大患難と携挙について(B) その②
大患難前携挙説を信じる人たちの
◎ 3つ目の憶測
前携挙説を信じる人たちは、福音書の中の弟子たちは、すべてユダヤ人の弟子たちを指しており、教会を指してはいないという。なぜなら、教会は五旬節(ペンテコステ)の時まで形造られなかったからだと言う。
結論を言うと、4福音書の中のユダヤ人の弟子も現代のクリスチャンも同じである。
4福音書において主は、救われた者がすべて1度に携挙されるなどとは決して言っていない。主はいつも、ただ目を覚まして用意している者だけが携え上げられると言っている。前携挙説を主張する信者は、全教会が救われた者たちから構成されていることは知っているが、すべての者が目を覚まして用意しているわけではないことを知らないのではないか。当時の12弟子は間違いなくクリスチャンである。その理由 ‥
① 確かに、当時の弟子たちはユダヤ人であった。しかし、五旬節の時にも、彼らはあの時の集団の中にいたはずである。教会の柱と呼ばれた人たちも同じ集団の人々であった。五旬節の前に、また教会が設立される前に、主はすでに彼らを選ばれていた。主はこれらの者たちを養って、種とし、土台とされたのであった。さらに主は、教会の中で責任を負うことを特別に意図された。確かに教会はまだ設立されてはいなかったが、このことの前に主イエスから直接受けた教えを用い、また後に使徒パウロから受けた教えを用いて、教会の建造に役立てたのである。
② 大患難前携挙説を信じる人たちは、12弟子はユダヤ人であるからクリスチャンでないかのように言うが、○ 使徒の働き12:26に「弟子たちは、アンテイオキアで初めて、キリスト者(Christians)と呼ばれるようになった」と書いてある。
さらにまた、クリスチャンという名称は、当時、他の人々が弟子たちを揶揄(やゆ)するために用いた名称だった。人々はこの名称を弟子たちにつけて、彼らがキリストのようであることを嘲(あざけ)った。人に2つの名前(弟子、クリスチャン)があるからといって、その人が2人であるとは限らない。弟子たちが後にクリスチャンと呼ばれたからといって、彼らが弟子たちと呼ばれた時に彼らと関係のあったすべての事柄が、クリスチャンとしての彼らに関係が無いと言うことができるだろうか?弟子たちはまぎれもなく、クリスチャンであり、教会であった。
③ マタイの福音書28:19
「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授(さず)け、… 」。
ここでは、あらゆる国の人々を弟子とするようにと言っている。つまり、この世の救われた人すべてが弟子たちであり、ユダヤ人だけが弟子たちではないということである。上記のみ言葉にある「あらゆる国の人々」とは異邦人のことである。大患難前携挙説を主張する人たちは、弟子たちとはユダヤ人であると言うが、聖書も主も弟子たちの間にはユダヤ人がいるだけでなく、異邦人もいると言っている。(因みに新聖書辞典によれば、12弟子の1人ルカは異邦人であったと記している。)
目を覚ましていることと用意をすることに関して、主イエスが弟子たちに対して語られた言葉は、すべてのクリスチャンに対して語られた。したがって、主が命じたように目を覚まして用意することをしない者はすべて、主が来られる時に損失を被るであろう。
以上の考察から、前携挙説を信じる人たちが言う、教会全体が目を覚ましているかいないか、用意しているかいないかにかかわらず、大患難の前に全教会が携挙されると言うことができるだろうか?
大患難前携挙説を信じる兄弟姉妹の
◎ 4つ目の憶測
彼らは主が4福音書の中で語られたすべての言葉、すべての教えは、ユダヤ人のためであった、と言う。今、当blogは、主のみ言葉が律法の下にある人に対するものであるか、それともクリスチャンに対するものであるかを見てみたいと思う。
① 主ご自身はどのように語られたか
○ マタイの福音書28:20
「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
これは主が地上で生きておられた時に、主がすべての弟子たちに語ったものである。主は弟子たちに、行ってすべての国民を弟子とするようにと命じられた。したがって、福音書の中のすべての教えは、クリスチャンに対して語られたものであって、ユダヤ人に対して語られたものではない。主のご命令は、当時の弟子たちだけに与えられたのではなく、使徒たちの教えを聞いて信じた人たちにも与えられたのである。
② では、聖書はどのように語っているか
○ ヨハネの福音書14:26
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
聖霊はすべての言葉を、たとえそれらが何であろうと、わたしたちに思い起こさせてくださる。
③ 使徒パウロはどのように語ったか
○ コロサイ人への手紙3:16
「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊か住むようにしなさい。」
これは、パウロがコロサイのクリスチャンたちに行うように命じたことである。
全教会が大患難が来る前に携挙されると信じる友人たちは、4福音書の教えはユダヤ人に対して語られたものであり、クリスチャンに対して語られたものではないと言う。しかし、これは間違っている。聖書は明らかに4福音書の中の主イエスの教えにわたしたちを戻そうとしている。
なぜ前携挙説を信じる人たちは、4福音書の教えは教会と関係がないと言うのだろうか?それは、4福音書の中の多くの場所が、『誰でも目を覚まして祈らず、用意して待っていない者は、主が来られる時に後に残される』と述べているからだとする。もし、彼らに反論してクリスチャンが携挙されることの条件は『目を覚まして用意していること』であると、4福音書から引用して言うと、彼らは、確かに福音書にそのように書いてあるが、それはユダヤ人に対する言葉であってクリスチャンに対するものではないと答える。前携挙説を信じる人たちによれば、信者が目を覚まして用意していてもいなくても、教会(それがどのような教会であろうと)の中にいる限り大患難が来る前に携挙されると言う。しかし、主はこのようには言われなかったし、聖霊もこのようには言われなかったし、パウロもこのようには言わなかった。したがって大患難前携挙説を主張する人たちのこのような理論は憶測に過ぎない。
* 全教会が目を覚まして用意していない限り、大患難が来る前に全教会が携挙されることは不可能なのである。
ーーー つづく
2024.10. 7
次回 ‥ 2024.10.17
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