夫に誘われ、オランジュリー
美術館で閉幕間近の
『モディリアーニ、画家とその画商』
展に行って来ました。
1884年、イタリアの港町
リヴォルノで、スペイン系ユダヤ人
の家系に生まれたモディリアーニ。
22歳でパリに移住した当初は、
絵画制作に取り組んでいましたが、
ルーマニア出身の彫刻家
コンスタンティン・ブランクーシ
と出会い、5年間はほぼ彫刻に
専念しました。
こちらがモディリアーニの彫刻作品。
そして1914年に、詩人のマックス・
ジェイコブを通じて知り合った、
若き画商のポール・ギョームとの
出会いにより、再び画家に転向。
新しき水先案内人 ポール・ギヨームの肖像, 1915
板についた伊達男ぶりから、
初老に近いイメージがありましたが、
この時のポール・ギョームは
まだ24歳。
ポール・ギヨームの肖像, 1916
本展では1910年代のパリの
芸術的・文学的背景をもとに、
モディリアーニとポール・
ギョームの密接なつながりや美術史
に大きな影響を与えたポール・
ギョームの役割を紐解いています。
さて、モディリアーニといえば、
長い首に面長顔、瞳のない
アーモンド型の目、なで肩
という独特なプロポーションの
肖像画で知られていますが、
アンナ・ズボロフスカ, 1919
その作風はアフリカやクメールなど
の民族美術に刺激を受けた、自身の
彫刻の影響を色濃く残しています。
ベルベットリボンの女性, 1915
肖像画と右のアフリカの
仮面を比較しても
通じるものがありますよね。
テーブルにもたれて座るエルヴィラ, 1919
瞳が描かれているものと無いものが
ある理由は定かではありませんが、
モディリアーニが好んだシャルル・
ボードレールの詩の影響を受けた
とも言われています。
マックス・ジャコブ, 1916
ある画家が肖像画を描いたばかりの
モディリアーニに、なぜ片方の目は
開いて、もう片方の目は空っぽ
なのかと尋ねたところ、後者は
自分自身を見つめる目を表して
いると答えたとか。
展覧会の最後には、大きな
スクリーンに、ポール・ギョームの
歴代のアパルトマンが映し出され、
飾られたモディリアーニ作品の
占有率からもお気に入りの画家
であったことを物語っていました。
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