昨夜、久しぶりに夫とダウンタウンに繰り出して、Royal Conservatory のKoerner Hallでコンサートを観に行ってきました。
演者は今を時めく二人のスター、ピアニストのユジャ・ワン(Yuja Wang)とチェリストのゴーティエ・カプソン(Gautier Capuçon)でした。会場は満員を通り越して、ステージ上にも席が余分に設けられるほどの大盛況。
二人の極上の演奏に引き込まれ、あっという間に終わった、という印象でした。
プログラムは二部構成で、前半が:
Fryderyk Chopin: Cello Sonata in G Minor, op. 65
Fryderyk Chopin: Polonaise brillante in C Major, op. 3
後半が:
César Franck: Sonata in A Major, for cello and piano
でした。
ちなみに Koerner Hall は音響が素晴らしく、大好きな会場なのですが、ユジャたちも気に入ったらしく、数日掛けてレコーディングを行ない、この夜の演奏も録音していました。
アンコールも二回、応じてくれて大満足!!
ただ、演奏自体には非常に感動したのですが、問題だったのは一部の観客のマナー。客席の入り口には録音・録画を禁止する張り紙があって、司会のイントロダクションでも携帯電話の電源を切ってほしいというアナウンスがあったにも関わらず、演奏中にはかすかに携帯の着信音が聞こえていました。
おまけに私たちの一列前に座っていた女性がけっこう堂々とスマホを駆使して演奏の一部を録画していたのです。
誰にも見られていないと思っているのか、上手く隠していると思っているのか、時たま携帯をかざして二人の姿をとらえては膝の上に下ろしていましたが、録画している証拠の赤いボタンが点いたまま。我々からするととても目障りになって残念でした。
どうやら動画を自分のフェイスブックかツイッターに投稿していたらしく、友人とのチャットにも余念がない。
とうとう見かねて、アンコールの直前に夫が注意し、女性はしぶしぶ、携帯をバッグに収めました。
この人は高いお金を出してチケットを買って、コンサート会場まで足を運んで、いったい何をしに来たんだろうか、と疑問に思いました。
禁止されている動画撮影を敢行しているだけでもダメなんですが、それ以外にもせっかく生で(しかも前から6列目辺りで)秀逸な演奏を聴くまたとない機会に、ソーシャルメディア欲を満たすために携帯を操作することに気を配るなんて、なんともったいない。
このエピソードから、帰宅後、夫と生演奏を観に行くことの意味についてちょっと話し合うことになりました。
夫は前にもご紹介したかと思いますが、かなりの音響マニアです。地下の書斎は年々、機材をアップグレードしているリスニング・ルームでもあり、この頃は仕入れる音源も非常に質の高いダウンロードばかりになっています。
それでもやはり、足しげくコンサート会場に通う。それは何故か?
昨日の例を取って言うならば、いくら質の良い音源を所有していても、いくら最近は高画質の動画を観ることが出来るようになっていても、目の前で生身の演奏が繰り広げられている感動に勝るものはないから、ではないでしょうか。
私たちの席はステージから7列目の正面。大袈裟に言えばユジャとゴーティエたちの息遣いが聞こえ、体温すらも感じられそうな距離でした。だけどたとえ座っているのがもっと遠くの席であっても、画面やスピーカーから体感できないものが生演奏にはあります。
人間の耳に直に伝わって来る音、目に直に映る光景はもちろんのこと、それに加えて場の温度であったり、匂いであったり、演奏者の体の動きが創り上げるわずかな風圧であったり、それら全てが与えてくれる経験が貴重なのです。
また、録画や録音とは違って、決してこの同じ経験が二度とは得られない、という事実。指の間をすり抜けていって、取り返すことが出来ない、もどかしいような感覚。それをその場にいた人間だけが共有できた、ということが魅力なのだと思います。
(昨夜などは、演奏中のアクシデントを目撃したのもスリルの一つとなりました。コンサートの出だしでゴーティエが楽譜のページをめくったのですが、そのページが元に戻ってしまいそうになるのを、彼が器用に足で抑え返す、ということがニ三度繰り返されました。しばらくは暗譜で演奏し、しまいには譜面台の一部を曲げてページをそこに挟み込む、という場面が観られました。観客はハラハラしながら見守っていたのですが、その間、本人は全く動じた様子がなかったのも凄かった。)
あと個人的にはもう一つ:
ごく当たり前のようなことですが、音楽であっても、舞踊であっても、自分と同じ身体を持つ人間が、実際に自分の観ている前で驚くようなパフォーマンスをしていて、リアルタイムでそれを追っていることに単純で純粋な感動を覚えます。「あ、本当にやっているんだ。(指の動く速度、喉から出る声量、跳躍の高さ等々に関して)本当にこんなこと出来るんだ」という、とてもベーシックで率直な感動。
それをわざわざ(後から誰でも、どこでも、いつでも見られる)小さな携帯の画面を通して観るって、残念じゃないかしら。
あ、ところでアンコールはピアッツォラの「グランド・タンゴ」と。。。
サンサーンスの「白鳥」でした。
(ゴーティエさんが演目をアナウンスした時、一人で「キャッ!!」と私が心の中で叫んだのは言うまでもありません)
(昨夜のステージにはダンサーのお姉さん登場せず。)