いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。
庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。
山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽(せいれつ)な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。
それに加えて、時に不思議な現象に遭遇する土地でもあるのです。
今回、物語収穫人である私、佐藤美月が遭遇致しました不思議な現象は、全部で七夜を通して、お届け致します。
それでは第三夜を、どうぞこちらから、ご堪能下さいませ。
身体がいきなりふわりと浮き上がったかと思ったら、次の瞬間に足の裏が捉えていたのは、ダイニングルームの天井でした。
つまり、蝙蝠(こうもり)のように、天井からぶら下がった格好になったのです。
少し低めのポニーテールに纏めていた髪の毛の束が、ダイニングルームの床に向かって、だらりと垂れ下がりました。
私は慌てて、その時の服装を確認しました。
もしスカートを履いていたとしたら、インナーを仕込んでいるとは言え、股や尻が丸見えになっていたからです。
でも、レギンスの上に、デニム地のショートパンツを履いていたので、一先ずは胸を撫で下ろしました。
それはそうと、いきなり天井からぶら下がった格好になったのは、明らかに月の砂で拵えた、不思議なパワーが秘められている砂時計の仕業に違いありませんでした。
砂時計に秘められている不思議なパワーとは、このことを言うのかと思いました。
それならば、その不思議なパワーのタイムリミットは、きっと砂時計の砂が落ち切るまでなのでしょう。
そのことに思い至った私は、こうしてはいられないと即座に思いました。
恐らく室内にいるために、天井で支(つか)えているだけで、一度外に出てみたら、何処までも高く上昇して行けるのかも知れません。
私は突然授けられた浮遊力のその可能性を試してみたくて、うずうずしました。
そこで天井を歩いて、窓辺へと近付くと、腕を伸ばして、サッシ窓の鍵を開けました。
それから窓硝子を開けると、そこから上半身を伸ばして、身体を外に出したのです。
まるで閉じ込められていた箱の中から、漸く外に出たような気分でした。
夜気はミントアイスのように、冷たく澄んでいました。
それを深々と吸い込むと、肺の中が新鮮さで溢れ返ったのを感じました。
辺りに粛々と広がっているのは、濃紺色のしっとりとした闇でした。
まるで海の底ならぬ、夜の底に沈んでいるような感覚でした。
そうして夜空には、北斗七星を始めとした、数々の星座を従えた三日月が、女王然として輝いていました。
その夜空が少し奇妙な感じに見えたのは、その時の私にとって、夜空は見上げるものではなく、見下ろすものになっていたからでしょう。
まるでサーカスの軽業師にでもなったような気分でした。
そんな気分のまま、思い切って窓枠から手を離すと、私の身体は、爪先を先頭にして、ぐんぐん上昇していきました。
その浮遊感は心地好かったのですが、いかんせん頭を下にしている態勢なので、次第に顔に血が昇って来るのを感じました。
その時、生き物にとって、重力というものは大切なのだと、改めて感じたのです。
どのみち体内に血液が巡っていれば、頭が上になっていても、下になっていても、同じようなものだと思いますが、生き物の構造上、どうもそうはなっていないようでした。
いい加減頭に血が昇り過ぎて、息苦しくなってきた頃に、目の前の世界が、再び反転しました。
・・・ 月の海に沈む廃墟〈全七夜~第四夜~〉へと続く ・・・
佐藤美月は、こんなバックボーンを持っています。詳しくお知りになりたい方は、こちらを紐解いてみて下さいね。
佐藤美月は、小説家・エッセイストとして、活動しております。執筆依頼は、こちらから承っております。→執筆依頼フォーム