いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。
庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。
山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽(せいれつ)な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。
それに加えて、時に不思議な現象に遭遇する土地でもあるのです。
今回、物語収穫人である私、佐藤美月が遭遇致しました不思議な現象は、全部で七夜を通して、お届け致します。
それでは第四夜を、どうぞこちらから、ご堪能下さいませ。
ふと気が付くと、私の両足は、再び地面を捉えていて、頭上には、犇(ひし)めくような満天の星が煌めいていました。
けれども、どうやらそこは、地球とは別の惑星のようでした。
草木が一本も生えていない、殺伐とした荒野が何処までも広がっており、その地面は、琥珀色の砂で覆われていました。
そうして所々に、巨大なクレーターらしき穴が開いています。
それから、頭上で煌々と輝く星達は、シャンデリアのような明るく豪奢な輝きを放っており、更に白銀色に煌めく箒星の群れが、縦横無尽に夜空を駆け巡っていました。
更には、何処が発信源になっているのか分かりませんが、クリスタルボウルを鳴らしているような荘厳な音色が、辺り一帯にしっとりと響いていました。
その澄み切った音色に、全身の細胞が共鳴している感覚がありました。
それは、一つの音が鳴り終わりそうになった時に、また新たな音が一つ、追加されるように鳴り響いてくる感じで、延々と音色のリレーを繰り返しているかのようでした。
その揺るぎのない繰り返しは、一定の感覚で浜辺に打ち寄せる波音に、耳を傾けているかのようでした。
私はその場にしゃがんで、地面に両膝を付くと、琥珀色の砂を右手で掴んで、左の掌の上に、さらさらと零しました。
砂は彫像のように、ひんやりとしていました。
そうして、水のように優美に流れ落ちていく木目の細かい砂は、月の砂で拵えたという砂時計の砂と、全く同じ質の物に見えました。
やはり私が今着陸した惑星は、月であるようでした。
私は手と膝を叩きながら立ち上がると、手近に見えているクレーターの淵まで歩いて行きました。
それからその淵の際に再びしゃがんで両膝を付くと、そこから身を乗り出すようにして、クレーターの底を覗き込みました。
海とは良く言ったもので、そのクレーターの底までは、およそ三百メートルはありそうでした。
そうして直径は、軽く五百メートルくらいはあるように見えました。
ただ、そのクレーターは、他の巨大なそれに比べると、ごくささやかなサイズのように感じられました。
月から遠く離れた地球で暮らす人間からも視認出来るようなクレーターは、恐らく数百キロ単位で開いている、巨大な穴なのでしょう。
もしもその巨大なクレーターの途中に不時着していたら、果てしない底に辿り着くまで、延々と転がり落ちていたかも知れません。
そんな危険な目に遭わないで良かったと胸を撫で下ろしていると、クレーターの底の暗がりから、何やら軽やかな存在が、大群を成して、ひらひらと舞いながら、浮上してくるのが見えました。
その点描を描くような不規則な羽ばたき方は、どうも蝶のようだと思いながら見守っていると、やがて私の目の前を通過して行ったのは、予想通り、菫色の羽根を持った蝶の大群でした。
その繊細な羽根は、繻子織りの布地のように妖艶に色を変えるので、羽ばたく角度によっては、深い瑠璃色に見える時もありました。
私は、何故月に蝶が棲息しているのだろうと疑問に思いましたが、実際に月面にいながらにして、その風景を目撃してしまうと、ジントニックのグラスには、ライムの輪切りが不可欠であるように、月面には蝶の大群が不可欠なのだと思えてなりませんでした。
月面と蝶の大群という組み合わせは、妙に退廃的で、それは月の海の底に沈んでいるという廃墟の存在を、強く意識させることにもなりました。
月面を眺めているだけでは分かりませんが、その海の底には、数多くの廃墟が沈んでいるのです。
それが月を月らしくしているように思えてなりませんでした。
そうして、貴腐ワインの芳香のように華やかな蝶の大群は、まるで廃墟を想い出させる独特の香りのようにして、何処までも広がって行きました。
そんなふうにして、蝶の大群が群れ飛ぶ美しさに見惚れていた矢先、私の世界が、再びいきなり反転したのです。
・・・ 月の海に沈む廃墟〈全七夜~第五夜~〉へと続く ・・・
佐藤美月は、こんなバックボーンを持っています。詳しくお知りになりたい方は、こちらを紐解いてみて下さいね。
佐藤美月は、小説家・エッセイストとして、活動しております。執筆依頼は、こちらから承っております。→執筆依頼フォーム