ディープラーニングで考えることを覚えたAIは、もはやその思考の過程が判らなくなっている。
 その一手が人間の棋士が誰も考えなかった手であることは判る。
 しかし、どういう思考過程を経て、そういう一手を思いついたのかは判らないわけである。
 ブラックボックスなわけだ。
 それがある種の人間にとっては薄気味悪く感じるのであろうことは理解出来る。
 それが、AIをことさらにおとしめようという発言に繋がるのかもしれない。
 愚かなことだとは思うが。
 
 
 風邪を引いた状態でAI・ロボット関係の書き込みをつらつら見ていると、未だにAIは人間がプログラムしたとおりにしか動けないと思い込んでいる人間が少なくないことに驚かされる。
 人がプログラムした通りにしか動けないのだったら、チェス、将棋、囲碁などであれほどの強さを発揮するなどあり得ない。
 AIは今や人間が想像だにしなかったような手を打ってくるのである。
 これはプログラムではあり得ないことだ。
 AIは創造的な1手どころか、あり得ない一手を打ってくる。
 これはディープラーニングによってAIが考えることを覚えたためだろう。
 ディープラーニングが開発されたのはいつだったのか調べたがよく判らなかった。
 しかし2012年に世界に注目を浴びたらしいから2012年がディープラーニング元年と考えて良いだろう。
 今からたったの5~6年前だ。
 それからAIは爆発的な進化を遂げた。
 だから未だにAI=プログラムと思っている人はディープラーニング以前の知識でAIを考えているわけだ。
 愚かしい話だ。
 風邪を引いてしまった。
 熱と寒気と嘔吐感がある。
 困ってしまう。
 2月26日文庫版BEATLESSを購入した。
 24日発売だが例によって福岡は2日遅れだったようだ。
 上下巻で各950円。
 挿絵はない。
 TV放送に合わせてかなり改変しているそうだから、これから改変部分を確認しながら読んでいこう。
 書籍「シンギュラリティは近い」を一応読了した。
 一応というのはかなり斜め読みしたからだけれど。
 なかなか面白かった。
 それまで遠未来のことと思っていたことが、自分が生きているうちに起こる近未来のことであることを、数式などを用いて描いてくれたわけで、かなり説得力があった。
 その近さがカーツワイルの未来論の特徴であるわけだ。
 信じるも信じないも読者次第だ。
 まあ私が生きているうちにその成否は判ると思うので楽しみである。
 ああそうだ、「人間の超人化」というのは肉体の超人化もさることながら(それも不老不死化がメインだけど)、メインは頭脳の超人化が大きい。
 人間の頭脳をコンピューターでサポートし、いずれは100%頭脳自体をコンピューター化するという。
 100%コンピューター化した場合、それはもはや人間ではなくAIではないのかという問題の解決は未来に任せようということかな。
 それはさすがに22世紀以後の問題になるのではないだろうか。
 それとも21世紀中に起きる問題かな。
 どうなんだろうね。
 シンギュラリティ思想にとっては不老不死も通過点でしかなくて、サイボーグ化による「超人」化が目的だという。
 まあ超人化しなければ、超人化したAIについていけないということはあるな。
 超AIと超人化した人間が手を取り合って宇宙に進出し、宇宙を超知能化することこそが人類が存在する理由であるという。
 ここいらへんになると哲学的な問題になるけれどね。
 北朝鮮のあれとか、中国の習近平とかああいう独裁者がいつまでも死なずに生きてるということになるな。
 北朝鮮なんか国民の寿命は短いままで、あれだけ長生きしそうだな。
 中国もそうなりそうな気がするな。
 共産党員だけが不老処置を受けれたりしてね。
 ああいう階級制国家は寿命まで階級制になりそうだな。
 それを潰すのは今以上に力がいるが、何とかなるように思う。
 シンギュラリティというとAI用語というのが世間一般の認識(世間一般にシンギュラリティという言葉がそれほど浸透しているかも疑問だが)だと思う。
 しかし、レイ・カーツワイルの「シンギュラリティは近い」を読んでいるとAIと同等ぐらいに医学面が重要な気がしてきた。
 医学面の「シンギュラリティ」とは何かというと、ずばり不老不死、あるいは不老長寿である。
 人は死ぬものという人間界の常識が覆るということを予言しているのである。
 おそらくAIに関する予言以上に、人間にとって受け入れがたいのがこの予言ではあるまいか。
 そして1948年生まれのレイ・カーツワイルの同世代から不老長寿になる世代に入るという。
 私も不老長寿世代の一人というわけだ。
 1948年生まれが80歳になる頃は2028年、100歳になる頃は2048年だ。
 確かに不老長寿になる可能性はあると思える。
 人が受け入れがたかろうがそうでなかろうが、これからそれが正しいかどうかいやがおうでもはっきりするだろうな。
 今年の「世界経済フォーラム」、通称「ダボス会議」の主題はAIによる「デジタル専制政治」だったそうです。
 こういう話題がそういう場で話されるようになっているんですねえ。
 日本は相変わらずぼけぼけで心配されているようですが。