黄昏サーカスの曲芸電車〈前編〉 | 佐藤 美月☆庄内多季物語工房 ~心のエネルギー補給スペースへようこそ~

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この世界で、密かに刻まれている時間は、明け方から朝へ、朝から昼へ、昼から黄昏時へ、黄昏時から夜へ、夜から深夜へと、バトンを繋ぎながら、刻々としなやかに移り変わっていく。

だからこそ、その時間帯に合わせて、人々が求める物や行動も、刻々と移り変わっていく傾向があるものだ。

それを言い換えれば、それぞれの時間帯にひっそりと潜む匂いや影や気配などが、人々の心理にも、細やかに影響を与えずには置かないからだ。

例えば、朝は健康的にジョギングをした後で、野菜や果物のスムージーを摂取した者でも、夜になると、煌びやかな夜景を一望出来るスカイラウンジにあるバーで、カクテルグラスを粋に傾けている時もある。

そんなふうにして、朝と夜とでは、別人になったかのように、求める物や行動も変わるのだ。

それは、朝という時間帯に潜む匂いや影や気配などと、夜という時間帯に潜むそれらが、全くの別物だからだ。

それと同じようにして、人々が妖しげなサーカスの出し物を欲するのは、陽光が色褪せ始めた黄昏時が多いことだろう。

何故ならば、黄昏時には、しどけない気分を誘うような匂いや影や気配が漂っているし、人々の方でも、しどけない気分になることを許される時間帯だと思っている節があるからだ。

それに加えて、朝から始まった一日の終わりが、次第に見え始めても来る時間帯故に、そこまで降り積もって重くなった一日分の記憶を、そろそろリセットしたいという欲求に駆られる頃合いでもあった。

それがどんな記憶であっても、多ければ多いほど、人生自体も重くなり、前に進めなくなってしまうからだ。

そんな人々の心の求めに応じて、黄昏時には、サーカスの曲芸を披露する電車が走ることがある。

ただ、乗車する際には、そんな曲芸電車だとは露知らず、何気なく足を踏み入れているに過ぎない。

その車両に乗り合わせている人々も、ブレザーの制服を着用している女子高生だったり、チャコールグレーのスーツに身を固めているサラリーマンだったり、むずかる子供を連れた若い母親だったりと、ごく普通の人々でしかないからだ。

彼らは、一日分の疲労を色濃く纏(まと)っていて、囀(さえ)ずり方を忘れた鳥のように口を噤み、俯き加減で電車の揺れに身を任せている。

そんな沈鬱な空気感の中、あなたは濃紺のロングシートの中に隙間を見付けて、そこに遠慮がちに身を落ち着かせた。

すると突然、車両同士を隔てている扉がするりと開き、場違いな銅鑼(どら)の音が、ジャン、ジャン、ジャジャジャジャジャ~ンと、大音響で鳴り響いた。

一体何が始まったのかと思い、思わず目を見開いたあなたが見守る中、背筋をぴんと伸ばした細身の女性が三人、重力など存在しないかのように、颯爽と登場したのだった。


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・・・ 黄昏サーカスの曲芸電車〈後編〉へと続く ・・・





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義理チョコ佐藤美月は、小説家・エッセイスト・ライター・コラムニストとして、活動しております。


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