河合隼雄さんの書かれた「しあわせ眼鏡」という文をご紹介します。この文は15年ほど前に、英語の教材に添えたものです。
今日は12月から勤務した某通信制高校の授業の最終日でした。この学校には、集団クラスと少人数制の授業があります。少人数制は、3月は授業が無く、面談をするそうです。授業料はトップクラスのこの学校、かなりの経済的余裕がないと通わせることはできません。
3月に授業がまったく無いというのは全日制と定時制ではあり得ません。毎日通学する登校型の通信制が増えていますが、単位認定はあくまでもスクーリングと提出物、試験なのです。教科によって、スクーリングの日数も違います。なので、普段の授業は教員免許をもっていない方が教えていても良いのです。(公立の通信制高校ではあり得ないことですが。)
全日制、定時制、通信制というのはシステムが違うと言うことを保護者、生徒が良く理解していないと、学校に対する不満が生じる事もあります。
通信制はオフィスビルでも授業はできますが、全日制、通信制は自然光による教室の明るさまでもが、文科省令・高等学校設置基準というので定められています。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16F20001000020.html
図書室や保健室、運動場などが基準以上の広さでなければ、学校として認められません。
話を戻します。
この少人数制のコースの生徒は、私立の中高一貫校や進学校を退学、転校してきている生徒が多く、礼儀も服装(私服ですが)もきちんとしています。
授業を受けるという心遣いができるので、とても好感の持てる生徒ばかりです。基礎的な学力があるのですが、自信を失っている所が見受けられます。
いわゆる、お受験校と呼ばれる学校では、学力でのつまずきが、不登校につながることがあります。学校を休めば、授業内容の進度が速く、分からなくなり、さらに学校に戻りになり、自信を失っていきます。
最終授業に、映画・Back to the future Ⅲの最後の場面の教材とともに、この文を配りました。
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「しあわせ眼鏡」という題を編集長から与えられたとき、なかなかいいタイトルなので気にいってしまい、連載を引き受ける気になった。幸福ということは私にとって非常に大切なテーマである。
心理療法という仕事をしていると、不幸な人が何とかそれを脱出して幸福になる道を見いだすために訪ねて来られる、と言ってもいいほどである。
世のなかには本当に不幸な人がおられる。早く親に死に別れた人、思いがけない事故に遭った人、難病にかかった人、しかもそのようなことが繰り返される人。少しでもうまくゆきかけると、つぎの不幸がやってくるのである。あまりのことに、怒る気も嘆く気もなくなったと言われた人もある。そしてそれらはすべて本人の責任ではない。「何も悪いことをしていないのに」と言われる人もある。このような人にお会いしていると、人間というものは不公平にできているなと思ったりする。
それでも共に歩んでいると、また道がひらけてくるのだが、ここではそんな大変な話ではなく、もう少し身近な話をしてみよう。
ある男子の高校生が学校へ行かなくなった。本人は登校しなくては、と思うのだが、朝になると足がすくんで歩けなくなるような感じがする。両親もやきもきするが、どうしようもない。本人は学校へ行かないだけでなく昼夜が逆転してしまって、昼の間は眠ってばかりというほどになった。たまりかねて両親がそろって専門の相談機関を訪れた。
そこでの話によると、父親は中学校を出ただけで働かねばならず、大いに苦労をしたが、何とか頑張って自営の仕事を切りひらき、まずまずと言えるところまでやってきた。そこで、自分の息子には同じような苦労をさせたくないと思い、大学卒の学歴をつけてやりたいと考えて、小学校のときから家庭教師をつけてやったりした。そのようにして子どもが苦労しないように幸福になるようにと思ってしてやっているのに、親の心子知らずというべきか、子どもは学校に行かず怠けているのはけしからん、と父親は嘆くのである。
この話を開いていると、父親として子どもの幸福のためにと願ってしていることは、ほんとうに子どもの幸福のためになっているのだろうか、と考えさせられる。「苦労をしないように」と言うが、確かに中学校を出てすぐに仕事をするのも苦労だが、家庭教師をつけられて、自分の意思にお構いなく勉強させられるのも「苦労」ではないかと思う。
もちろん、子どものときに苦労することは必要かもしれない。しかし人間にとって自分の意思を無視して押しつけられることは、一番の苦痛ではなかろうか。
このような話を開いて思うことは、せっかく幸福の道も用意されているのに、苦労して不幸の道を選んでいるのではないか、ということである。こんなとき、この父親が自分のしていることを「しあわせ眼鏡」なんてものをかけて見ると「ハッ」と気がついて、子どものほんとうの「しあわせ」を、自分はお金をかけて努力して奪おうとしていることがよく見えてきたりすると、ほんとうに便利なのだが、などと思ったりする。
われわれ大人が子どものころは、ものがないこと、学校に行きたくても行けないことなど「―がない」という不幸が多かった。そこでどうしても「ものがある」「学歴がある」などということを幸福と思い、それを追いかけ追いかけして、いろんなものが手に入ったものの、果たしてそれがほんとうの幸福かという疑問がしょうじてきた、と言っていいだろう。そこで、われわれはこれまでのような単純な幸福感に立って、例にあげた父親のように、子どもの幸福を願ってかえって不幸に追い込むようなことをせずに「幸せ眼鏡」を手に入れて、ものごとをもう一度見直してみることが必要と思われる。
「しあわせ眼鏡」より
河合隼雄 著 海鳴出版
京都大学名誉教授 ユング派分析では第一人者、箱庭療法実践者
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こちらは、教材の最後の部分です。
クララがドクに茶色い紙包みを手渡す。
Doc : Oh. I brought you a little souvenir.
マーティーが包み紙を開けると1885年に時計台の前で撮った写真がでてきた。
Marty : It’s great Doc. Thanks!
Jennifer : Doctor Brown?
I brought this note back from the future and…now it’s erased!
Doc: Of course it’s erased!
Jennifer : But what does that mean?
Doc : It means that your future hasn’t been written yet.
No one’s has. Your future is whatever you make it. So make it a good one.
Both of you!
それは君たちの未来はまだ書かれていないということだ。
誰の未来もね。 君たちの未来は君たちが作るものだ。
だから、すばらしいものにしなさい。 二人ともね。
Marty : We will, Doc!
Doc : Stand back!
タイムマシーンのとびらがしまる。
Doc : All right, boys, buckle up!
Marty : Hey, Doc…where are you going now?
Back to the future?
ドク、どこに行くの? 未来?
Doc : Nope.
Already ( we have ) been there!
いや、そこには行ったさ。
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その学校での最後の授業に出席していた生徒は、まさに良家のお嬢様というような3人でした。
実は、この学校が宣伝している有名大学に進学している生徒達は、ほとんどがこのコースの生徒達です。
未来は他人が作る物ではない、自分で作るということを彼女たちが気づき、自信を取り戻し、元氣なって、新たな道を見つけ出してほしいと願うばかりです。








