◎  前々号NO.264[宇宙教会とは何か]へ寄せられたコメントに応(こた)えて

 

前々号NO.264「宇宙教会とは何か」は大きな反響がありました。

「痛快だった」と言う人がいる一方で、「憤慨した」と言う人も多かったようです。

そこで、「憤慨した」という方のコメントをここに掲載させていただき、次に不肖私の回答を書きたいと思います。

 

「憤慨した」という方のコメント ‥‥

 

「あなた(つまり筆者)の眼(まなこ)が大きく開かれて、およそ純正な信仰を持つクリスチャンでさえあれば、互いに愛し合い、兄弟を包容し、忍耐できるような寛大な人になることを希望します。信仰の真理に違反しないのであれば、極力、他人の感情を考慮し、他人の反感を買うことは避けるべきです。何か特別な指導、あるいは模範を示さなければならない場合を除いては、できるだけ衝突しないで、つまり他のクリスチャンと仲良くやって行くべきではないでしょうか。」

 

筆者の回答 ‥‥

 

コメントありがとうございます。文中に愛という言葉が出てきました。ところでお尋ねしますが、愛とは何でしょう?他人の反感を買うことなく、妥協しながら上手に生きて行くことが愛でしょうか?

 

聖書では[愛]と[神の経綸]とは異なるものです。[愛]は1つのこと、[神の経綸]はまた1つのことです。キリスト者の愛とは[神の経綸]の中にあってこそ本物なのです。

幾つか例を挙げてみましょう。

主イエスはあることを発言したペテロに「下がれ、サタン!」と言われました。(マタイ16:23)愛(まな)弟子をサタン呼ばわりすることが愛でしょうか?主イエスがどれだけペテロを愛していたかは福音書に明白です。しかし、この場合、神の経綸上、主イエスはペテロをサタン!と言わざるを得ませんでした。[愛]は1つのこと、[神の経綸]は1つのことです。[神の経綸]とは英語で言えばエコノミーです。会社を経営する社長は、会社の計画、行政、案配を常に念頭に置いて経営しているように、神はご自身の行政の神聖な案配を持っておられます。全聖書はわたしたちに、神はこのご計画に基づいて働いてこられたし、今なお働いておられると語っています。

イスラエルの民は長年に渡るエジプトでの苦役(くえき)を逃れ、モーセの引率のもと、遂にエジプトを脱出し、幾多の苦難を乗り越えて、やっとシナイ山のふもとまで辿り着きました。時に指導者モーセは、主に呼び出されてシナイ山へ入ったものの、そのモーセが山から一向に下りてきません。そこでイスラエルの民はこともあろうに金で子牛を造り、それをモーセの代わりに神とし、その回りに集まって踊り戯れたのです。下山したモーセはその光景を目の当たりに見るなり、怒りに燃え(民数記12:3によれば「モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった」とあります。)、手にしていたさとしの板2枚を投げ捨て、金の子牛を粉砕しました。さて、ここからは聖書をそのまま書きましょう。出エジプト記32:26-28「モーセは、民が乱れていて、アロンが彼らを放っておいたので、敵の笑いものとなっているのを見た。そこでモーセは宿営の入り口に立って、『だれでも主につく者は私のところに来なさい』と言った。するとレビ族がみな彼のところに集まった。そこで、モーセは彼らに言った。『イスラエルの神、主はこう言われる。各自、腰に剣を帯(お)びよ。宿営の中を入り口から入り口へ行き巡り、各自、自分の兄弟、自分の友、自分の隣り人を殺せ。』レビ族はモーセのことばどおりに行った。その日、民のうちの約三千人が倒れた。」

3000人の血が川のようにそこを流れたのです。どんなに血なま臭かったことでしょう。レビ族は自分の親しい兄弟姉妹も、親族も皆殺したのです。これが愛でしょうか?イスラエル12部族のうち、レビ部族だけが肉の情愛を捨て、返り血を全身に浴び、屍を踏んで、必死になってモーセの元へ行きました。以来、レビ族だけが代々、イスラエルの祭司となりました。ノアは主に祭壇を築いて、いけにえをその上にささげました。アブラハムも祭壇を築き、いけにえをささげました。イサクも同様にしたし、ヤコブもベテルに祭壇を築いているけれど、しかし、これらの族長たちが祭司と呼ばれたことはなかったのです。これが神の経綸です。

 

使徒パウロはあるとき、ケファに非難すべきことがあったので、面と向かって彼をなじりました。(口語訳)ーガラテヤ2:11  なにも衆人の前で同僚をなじらなくても、ケファを別室へ呼んで指摘しても良かったのではないでしょうか?パウロは心の狭いクリスチャンだったでしょうか。彼は偉大な幻と啓示を受けましたが、そのことを誇らず14年もの間、誰にも話さなかった人です。(第2コリント12章)

 

私は次の言葉が好きです。

ウオッチマン・ニー兄弟がまだ学生の頃、イギリスからマーガレット・バーバーという当時50歳代の女性宣教師が中国、福州に来ておりました。指導が厳しい姉妹で、ある時、若い姉妹を厳しく叱りました。その若い姉妹は泣いてしまいました。それを見ていた若い兄弟たちが、その姉妹に言いました。あまりにも厳し過ぎる、と…  彼女はおごそかにこう答えました。「どんな涙にも、その中に十字架の血がまじっていなければなりません。」

 

           blog NO. 264へ寄せられたコメントへの交わり ー 完

 

                    2023.8.24

              (次回‥ 2023.9.3[(二)新約聖書])