風が強い…
雨も降ってる…
雨も降ってる…
どやねん。
せっかく桜が咲いてるのに…
花の命は短くて…云々かんぬん。
そうですよね、桜の命はかくも短い。
キレイなものは儚いのです。
キレイなものは命短いのです。
キレイなものは命短いのです。
ソコの貴方…
貴方はきっと長~く生きるのでしょうねぇ…
ナンチテ!?
ははは…
すんまへん、ついつい正直なもので!? ナンチテ!?
そんな憎まれ口を叩いていると嫌われますなぁ… 反省!
で…
このサクラの季節、必ず風雨が強くなる日があって、せっかくキレーに咲き誇ったソメイヨシノを散らしてしまう。
にっくき…雨
にっくき…風
もう少し降るのを待ってくれたら良いのに。
もう少し吹くのを待ってくれたら良いのに。
でも、自然は厳しく、満開の花のことなんか考えてくれないみたい。
花と言えば…
隠れた名所があったことを思い出しました。
隠れた名所があったことを思い出しました。
そうです…
久しぶりに小学校に行きました。
ワタシが卒業した小学校。
ワタシが卒業した小学校。

桜がキレーに咲いてました。
ここはスゴク思い入れがある場所なんです。
母校だから…
卒業生だから…
卒業生だから…
いや、それだけじゃない。
ワタシの母校ですから、もちろんそれはそれで思い入れはたっぷりあるけれど、それ以上に思いでたっぷりなのが、ここでのPTA活動。
9年間、PTA役員、会長として長きにわたり引き受けさせていただいた。
なぜ、そんなに長く?
普通は1~2年程度で終わるものだけれど、ワタシがこんなに長くしたのには理由があるのです。
それは…
学校の建て替え、そして百周年事業…という任務かな。
学校の建て替え、そして百周年事業…という任務かな。
PTAが直接そのことに当たるというのはおかしいんだけれど、でも、ココではちがってた。
校舎の建て替えの為には用地を拡幅しなくてはいけないという命題がありました。
校地は狭かったのです。
だから、近隣の土地を取得する必要があったのです。
でも、その土地を買い取るのがすごく難しく、ワタシ達が用地交渉に当たったのです。
でも、その土地を買い取るのがすごく難しく、ワタシ達が用地交渉に当たったのです。
こんなことって普通はお役所とかがやるべきコトなんだろうけど…
なんでだったんだろう?
今となっては不思議…かな!?
で、一生懸命、それに当たったにもかかわらず、なかなか成果が得られませんでした。
何度交渉を重ねても難しく、もう買い取り不可能と言うことで、移転計画が持ち上がったのでした。
移転というのは実は学校のタブーなのです。
当然、移転に反対という声が上がりました。
また移転先の土地の用地取得交渉もついには決裂…
再度、以前から交渉中の方々への用地交渉を再開。
もちろん、用地交渉だけではなく、どういう学校にするか、どういう風に事業を進めていくのか等、様々な議論があったのです。
もちろん、用地交渉だけではなく、どういう学校にするか、どういう風に事業を進めていくのか等、様々な議論があったのです。
それは多くの時間と労力がかかった仕事でした。
学校で寝泊まりしたことが何度もありましたし、連日連夜の会合が続いたのでした。
学校で寝泊まりしたことが何度もありましたし、連日連夜の会合が続いたのでした。
もちろん、学校の建て替えのことだけをやっているわけではなく、一般的なPTA活動もみんなと共に頑張っていたつもりです。
で…
どういう訳か、マジメに(!?)やっていたのがアダになったのか…
単位PTA会長だけではなく近隣のPTAで作るPTA協議会の会長にもなり、とうとう最後には府県の役員にもなってしまいました。
これが尾を引いて、高校では府県連・近畿会長、そして最終的には、全国組織である『全国高等学校PTA連合会・専務理事』にまでなってしまったというオマケもつきました。
あ~あ、長いPTA役員でしたなぁ…。
好き者か!? …かも!?
好き者か!? …かも!?
まぁ、でも地域にはこういうワタシのようなアホなヤツも必ず居るわけですな。
それはさておき…
で、苦節6年でやっと用地交渉が成立し、早速新築工事に取りかかり体育館まで含めた校舎のすべてが完成したのです。
これもみんなの努力のおかげです。
時間を惜しまず一緒にやってくれたPTAの仲間達、そして地元の方々に支えられた故の『待望の新校舎完成』だったのです。
で…
コレでやっと終わりかぁ~、と思った矢先、『もうすぐ学校創立100年になりますよね』ということで、『創立100周年事業実行委員会 会長』をそのまま仰せつかってしまいました。
いっそのこと学校完成祝賀会と創立百周年を一緒にやっちまえと言う無謀な(!?)計画が持ち上がり、それがPTAが直接そのこと会長であるワタシの両肩にずっしりとかかってきたわけです。
ありゃりゃ…
まぁ、これはワタシ自身が言い出しっぺだから、仕方ないよね。
これからがとってもタイヘンでした。
百周年の為に展示やイベントの計画、そして寄付を集める作業…
全部がPTAの肩に掛かっていたのです。
言い出しっぺだから仕方が無い…というだけではやってられないほど忙しい状況が続きました。
でも、元々こういうのが好きなワタシではあったのですけどね…
連日連夜の会議、打ち合わせ、そして組織を作って寄付活動の展開、もう目が回る…
校長室横の和室に寝泊まりしたことも数知れず…
そんな思い出がいっぱいココには詰まっています。
これだけではない…
百周年の記念誌もどういう訳かオハチが回ってきてワタシが作る羽目に…。
どういうわけか、以前の資料が乏しく、創立期からのことを調べ上げなければなりません。
古老を訪ね、昔の資料を探し、文章を書き、写真を撮り、本のレイアウトをして完全原稿で印刷に回すという作業は決して楽な作業ではございませんでした。
ホンマ、ムッチャ時間がかかった…




これがワタシが作った『某小学校100年の歩み』という記念誌です。
そして、来年…
そのときに埋めたタイムカプセルを掘り出す年となるのです。
そのときに在籍した1年生から6年生を集めなければ。
そのときに在籍した先生方にも通知を出さなければ。
そのときに在籍したPTA役員も当然声をかけないとなりませんよね。
そのときに在籍した先生方にも通知を出さなければ。
そのときに在籍したPTA役員も当然声をかけないとなりませんよね。
写真は…1995年(平成7年)、当時の子ども達ひとりひとりが20年後の自分に向けたメッセージを入れたタイムカプセルを埋めるワタシです。
あれから、もう20年の歳月が過ぎようとしています。
この写真に写っている当時の子ども達も26歳から32歳になってるのですよね。
歳月の流れの速さに改めて驚きます。
来年はきっと成長したこの子達の頼もしい姿を見ることが出来るでしょう。
そしていろんな方々との再会も待っています。
ワタシの思いでもこのタイムカプセルにイッパイ詰まっています。
母校で満開のサクラを眺めつつ…
ふとそうしたことを思い出し、
そして、来年のことを想うワタシでした。
ナンチテ
じゃ!