2020年(幻の)世界選手権:選手たちの声を聞きながらワールド中止を振り返る➁ | 覚え書きあれこれ

覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

(余談ですが、日曜日に予定されていたメディアチーム・ボランティアの会もキャンセルになりました。)

 

 

前記事の続きです。あくまでこれらの記事で述べているのは、いちボランティアとしての私の解釈、個人的な気持ちであることをご理解ください。

 

 

2月24日の月曜日で始まる週、つまりワールド開幕三週間前。
 
私は職場で最後の大きなイベントを済ませ、ワールドに向けて体調を整える体制に入りました。
 
その週の木曜日、27日、ようやくナショナル・ポスト紙の第一面がこちらの写真と記事:
 
 
 
 
それでもまだ、人々は普通に生活をして、満員電車にも乗り、別段大きな集会に制限がかかるわけでもなし。もちろん、マスクを着けている人はほぼ、いません。
 
そんな中、日本の家族からラインなどで情報を得ていた私は、大会ボランティアへの準備として、現場で資材を運ぶ時に使う軍手を近所の韓国スーパーで20個も仕入れ、さらにはアルコール消毒パッドや使い捨てのビニール手袋なんぞも買っておきました。
 
 
 
 
 
ミックスゾーンや記者会見で、マイクが使い回されるのを知っていますし、それらの消毒用に、念のため持っておこう、と。
 
備品が揃って、ちょっと気が楽になりました。
 
しかしその頃から、私の中で不思議な感覚が日に日に高まって来ていたのも事実です。
 
どんどん変化するコロナウィルスの世界状況、どんどん感染国が、感染者数が増えていく中、どうして自分はまだモントリオール・ワールドに赴いて、これまでの大会と同じ様に手伝いが出来ると思っているのだろう。多分、それはあり得ないと分かっているのに、どうして着々とパッキングをしたり、文房具を買ったりしているんだろう。
 
決行も中止も現実味が湧かないという、本当にシュールな感覚でした。
 
やがてカナダ、およびケベック州の保健省の情報を集めるのが日課となって行きました。一日中、更新がないか何度もチェックする私に、夫が「すごくストレス溜まってない?そんなんだったら行くの止めたら?」と言われるほどでしたから、おそらく人目にも切羽詰まっているのが明らかだったのでしょう。
 
不確かな情報は流したくない、でも何かブログに記事を上げたい、と思って書いたのが3月6日(金曜日)付の記事です。日本からカナダへの渡航者に関する、その時点での最新情報をアップしています。エストニアのタリンで世界ジュニア選手権が開催されている真っ最中でした。
 
良く考えたらちょうど一週間前のことなのですよね。遠い昔の様に思えます。
 
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ここで前記事の Ice Academy Montreal の選手たちのコメントに戻ります。
 
彼らの中から、一人として
 
「自分たちの健康にも関わることだし」、あるいは
「自分たちが罹患するかも知れないのが不安だから」
(大会の中止は納得できる)
 
といったニュアンスのことを言っているのが聞かれませんでした。
 
自分たちのことはさておき、周囲のことを考えているから、という解釈もできるでしょうが、私はそれよりも彼らがアスリートとして、ウイルスに感染することの危険性をあまり重んじていないのではないか、と感じています。
 
体を鍛えている自分たちが感染すると思っていないのか
とりあえずは世界選手権さえ終わればオフシーズンに入るのだから、感染してもゆっくり治せばよいと思っているのか
 
ということもあるでしょうが。
 
そもそもスケーターたちは試合に出る際、完璧に健康であるとは限りません。怪我を押すのはもちろんのこと、時にはひどい気管支炎を患っていたり、食あたりでお腹を壊していたりしても、発熱していても、とにかく試合に出て演技が出来る状態であれば、万難を排して出場を選びます。(この様なケースは実際、目の当たりにしているので、確かだと思います)
 
重要な試合であればあるほど、その傾向は強いでしょう。
 
だからこのウイルスに関しても、「自分たちが感染する不安」がワールド出場を諦めるための重要な要因として、選手たちに受け止められていなかったのではないでしょうか。
 
そんな選手たちにとって大会中止の根拠となり得るのは、世界選手権のために集まった(他の)人々によって、モントリオール、カナダ、そして世界中の人々にウイルスがほぼ間違いなく広がってしまうという危険性。すなわち公衆衛生の問題。そのために自分たちはワールド出場を仕方なく、諦めざるを得なかったのだ、ということなのではないかと思います。
 
(ちなみに似たようなケースが春のセンバツ高校野球だと思います。中止になった時、多くの球児が泣いたと聞きます。彼ら自身は若く、健康だから、ウイルスに感染して大変なことになるという実感がなかなか湧かない。なのでよけいに無念さがこみ上げたかも知れません。自分たちが感染して、それぞれの家庭や地域に持ち帰って、感染を広めてしまう可能性があることに気付かされて、初めて納得したでしょうか。)
 
だからこそ、大会中止の決定を下すのは、カナダ側の保健省であるべきだったのだ、と私は考えています。
 
この大会に携わっているなるべく多くの人たちの納得が行くためにも、それが一番良い方法だった、と思っています。
 
 
ここでハベル選手の言葉が響きます。
 
自分たちが練習拠点としているここ、モントリオールは幸い、今のところまだウイルスの感染にはさほど侵されていない。その状況を保つためには(中止は)正しい決断だったと思う、と前置きをして:
 
I empathize with the people that have to make those tough calls, and sit in a room and feel like they have to stop people from their dreams. So thank you to all the people who put their time and energy to make those safety decisions, 
難しい決断を下さなければならない人たちの気持ちも辛いと思います。誰かが夢を追おうとしているのにストップをかけなければならないのですから。皆の安全のために英断した人たち、彼等の費やした時間とエネルギーに感謝します。
 
選手たちの夢を壊すような、誰もそんな決断はしたくない、のです。
 
 
待ちに待った、初めてのワールドを迎える選手。
これが最後のチャンスで、今後一生出られないかも知れない選手。
今シーズンこそ、何かを証明しようとしている選手。
 
全てを犠牲にして、ただただ練習に明け暮れて、その成果を見せてやるんだ、と、この大会に一心不乱にピークを合わせて来た選手ばかり。
 
アイスダンス、ペア、女子、男子。
 
カナダ、日本、ロシア、アメリカ、フランス、イタリア、中国、韓国のような強豪国だけではなく、
 
世界中から熱いを想いを抱えた選手たちが、公式練習の開始に備えて、明日、3月15日の日曜日の晩からモントリオールに集まって来るはずでした。
 
そんな彼女・彼ら一人一人の、全員の夢をかなえるため、戦いの場を整え、滞りなく試合が進行するのを見届けるのが主催・運営組織(ケベック州連盟、カナダ連盟、そしてISU)の人間たちの役目です。

 

戦時中の数年間と、飛行機事故でアメリカ代表チームが全員、失われてしまうという惨事が起こった1961年以外、一度も開催されなかった年はないというのがこの大会です。ぜひとも成功させなければならない、という強い使命感があったでしょう。

 

でもそんな努力も虚しく、どうしても中止にする必要が出て来てしまった。
 
世界中の人々に喜びを与えるはずの大会の開催が、皮肉にも世界中の人々を危険にさらしてしまうだろうから。それは選手たちの夢をかなえるよりも、皆が優先して考えるべき問題だから。
 
 

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では一体なぜ、公式練習の五日前というギリギリのタイミングまで中止の決定が出なかったのか、というもっともな疑問が出て来ると思います。

 

どう考えても、とっくの昔から中止の要因は揃っていました。

 

ウイルス感染の情勢が急ピッチで悪化している(あるいは悪化しそうである)ことが前提としてあり、
 

*屋内アリーナの中では

*毎日、1万5千人以上の観客が長時間、詰めて観戦し

*それが一週間続く

*その中には高齢者、小さな子ども、持病を抱えている人たちが少なからず含まれる
*海外を含め、遠方から来た人たちはホテルに泊まり、食事をして、町中を移動する
*そしていずれ、それぞれが地元に戻って行く
 
*アリーナの裏では
*200人余りの選手が
*その倍以上の人数のコーチ、チームオフィシャル、サポートスタッフに囲まれ
*200人以上のメディア関係者に取材・撮影され

*400人余りのボランティア

*無数の主催組織関係者、会場運営スタッフが入り乱れる
 
 
こういった大会参加者の構成は最初から把握できているのだから、どうして主催者から相談を受けていた保健省はもっと早い時期にケベック州、カナダ、ひいては世界の安全のために介入しなかったのか。
 
謎と思われるところです。。。
 
が、
 
一つの要因として考えられるのは、ワールド決行・中止の議論がなされている間も、カナダでは大規模なイベントに制限が掛かっていなかった、ということがあります。その例として、まさに同じ時期、同じベルセンターではカナディアンズのホッケーの試合が週に二、三度、開催されていたくらいですから。
 
ホッケーの試合はフィギュアの試合よりも観戦時間が短いし、観客のほとんどが地元の住人であることは間違いない。それでもアリーナの中では二万人近くの大観衆が狭い空間でひしめき合い、大声を上げ、ハイタッチをして、飲み食いをしながら、観戦をしている。
 
こんなことがまかり通っている状況で、どうしてフィギュアスケートの大会だけがキャンセルされなければならないのか、と言う人も絶対に出たでしょう。
 
そういった意味では、もっと早い時期(たとえば3月のはじめ)に保健省がワールドの中止を言い渡していたら、その原因は「外から来る人間が多いから」という点がクローズアップされていたに違いありません。
 
早々に中止が確定していれば、ホッとする人たちがいたであろう反面、選手も含めて不満に思う人たちもけっこうな数、がいたように思います。
 
今でこそ、国内ホッケーの試合も十分、危険なのだ、と認識されている訳ですが。
 
 
なお、無観客試合が無理であった、ということも上記の参加者構成から推察できます。たとえ観客をシャットアウトし、メディアとボランティアの数を最小限に抑えたとしても、公式試合が成立するにはあまりにも多くの人が必要となるからです。
 
「無観客試合を検討する」といったオプションを主催者側がちらつかせていたら、返って多くの混乱を招いた末に結局は中止に追い込まれていたに違いません。
 
 
Hindsight is 20/20
後から言うのは簡単。
 
今となっては結末は一つしかありえなかったのに、リアルタイムではそれが見えなかったのです。
 
 
なので全てはタイミングの問題であった、ということでしょうか。
 
国内外から寄せられる情報があまりにも深刻で、ようやくケベック州保健省を動かしたのが今週の頭、3月9日の月曜日でした。「ケベック州のマッキャン保健相が世界フィギュアの中止を検討している」という一報が出た時、「やっと」という苛立ちの混じった安堵と共に、もうすぐ終わるのだ、という悲愴感が高まりました。
 
 
 
 
3月11日、12時過ぎにWHOが「パンデミック」宣言。
 
 
 
そして、とうとう、マッキャン保健相から正式な中止の発表があったのが、その二日後、3月11日午後三時半でした。
 
 
 
 
 
 
 
「Watershed Moment」という言葉で表されるように、まさに、この日を境にカナダの多くの人々にとって、それまでの世界観が崩れ去り、全てが変わってしまいました
 
こちらは3月12日の我が家に届いた朝刊二紙:
 
 
 
 
モントリオール・ワールドの中止が発表された同じ日、NBAがシーズン停止に踏み切りました。その二日後にNHLが同様の措置を取り、今や全ての主要プロ及びアマチュアのスポーツ・イベントが中止になっています。
 
おまけにカナダのトルードー首相夫人は3月12日にイギリスでのイベントに参加後、帰国して間もなく感染が発覚。首相も自主隔離中です。
 
アメリカではトランプ大統領が国家非常事態宣言を発し、国内・国外の旅行を自粛要請。
 
カナダ、アメリカの多くの教育機関で、通常の授業からオンラインへと移行が求められています。これから始まる春休みを機に、休校措置も広く、取られています。
 
どんどん、ドミノの牌が倒れて行っているような恐ろしい状況。
 
それを目の当たりにして、ワールド出場を諦めた選手たちも、ほんの少し、浮かばれているかも知れません。

 

 

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しかし今、思い返してみて、この一連の出来事の中でもっとも強く体感として残っているのは、中止発表までの週明け二日間の異様な緊張感です。(おかげで本当に首から肩にかけて、そして肘までの痛みが悪化しました)
 
特に3月11日の水曜日、朝からずっと携帯を手に、「いつ出るの、いつ出るの」と保健相からのコメントを待ち望んでいる私。
 
それを横目で見ていた長男が夫に「今日、オカンに車の運転させん方がええと思う」と言っていたのが少しだけ、笑いを与えてくれました。

 

そして午後3時半過ぎ、ようやく中止が正式となった瞬間、怒涛の様な安堵感を覚えました。ああ、これで終わった、良かった、正しい決定だったのだ、と。
 

 

しかしよく考えてみれば、これはとんでもない事態ではないでしょうか。
 
あんなに楽しみにして、準備を重ね、開催までの日を指折り数えていたというのに。平昌五輪はともかく、昨年のさいたまワールドよりもきっと忘れられない思い出になるだろうとワクワクしていた宝物のようなイベントだったのに。
 
ついこの間までは「中止にしたら良いのに」と書かれているのを見るたびに悔しく、切なくなっていたのに。
 
 
逆に自分が「早く、キャンセルされてしまえ」と、必死で願う羽目になるなんて。
 
 
(あと少し、「失われたもの」について書きたいので、どうかお付き合いください。)