知覧特攻平和会館にて | The Sam's Room

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一言で言えば『悲劇』だとしか言いようがない。

何の為に、誰の為に…と言った問題ではなく、『なぜ死ななければならなかったのか』ということにしかワタシは思いは巡らせないのである。
                (今日はちょっとマジメな話し…)

        ……… ◇◇◇ ◆◆◆ ◇◇◇ ………


久々に訪れた『知覧』。
そこには『知覧特攻平和会館』という施設がある。
国を想い、家族を思いながら、そして明日の日本を想いながら死んでいった若者の姿を後世に伝える施設。
ワタシは二度目の訪問…。ここに来ると色んな想いが錯綜するのである。

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特攻隊員…

彼らは何故、死ななければならなかったのか…
彼らは何の為に死に旅立ったのか…

ココには彼らが残した声がある。
ココには彼らの残した遺書がある。

母のことを想い、気遣う手紙、
婚約者への思慕を綴りつつも、彼女の未来を気遣う若者の手紙、
幼い子どもへ残した親心がカタカナで書かれた手紙、

全部が遺書である。
これが永遠の別れと確信しつつも、文章には『明日は死に行く者』とは一切感じられない手紙。
そんな内容が余計に『悲劇』を感じさせる。
そうなんだ、これは『悲劇』なのだ。



特攻隊員は17歳から30歳前後の若者。
多くが20歳前後で7割が学徒出陣であり、職業軍人ではない。



見逃してはならないことがある。
それは、
彼らの本質論である。

当然、ワタシなんぞに彼らの深層心理は知るよしもないが、若くして死に行かなければならなかった彼らの『遺書』から読み取れるモノがあるのではないだろうか。

彼らは決して国に怨みや、命令に関する反目の言葉は綴られていない。

しかし、彼らの文章を読み込むと『命の尊さ』『愛する者への想い』『平和への願い』、そしてその奥に隠れた本当の想い、すなわち『 無念 』が読み取れると感ずるのはワタシだけだろうか。
ある若者は『恋人にもう一度会いたい』と最後に綴っていた。

無念 怨み は全く文面にはでていない故に、余計にそれを感じてしまう…



特攻隊員は純真だ。
特攻隊員は勇士だ。
特攻隊員は神々しい…

そんな雰囲気が全体に漂っている。

それは…、
多分、それは間違ってはいないのかもしれない。
確かにそうかもしれない。
それはそうだけど…、


でも、
あまりにも悲しすぎやしないか!

そんな思いだけでこれを、遺書を読み取ってはいけないんじゃないか。

展示について、単純にヘタな感動が出来ない自分がいる…
遺書だけを読んで、その若き想いを単純に涙することが出来ない…
天邪鬼なんだろうか。
もっと深いところを読み取りたい…そう思うのである。


言っておくが、ワタシは 右翼でも左翼でもなんでもない
戦争は否定はする、絶対にする!
そしてこの館を否定はしない、絶対に!


でも、この展示は複雑な思いをワタシに与える。

勇士か?
英霊か?
祖国愛?
犬死か?


全部違う ように思う…

そんな言葉で表すのは返って彼らの本質に迫っていないと思う。
間違っているかもしれないが…。
彼らは『犠牲者』。

犠牲者…ではあるけれど、でも、ここにあった表現に『彼らの犠牲によって今の平和な日本がある』というのも…ちょっと考えさせられる表現かもしれない。
語弊があるかもしれないけれど…


もっと本質論を考えたい…
もっと彼の『心』に迫りたい…

美辞麗句ではない、沖縄戦で特攻で死んでいった者、1,036人のことを。
彼らの本当の想い、無念、恐怖、なくしてしまった未来のことを、そして人間としての尊厳を。


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これは、
悪者探しをするのではない。
軍が悪い、特攻を考えついた奴が悪い、国が悪い、指揮官が悪い… そういうことは今、ココで指摘するのはなんの意味も持たない。
ワタシ個人がなんと言ってもそれは個人の思想、考えだから。
敢えてそういうことは書くのはよそう。

真実を、そして実際を考えてみたいと思う。

特攻が始まったのは1945年(昭和20年)3月26日のことだ。
この時点で日本はどういう状況だったのか。

沖縄や日本本土も空爆を受け、日本は益々苦戦を強いられるようになっていく。特攻が始まったときは既に圧倒的な戦力を誇る連合軍には勝ち目はないと解りつつも抑えが効かない日本軍の末期であったろう。
命令を下す軍人全てが悪党でもなく、非人間的な心を持っていたわけでもあるまい。しかし、戦況は軍隊の心を狂わせ、時代は『特攻』という戦術を練りだしてしまった。元より、自らの命で敵を倒すという戦術はある。でも、それは決して賢いやり方ではないことぐらい誰もが解っているはずだ。
戦争は『殺し合い』である。それは『国』とか『正義』とか言う言葉に屡々置き換えられるであろうが、『殺し合い』には違いない。
命令をする者が存在し、死に向かう者が存在する。
死に向かう者はそこで一番大事なモノと決別しなければならない。 命だ…

自ら進んで、本当に好きこのんで『死』に向かうことはないはずだ。でも、彼らは国を想い、、家族を思い、日本の未来を想い死に向かった。
『お国の名誉』ともいう。
『名誉の戦死…』ってか? ホントに名誉だろうか。
もし名誉だとすれば『名誉』なんてなくたって良い…。
教育の怖さ、マインドコントロールの怖さを思い知る…。


話しを戻そう。
若き特攻兵は大した訓練も受けずに250kgもある爆弾を積んで死出の旅に飛び立った。
彼らを待ち受けるのは圧倒的な勢力を持つ多くの連合軍戦艦と多くの高性能戦闘機だ。特攻飛行兵の7割が学徒出陣で有り、飛行機操縦にかけては未熟な若者が銃撃戦をかいくぐり突撃に成功するであろうか…。
連合軍の写した特攻隊の爆撃の様子が館内に流れていた。敵艦に命中することなどほとんど無い…。

また逆の立場からすると、特攻を受け沈んでいく軍艦にも人は乗っている。特攻を受ければ彼らも死んでいくのだ。体当たりで何百人も死んでいく…。
どちらも不幸で悲劇…。

特攻の末期では練習機までが使われた。旧式の機に250kgもの爆弾を積んでは300km/hも出ないであろう。敵機は500km/h以上もでる。しかもその旧型機を操縦しているのは訓練も十分に受けていない少年兵なのだ。目的を達せられずに打ち落とされるというコトは誰にもわかる事実であろう。

実に悲しい…
でも、決して『犬死』と表現も出来ない。そんな言葉で片付けることは出来ない、『悲劇』なのだから。
でも、その行為を『勇士』と語るにはあまりに『悲劇』過ぎるともワタシは思う。


この作戦の愚かさは誰にも解っていたはず。命令を下した軍部も作戦官房も指揮官も誰もがそんなことぐらいわかっていた…はずだ。

だがそんな作戦にでた、いや、でなければならなかった状況を思うとこれもまた『悲劇』だと思う。
決して軍をかばったりはしない。こんな目茶苦茶な作戦を行った指揮官を許すことは絶対に出来ないが、でも、『戦争の悲劇』はそこにも存在する。

ワタシ達の学ぶべきことは…
特攻隊員の深層心理 で有り、
戦争をする人間の愚かさ で有り、
そして、 人間のエゴイズム ではないのか。
エゴイズムは『国益』と屡々混同される。
でも、考えて欲しい。
国益>命 』なのかということを!
それは疑問だ。
人間それぞれ、かけがえのない命。
考えて欲しい。もし、今、貴方が死んで国が残っても、それは嬉しいことなのかを。
国ってなんだろうか。
人間が人間として幸せに生活を営む為に『国』がある のでしょう!
そこを忘れてはいけないと思う。

そんなことをツラツラ考えてしまいました。
いかがでしょうか…


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                別れの杯…

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                知覧の女子学生に見送られ、そして死への旅立ち…


(追伸)
この記事には賛否両論あると思います。
考え方はみんな違います。
ワタシ自身、この記述が本当にワタシの考えを100%出せているとは思いません。
言葉足らず、誤解をよぶ表現があったことでしょう。
でも敢えて書いたのは『人間の命』『人として道』『人間の尊厳』を考えてしまったから…です。