人生には様々なシーンがある…
思いも寄らなかったことが起こったり、
こんなはずではなかったのにと驚愕したり、
こんなはずではなかったのにと驚愕したり、
上手く行かずに苛々したり、
良く出来すぎるときがあったり、
良く出来すぎるときがあったり、
落ち込むときがあったり、
乱舞したいほど嬉しいことがあったり、
乱舞したいほど嬉しいことがあったり、
幸せを感じたり、
不幸を背負ってしまったり、
不幸を背負ってしまったり、
気分上々だったり、
滅入ってしまう時間を過ごしたり、
滅入ってしまう時間を過ごしたり、
仲間がいたり、
仲間がいなかったり、
仲間がいなかったり、
信じることが出来たり、
不信感ばかりがつのったり、
不信感ばかりがつのったり、
書き尽くせないほど様々なシーンがあるよね。
人生、長く生きれば生きるほど様々なシーンに巡り会ってしまう…
人生、長く生きれば生きるほど様々なシーンに巡り会ってしまう…
それは必然…
喜怒哀楽…
必ずついてまわるからな。
必ずついてまわるからな。
アッと気がつけばもう師走だ。
早いモンだな…
早いモンだな…
一年が過ぎるのって。
今年も色々あったよ。
悲喜交々…
悲喜交々…
今年を振り返って言えるのは、やっぱりこういうコトかな。毎年だけど…
↓ ↓ ↓
まだまだ未熟だな…結構自分勝手だよな…
人間が出来ていないな…
感情に左右されすぎだよ…
喜怒哀楽に振り回されたりしすぎだな…
もうエエ歳やのになぁ、ははは…
社会的な立場は一応ある… かもしれない!?
年齢的にもそこそこ世の中に認めて頂けるくらいになった…かもしれない!?
年齢的にもそこそこ世の中に認めて頂けるくらいになった…かもしれない!?
でも、まだ人間が出来ていないとつくづく感じるんだよね。
この年末の忙しい最中にふとそういうことを思うのです。
色々と今年を振り替えつつ、アホな行動に終始するワタシはもっと見つめ直さなければならないこともあるんだよな。
特別な仏教信者でもなく、バチアタリなワタシですので、学ぶべきコトはイッパイあります。
こんな言葉を噛みしめないと…
『 諸行無常 』…
平家物語の冒頭にもこうあります…
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す』
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す』
『諸行無常』とは、すなわち永遠に変化しないものはないということ。
世の中は変わり易い、常に変わって行く… と言うことですよね。
モノも、心も、現実も…
この世のものはすべて移ろい行くのですよね。
形あるものは必ず壊れるのですよね。
世の中は変わり易い、常に変わって行く… と言うことですよね。
モノも、心も、現実も…
この世のものはすべて移ろい行くのですよね。
形あるものは必ず壊れるのですよね。
だから、今の状況や立場や喜怒哀楽などのひとつひとつに一喜一憂するのはちっぽけで貧祖な心の動きだと言うことなんだよね。
ワカッテルンダケド、でもフリマワサレテル…
反省せねば!
ワカッテルンダケド、でもフリマワサレテル…
反省せねば!
『 縁起 』という言葉もありますね。
よく使われる『縁起がイイ』というのは自分勝手の都合のことで、本来の意味はそうじゃない。
『縁起』とは、ワタシという人間がワタシだけで存在するのではなくて、ありとあらゆるものとの繋がりの中で存在している…と言うコトなのですね。相互共存と言えば良いのでしょうか。みんなの中で生かされているというコトをもっと理解せねば…
閉鎖的、独断的な生き方ではダメなんですよね。これも反省多々…
『縁起』とは、ワタシという人間がワタシだけで存在するのではなくて、ありとあらゆるものとの繋がりの中で存在している…と言うコトなのですね。相互共存と言えば良いのでしょうか。みんなの中で生かされているというコトをもっと理解せねば…
閉鎖的、独断的な生き方ではダメなんですよね。これも反省多々…
『因と縁』…
因とは、直接の原因で起こること。
縁とは、間接の原因で起こること。
もっと簡単に言うならば、因は結果を生じさす原因であって、縁はそれを助ける力…
更には、因と縁が合体して生まれるのが『果』というものですね。
変な例え話しですが、私が生まれたのは、父と母がいたからですよね。それが『因』…すなわち直接の原因です。
で、父と母がであったのは『縁』… 世の中には無数の男女がいるのに偶然か必然かはわからないけれど、たまたま二人が出会うことがあって結婚したというのが『縁(えにし)』ですよね。
で、『果』として私が生まれている…
ここで重要なのは、『因』と『果』の間に『縁』が入っていることだと思うのです。単なる因果だけじゃなくて、『縁』が入るコトにより物事をもっと深く見ることができるということでしょうか。
縁とは、間接の原因で起こること。
もっと簡単に言うならば、因は結果を生じさす原因であって、縁はそれを助ける力…
更には、因と縁が合体して生まれるのが『果』というものですね。
変な例え話しですが、私が生まれたのは、父と母がいたからですよね。それが『因』…すなわち直接の原因です。
で、父と母がであったのは『縁』… 世の中には無数の男女がいるのに偶然か必然かはわからないけれど、たまたま二人が出会うことがあって結婚したというのが『縁(えにし)』ですよね。
で、『果』として私が生まれている…
ここで重要なのは、『因』と『果』の間に『縁』が入っていることだと思うのです。単なる因果だけじゃなくて、『縁』が入るコトにより物事をもっと深く見ることができるということでしょうか。
そうなんですよね、世の中は『因・縁・果』で出来ているのです。
この世の中のすべてに関係している『因縁』…
この世の中のすべてに関係している『因縁』…
もっとソコを深く理解すれば、もっと人間の幅も広がるのにね… 難しいことです。
般若心経にはこういう言葉が書かれていますよね。
『色即是空空即是色…』
あんたの場合は、『色即色』…だけやナァ、色々色々…色ばっかりカァって!?
ほっといておくれやすっっ!
ほっといておくれやすっっ!
ちがいますがな…
色即是空…、すなわち、世の中のすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、実際に本質は空であるということですな。
で、空即是色… そして空というのはこの世の中にに存在するもの全てであるということです。
つまり、あるものは何にも無いと言うこと。
だから、そんなに物事に惑わされなさるな… と言う大きな世界観ですな。
仏教用語はホントに奧が深く、人間の真相心理、生き方について教えてくれる哲学…
ああ、もっと人間をみがかんとアカンなぁ…
そう思う年の暮れです。
忙しければ心はソコにあらず…
もっともっと見つめ直して行かんとアカン…
反省だらけの一年でした。
反省だらけの一年でした。
来年もまた同じことを言っているかもしれませんが、チョットでも成長したいと思うワタシなのでありました。
ははは…