◎ 聖書とは何であるか ーー つづき
(ニ) 新約聖書
○ マタイの福音書26:26ー28「また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流されるわたしの契約の血です。』」(ルカ22:19-20,第1コリント11:23-25)
○ ヘブル7:22「イエスは、もっとすぐれた契約の保証となられた。」
○ ヘブル8:7-12「もしあの初めの契約(旧約)が欠けのないものであったなら、第二の契約(新約)が必要になる余地はなかったはずです。神は人々の欠けを責めて、こう言われました。『見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との新しい契約を実現させる。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握ってエジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。彼らはわたしの契約にとどまらなかったので、わたしも彼らを顧みなかった。これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはもはや、それぞれの仲間に、あるいはそれぞれの兄弟に<主を知れ>と言って教えることはない。彼らがみな、小さい者から大きい者まで、わたしを知るようになるからだ。わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。』」
○ ヘブル9:14-15「まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえのみ霊によって、神におささげになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。」
○ ガラテヤ3:14「それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって約束のみ霊を受けるようになるためでした。」
○ ローマ6:14「あなたがたは律法の下(もと)にではなく、恵みの下にあるのです。」
○ ローマ11:6「恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります。」
前々号①恵みの契約の中ですでに指摘したように、神が約束したアブラハムの末裔は1人の人、すなわちキリストを指している。神が約束した祝福は、万有を網羅したTHE SPRIT(その霊)である。また約束された国は旧約のイスラエル国のみならず、新約の教会、来たるべき世の千年王国及び新天新地の中の新エルサレムと諸国を包括している。しかし当時、神はまだその霊と成る過程を経ていなかったので、すばらしい約束は聞いていたけれど、まだ恵みの実際を経験するに至っていなかった。その後、人の無知により、人は自分の行為で神の命令を実行できるものと思った。そういうわけで律法が外から加えられたのである。
○ ローマ10:3「イスラエル人は神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。」
○ ローマ7:14「彼らは律法が霊的なものであることを知っていた。しかし、彼らは肉的な者であり、売り渡されて罪の下(もと)にある者であった。」
その結果、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行う者となってしまった。(ローマ7:19)
イスラエル人は再三失敗し、呪(のろ)われ、患難を経験した。そこで神は多くの預言者を彼らの間に興(おこ)して、何度も多くの場所でメシアの到来を告げた。(ちなみにメシアとはヘブライ語の訳音であり、ギリシャ語の訳音ではキリスト、救い主) 聖書はいたる所にメシアの到来を約束している。イスラエル人もこの思想を持ち、強い希望を持っていた。しかし、彼らは神のご計画の中の贖いを知らず、神が彼らに必ずメシアなる救い主を与えてくださるという約束を真に理解していなかった。彼らはメシアの来臨は単にイスラエルのためであり、イスラエル人を引き連れて、ちょうどダビデ王のように敵を打ち負かしてイスラエルの国を復興するに違いないと考えていた。このような誤った潜在観念は彼らを非常に大きな困惑へと陥れる結果となった。そこでキリストが第1回目に来られたとき、使徒たちはイエスに尋ねた。
○ 使徒の働き1:6「主よ。イスラエルのために国を再興(さいこう)してくださるのは、この時なのですか。」
またパリサイ人もイエスに尋ねている。
○ ルカ17:20「神の国はいつ来るのか。」
バプテスマのヨハネでさえ、このような疑問を投げかけている。
○ マタイ11:3「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも別の方を待つべきでしょうか。」
○ ユダヤ人は長い期間考慮した結果、このように判断した。すなわちイエスは自分たちがかねがね待ち焦(こ)がれていたメシア(救い主)ではない。と。また、サタンに騙されて
○ 使徒の働き2:23「あなたがたは律法を持たない人々の手によってメシアを十字架につけて殺した。」
サタンは神のご計画を破壊したと思ったことだろう。ところが、かえって神の贖いのみ業を成功させる結果となった。主イエスは、ご自分が十字架上で流した血によって新約を樹立し、且つ復活し、昇天し、天上の務めを執行し、新約の仲介人となられた。さらに、命を与える霊となられ(第1コリント15:45口語訳)、主イエスを信ずる者に永遠の命を得させてくださった。
新約とは、神とアブラハムの間に確立した恵みの契約の継続であり、その契約の具体的な実現である。
旧約の重点は、律法を行うことにあり、外面的なものであり、それを実行する能力が無いので不完全と言わなければならない。
○ ローマ8:3−4「律法が肉により無力になっているために、なし得なかった事を神はなし遂げて下さった。すなわち、み子を、罪の肉の様(形)で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。」ー 口語訳
新約の信徒は、キリストが十字架上で一切の消極的なものを解決しただけでなく、キリストは死人の中から復活し、主を信じる人に永遠の命を得させ、生ける希望を与えてくださった。(ヨハネ3:16,第1ペテロ1:3)
○ 神はご自身の律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心に書き記した。(ヘブル8:10)
この彼らの心の板に書き記された律法は、命のみ霊(たま)の法則であり、真理の霊であり、信徒を一切の真理へ導いてくださるものである。したがって信徒は、ヘブル8:11にあるとおり、「彼らはもはや、それぞれの仲間に、あるいはそれぞれの兄弟に『主を知れ』と言って教えることはない。なぜなら彼らがみな、小さい者から大きい者まで、わたしを知るようになるからだ。」
キリストを信じたその日に、その人は永遠の命を得、キリストが再生された(救われた)信徒の心の中に活き、その人の命、力、人位(人格)となる。パウロはこのように言っている。「私にとって生きることはキリスト」(ピリピ1:21)。救われたパウロは、またこのようにも言っている。
○ ガラテヤ2:19-20「私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
新約の信徒は幸福である。「救い」の根幹は堅固であるから失敗を恐れず、弱さを恐れない。
○ ヘブル4:15-16「私たちの大祭司(つまり主イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みのみ座に近づこうではありませんか。」
これこそ新約であり、神が心から喜ぶ約束であり、神が愛するみ子の中で打ち立てられた約束であり、旧約のように外から添えられたものではない。
旧約は神の本意ではなく、モーセの手によって伝えられたものであるが、新約は神の愛するみ子が、永遠の霊によってご自身を傷もしみもないものとして神に献げ、イエスご自身の尊い血によって打ち立てられた約束であるから、永遠に効力のあるものである。旧約の場合は、牛や羊の血によるものであるから、不完全であり、罪を犯す度に犠牲を献げても、決して罪を取り除くことはできない。しかし、新約は信仰によって義とされ、恵みによって救われるのである。
ーー つづく
2023.9.3
(次回‥ 2023.9.13[聖書は神が啓示したものであり、神が私たちに向かって語られた言葉の証明である])
集会所 ‥ 札幌市西区八軒6条東4丁目4-11