USSエンタープライズNCC-1701
スタートレックの放送40周年を記念してオークションが10月に行われるらしい。
スタトレ40周年、お宝1000点ネット競売 (iza)
おそらくは世界中のマニアが参加するだろうから、貧乏人の私は傍で見ているのが精一杯だろう。
良いもん、バンダイのプラモデルで我慢するもん。
友人にはTNG好きが多いが、自分にとってはTOSのTMPが一番。だから買ったのも1701無印なのだ。
韓国人につけるクスリ 2打!
書店で見かけて購入。
- 韓国人につけるクスリ 2打! (中岡 龍馬)
韓国と言う国を知る上では、情報源の一つとして有用だとおもう。
著者自身は“日本人の目から見た韓国の実態/事例”をおそらくは中立的な視点で述べておられるのだろうが、なぜか批判的なスタンスに見えてくるのも興味深い。
首相の靖国参拝
iza で首相の靖国神社参拝に賛成か反対かでトラバをという企画。
早速便乗してみたいと思う。
さて、どちらかと言えば賛成寄りではあると考えていた。
が、改めて考えると実はどうでも良いと思っていることに気付く。終戦記念日だろうが、その前後だろうが、例大祭だろうが、あるいは何の関係も無い日だろうが行きたい時に行けば良いのだし。
逆に終戦記念日(或いはその前後)に参拝することで、つまらないニュースが溢れるのもどうかと思う部分もある。
やれ政教分離がどうだ個人/公人がどうだと、実のところどうでも良い話をしつこく聞かされるのもいい加減飽きてきているのである。
結局「どちらでもない(どちらでも良い)」が自分の結論であるということに落ち着いた。なんと言うか、実に事なかれ主義的な結論であるとは自分でも思うが。
北壁の死闘
ずいぶんと更新をサボってしまった。
8月に入ったからというわけでもないが、仕切りなおして再開しよう。
- 北壁の死闘 (ボブ・ラングレー, 海津 正彦)
会社の後輩に貸していた本が戻ってきた。
言わずと知れた山岳物の名作。
感想を尋ねたところ「死ななすぎ。というか、普通死ぬでしょこれ」。
気持ちは分からないでもない。でも、死んじゃったらドラマにならないからこれでOKなのである。
(奇跡の生還てのもないわけじゃないし。)
グッドバッドママ
ああ勘違い。
19日のエントリー に書いた「犯罪者の矜持」の元ネタは「グッドバッドママ」だった・・・。
- グッドバッドママ 1 (1) (萩原 玲二)
しかも、元々は「罪の矜持」だったし。
同じ雑誌の同じ漫画家ってことで、分かる人にしか分からない間違い方をしてしまった。
ローマの休日
ローマの休日格安DVDの販売差し止め仮処分申し立てが却下されていましたが、予想通りパラマウントが高裁に抗告しました。いわゆる「53年問題」です。
- ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 (初回生産限定版) (パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン)
以前のエントリー にも書きましたが、「著作物が広く利用されること」が著作権法の目的の一つになっているわけです。であれば、この「53年問題」のような法改正の境界条件で判断が曖昧になるケースは、権利者の保護よりも健全な利用促進を優先して考えるべきじゃないかと思ったりします。(外野の私としては、権利者が権利を濫用しているようにしか見えないのです。)
例えば、マンガをアニメ化するときに名前を変えたりします。なぜでしょうか。
原作の権利者は、いい加減な商品を出して欲しくないからきちんとチェックはしたい。しかし商売する側はタイムリーに市場に出したいので商品化は極力自由にやりたいし、それは消費者側のメリットでもある。名前を変えることで法律上は別の作品として扱われるわけで、キャラクター商品等を製作/販売するときの商品化に関連する諸権利の所有を整理しちゃうわけですね。著作物で商売する上での一つの解決方法ではあるんでしょうが、何かが間違っている気がします。
私が好きな「ドラゴンボール」はZもGTも関係ないんですがねえ。
責任をとるということ
産経新聞のコラムに自己責任論。(【コラム・断】サマにならない「自己責任」 )
まず、この「自己責任」という言葉をなんとかしたい。自己の存在を強調するのであれば「自分の責任」で必要十分だろう。
さて、何をするにも「自分の責任」である(だから自分の好きなようにさせろ)という主張がある。基本的には賛成だ。言葉どおりに責を任せることが出来るのであれば。
“責を任せられるかどうか”は誰が判断するのだろうか?
当然、自分でする以外には無い。自分には責を任されるだけの資格/能力があると判断したのであれば、「自分の責任」で実行すれば良い。自分にはその資格も能力も無いと思うのに(あるいは考えたことも無いのに)「自分の責任」などと言うのは、責任という言葉だけを担保にした(無制限な)自由の主張でしかないだろう。
これは覚悟あるいは矜持の問題ではないだろうか。
責任をとる覚悟、ありますか?
責任を持てるという矜持、ありますか?
やたらと「自己責任」を振りかざす人にこそ問いかけてみたい。
(「犯罪者なら、犯罪者としての矜持を持て」ってのは、何に出てきたのだっけ? 筒井の『パプリカ』あたりだったかなぁ)
なぜ人を殺してはいけないのか
とあるブログで紹介されていた。まだ読んだことは無いので、機会を見つけて読んでみようと思う。
- なぜ人を殺してはいけないのか? (永井 均, 小泉 義之)
よく言われる理由は「自分は殺されたくないだろう、だから他人を殺すな」というもの。しかし、これは全く不十分だと思う。この回答は、わりあい簡単に次の疑問に結びつく。
相手が人間じゃなければ殺しても良いの?
相手が自分を殺そうとしているなら、その前にこっちが殺しても良いの?
例えば戦争。自分達のコミュニティを守るために他人を(時に相手は人間ではないと言い聞かせて)殺す。
例えば神風特別攻撃隊。例えば姥捨て、間引き。口減らし。自分達のコミュニティを守るため(と信じて)、仲間に犠牲を強いる。
例えば死刑。
これらの疑問、事実にどうやって答えるのか。人は人を殺し続けてきたし、それを良しとしたことだって幾らでもある。「自分が相手を殺そうとしなければ、相手だって自分を殺そうとしたりはしない」なんて素朴な理屈が通用するほど世界は単純じゃない。
その意味で、著者の一人が述べているという「その疑問が哲学/学問の入り口である」という回答は、実に素晴らしい。対象を人間に限定する必要も無い。誰もが「殺すこと」についてとことんまで考えるべきだろう。100点満点の回答など無い疑問をとことん考えることは非常に大切なことであり、またそんな自由が許される時間は(そういった職業を選ばない限りは)そう沢山は無いのだから。
そうして得られた個々人の回答が良い/悪いのいずれであっても、その回答に至る理由が論理的(理屈)であろうとも感情的であろうとも、全く構わないと私は思う。
有人飛行
乾電池(単三)を使用した世界初の有人飛行に成功したとのニュース。松下が協力しているってことはオキシライドを使ったんだろう。160本を使って59秒の飛行時間というのは第一号機としては優秀なのか少々判断に苦しむ。それでも、人力飛行機+モーター重量+電池重量と考えれば十分に強力とは言える気がする。
ナウシカのアレ(のようなもの)もゴム索曳航とはいえ有人飛行テストに成功しており、今年は飛行機の当たり年かもしれない。
OpenSky プロジェクト
優しい鷲JJ
いわゆる「ゆとり教育」を問題視するニュースが流れていた。簡単な四則演算を誤答する小学生が増えているという、以前から指摘されているような内容ではある。私の時代はいわゆる「つめこみ教育」が批判されていたわけで、その反動としての「ゆとり教育」なのだろうけれど、きちんと「教育」しているのかは多いに疑問だったりする。
正直な話とても困っているのだ。会社に入ってくる新人の多くが「せめてこれ位は知っているだろう」と思うレベルの知識を全く持ち合わせていない。知識だけならばまだ良い。知らないなら教えて覚えてもらうだけのことだから。
まず応用が利かない。一度10のことを教えたら、次は5、その次は3、最後に1を教えれば後は自分で勝手に勉強していくことをこちらは期待するのだが、毎回10を教えないと理解してもらえない。非常に面倒なのである。
それから、論理を構築できない。だから自分のしていること、したいことを系統立てて説明できない。「XXが無いと仕事が出来ません」としか言えない。何故なのか、ほかに方法は無いのかを尋ねても出来ませんの一点張りでは、協力のしようも無いのだけれど、それも理解してはくれないようだし。(きっとオヤジが難癖つけてる程度にしか思われていないんだろうな、悲しいことに。)
そのくせ社長は事あるごとに「うちの社員は優秀だ、優秀だ」と繰り返してくださる。(そんなこと無いです。私を含めて9割はボンクラだと思ってください。)もし新人が真に受けたら、うちの会社の将来もわりと暗いかもしれない。日本の将来はともかく、自分がいる会社の将来は明るくあって欲しいのだが。
- 優しい鷲JJ 1 (1) (望月 三起也)
この作品の中に、小学校で分数を理解できなかった女学生が「カップ1/3」が分からなくて料理が出来ないと嘆くネタが登場する。よもや冗談で語れない時代が来るとは思わなかった。
(追記)
書き上げて登録して、改めて考え直してみたら・・・
「学園シャンプー」だったかも!?
なんだかそんな気がしてきた。全部実家に置いたままだから確かめられないしな。こんど漫画喫茶あたりで確認するか・・・。
