政局・政策・天下取り… 日本の政治はどうなる? | The Sam's Room

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どちらでも良いんですが…
でも、本当に国を考えてくれているところはどちらなんでしょうか?
ちょっといつもとは違う内容です、今日のブログ…。でも、決して他意は御座いませんのでお時間があればお読み下さいません。

『天下取り』という言葉があります。
国取り物語とでも言えるのでしょうか、歴史を飾った多くの大名達がいました。
戦国時代には、織田信長、毛利元就、上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉、そして徳川家康…、多くの大名達が『天下人』を目指してしのぎを削っていました。

天下を取る… 何のために、戦国武将達は多くの命を犠牲にして『天下取り』を目指したのでしょうか。
一人の武将の私利私欲のため、若しくは名誉欲や独占欲、支配欲が高じて、○○家という集団を形成し、一族郎党が結束して領土を奪い合い、君臨するためでしょうか。
領土を奪い合うのは、『食べていくため』『より豊かな生活をするため』という目的もあります。でも、本音で言うなれば、領土を広めて、自分が『天下を支配』する…という物欲の塊と言った方がピッタリ。人の上に立ち、権力を持つ…これは人間が持つ、いや動物の世界だって同じです。猿山のボス猿と殆ど変わらないのが『天下取り』なのでしょう。


今、日本の政界は『天下取り』のために右往左往している集団がいます。そして、一方では『我が天下』を死守しようと必死になっている政治集団もあります。

どちらが良いのか、どちらに任せば今後のためになるのかはワタシにははっきりとわかりません。どちらもどちらという気がしますので…。

ただ…、『政局』と何かとっても尊いもののように騒いでも、それは『我が党』の『支配欲』であるように思わます。政権の取り合いにしか写らない…。
『政局』とは政治の重大な局面や動向という意味ですね。主導権争いという意味にも使われます。
それが情けないことに、

勢力争いですか…
それだけ…!?

結局は『国民不在』なのではないでしょうか。『国家、国民のために』とかけ声は良いのですが、でも、本音の『我が党が支配する為の闘い』という部分がチラチラ見えてどうしようもないのです。重大な局面を迎える中で~なぁんていっても、それは政治家達の保身と支配欲の問題でしょ!と穿った見方をしてしまう。哀しいけれど、そうのようにしか見えてこないのです。

本当に国民の生活と国のために骨身を削っている政治家も沢山います。でも見えないのです。探す術もないのです。付き合ってみて初めてわかることなのかもしれませんね。

何のために政治家として動いているのか、その人の行動などを見ていると『支配欲』や『単なる政治好き』としか写らない人が多すぎるのです。

政治というのは『ゲーム』なのかもしれません。自分が主役で、世の中を操るのが面白いというゲーム。最後は支配権を得るためのゲーム。そしてそのゲームの主人公になりたがっている人がいる…。

マニフェスト?

確かに美味しい言葉が羅列されています。

でも、ホントにそういうことが出来るのですか?
実態と現状把握はシッカリできていますか?

人気取りとしか思えない政策が多すぎるんじゃありませんか?

お金をばらまくことだけが福祉ですか、教育ですか、子育て支援ですか?

お金を頂けることはありがたいことです。
欲しいですよ…。

ここで一応断っておきます。ある党を批判する意味は決してございません。そしてある党に荷担する気持ちも一切ありません。ワタシは今、普通に考えてみてどうなんだろうかと思うことを書くだけです。まったく他意はありません。くれぐれも誤解されませんように…。


で、手当をどれだけくれるとか、学費がタダになるとか、高速道路がタダになるとか、すっごく良い話しがあります。

そりゃ、嬉しいですよ。お金を頂けるし、タダになったり安くなったりするモノが多いとね。

でも、普通に考えると『無から有は生まれない』のです。

だから、その財源は? という話しです。
無駄を省くとか、精査するとかいう話しがあります。
でも、先ずはその無駄を省いてから(財源をシッカリ確保してから)、タダにするとか低減さすと言う方が現実的だと思います。

国家予算については、多分こうなっているんだろう、とか、きっと無駄遣いがあるはずだ、とか、こんな所は絶対に削れるはずだ…と議員が思っていることでも、実際は複雑に色んなものが絡んで、必ずしも理想通りというか、『無駄=不必要』とは限らないことだってあるものです。
ややこしいですねぇ…
『無駄』というのは『どちらか一方』の理屈であって、必ずしも普遍的な無駄とは言えないことが多いのです。
簡単な例を出せば、高速道路がない=不便≠無駄  つまり、高速道路は無駄だからもう要らないのか! というコトがあります。宮崎県が主張していますね。
都会の、若しくは高速道路網が発達しているところから見ると、車の台数も少ないし、それを造っても通行量が少なくて効率が良くない、と言うことになるとすれば、それは『無駄な道路』となります。
でも、田舎に住んでいて、鉄道もなく、また道路も田舎道で細くて曲がりくねっている道しかない地域に住んでいる人の利便性と生活上の安全はどうでしょうか。
1日の通行量はそんなに多くなくても、例えば、災害時や救急車が通るためには『通行量が少ない高速道路』だって、その土地の人にとれば無駄な道ではなくて、無くてはならない『命の生活道路』になるのです。道路網が整備されていないために、例えば、ソコの地域で起こった事故や病人を病院に搬送するのが間に合わず絶命してしまう人が多いという事実を『効率追求する自称正義の味方、経済の味方』を自称する『高速道路はもう要らない派』の人は認識しているのかと言うことです。
だから、『通行量の多くない高速道路は無駄』という理屈が正解なのか、またそうではないのかと言うことになります。
片方から見れば『無駄』、でもソコに暮らしている不便を強いられている人からすれば『必要』ということです。
ただ、ホントに要らない道もあることも一方では事実ですが、それは別として。

例が長くなりましたが、『無駄を削って予算を生み出す』ということは、実は凄く難しいことで、安直に出来ることではないという事実を認識しているのかどうかと言うこと。

そして、『精査して見直し、そこの財源を回す』というのも、制度自体から、また、組織の編成替えをしてからでないと出来ないと言うことが多いのです。

だから、現実に予算が伴わないのに、捕らぬ狸の皮算用で『手当の支給や無料化を図る』ということは、どう見ても現実的な施策のように見えない…のです。

確かに理屈は合っています。でも、それが即効性を持っているのか、また現実味のあることなのかというとそれはギモンです。

結局は、安易な『捕らぬ狸の皮算用』は、増税に繋がります。予算もないのにそれを実行すれば、財源がない=増税  、 若しくは、国債発行=借金=国民負担=増税 しか道はないのです。

テレビや新聞報道でしか『世の中の動き』がわからない人々が大多数です。
マスコミが批判すれば、それは国民全体の批判に繋がってしまう日本…。
自分で考え判断する力も目も持てないように仕向けられている国が『日本』なのではないでしょうか。簡単に情報がとれ、また情報は溢れていますが、それを選択する目を養うことが肝要だと思います。

官僚不要説の様な発言も屡々見受けられますが、日本の政策はその殆どが官僚が行い、国家存続の礎となっています。一部に腐敗や利権がらみの不届き者も存在しますが、概して日本の官僚は優秀です。国家のことを一番考えて日本を動かしているのは官僚なのかもしれません。その官僚をうまく使い、動かせる人が『優秀な国会議員』なのかもしれません。少々乱暴ですが…。

何を言いたいのか…。

■甘い言葉、バラマキ政策に翻弄されてはいけません。
■キチンとした政策を出し、キチンとした裏付けがあるかを見極めなければなりません。
■政策は『長期展望』がなされているかを見極めなければなりません。
■世界の中の日本…という視点に立って政策が決定されているかを見なければなりません。
■経済政策は『単一方向』ではなく『多角形』で考えられているかを判断しなければなりません。
■国民の負担までキチンと説明でき、それが必要最小限であり、克つ、効果的で実効的なのか。
■理論と方法論の整合性はあるのか。

マニフェストは大切ですが、それをキチンと読んでこそ判断が出来るものです。政策にはそれなりの根拠と実効性と財源とコンセンサスが必要です。
本当に出来ますか?

国会議員の数も大きな問題です。参議院の必要性も議論しなければならないでしょう。

選挙が行われようとしている今こそ、改めて日本を考える好機になるのではないでしょうか。

批判ばかりを繰り返す党は信用できません。カラ政策を声をからして言うのもどうかと思います。党内がまとまっていない党も考え物です。長期政権も問題かもしれません。

どうなっている、今の日本…。

国会議員の先生、頑張ってください。こっかいぎいんが、『こっけいぎいん』になってはいけません…。