合理として

計算は直ぐに出来ます

 

 

小さな薬の一粒を生産している職群の人達なら直ぐに理解できる事だ

 

MEDICINE

 

 

 

 

薬理

薬品

 

くすし

 

瑠璃光院

 

 

東の主人とは

 

薬師如来とかいいますけどもね

 

だれでしょうね

薬師如来って

 

 

 

 

奈山堂