パトリック・チャンの現役引退ニュースを受けて(その2) | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

 

パトリック・チャン選手の引退ニュースがどのようにこちらで報道されたのか、については前の記事で書きました。

私の個人的な感想としては、これまでブログで何度かパトリック選手について取り上げているので繰り返すのは避けたいのですが、ざっと言えば、三つあります:

1)羽生選手の応援をするようになって、パトリック・チャンというスケーターの凄さを再認識できたのが良かった

2)ソチでの頂上対決を見て、スポーツの厳しさについてつくづく考えさせられた

そして

3)ソチ後、現役として復帰してくれて良かった!

ということです。

 

なお、文中で私がパトリック・チャン選手の名演技の例として取り上げているところは青字で示していますが、ジャッキー・ウオンさんがそれらの多くをこちらに一覧表のようにして動画を貼り付けてくださっているので、ご参照ください。

 


1)私は羽生選手を応援するようになって初めて、フィギュアスケートの試合を観に行こうという気になりました。

 

それまではテレビで観戦したり、アイスショーなどに招待されて行ったりすることはあっても、大会に足を運ぼうという発想がなかったのです。現に2012年のGPスケートカナダは家の近くのハーシーセンターで行われていたにも関わらず、行ってないんですよね。(まあこの時は日本で色々と用事があって、たぶん、カナダにいなかったような気もしますが)

そこで2013年の1月に同じくハーシーセンターでカナダ選手権が開催された時、思い切って冬の最中、高速を飛ばして一人で観戦に出かけたのでした。 


(この時の記事はこちら:

 

初・生観戦!フィギュア・スケート カナダ選手権

カナダ選手権レポート(競技編 ペア・男子フリー)

カナダ選手権レポート(競技編 女子フリー)

 

非常に稚拙なレポートで笑えますが、根本的には観察のレベルがあまり変わっていないのも悲しい。)

 

その時にようやく、自分がいかにフィギュアスケートという競技についての知識が足らないのか、ということに気付き、反省しました。テレビで観るのとリンクで観るのとは何が違うのか、単に臨場感だとか会場の熱気だとかいうのではなく、一にも二にも「スピードのある選手とそうではない選手の差」に愕然としたのを思い出します。

 

どんなスポーツでもそうですが、同じ技をこなすにしても、スピードを落とせば出来る選手は多い。ところがテレビで観ていると、カメラが選手を中心に追って写すのでリンクのどの辺りでジャンプをしているのかとか、ステップでどこからどこまでカバーしているのか、は分かりにくいんですね。

 

解説者が「このペアはリフトをするとき、Ice Coverageが優れている」、あるいは「(アイスダンスで)氷を端から端まで良く使っている」と言われても何のことかよく分からなかったのですが、生で観ると確かにリンクの真ん中をちょろちょろと、こじんまり滑っている選手が多い。そこへ行くとパトリックは縦にも横にもリンクを制覇していました。

 

複数の選手が一緒に滑っている6分間練習ではさらにその違いが顕著に表れ、パトリックだけが「浮いて」いる。なんか一人だけ、別の競技をしている人が紛れ込んでいるような違和感とでも言うのか?

 

そのカナダ選手権はパトリックがフツーに優勝したのでしたが、数か月後、今度は2013年のロンドン世界選手権で彼のショートプログラムの演技を目の当たりにして、「凄いものを見てしまった」と改めて驚いたのも憶えています。他の選手の滑りには決して見られない、「一筆書き」のようなブレードと氷の触れ合い方、あり得ないような緩急の使い分けに感嘆しました。

 

 

2)さて、2013‐2014年のシーズン。

 

私は初めてのGPスケートカナダでのボランティアで、幸運にもパトリック・チャン選手と羽生結弦選手のそのシーズン最初の対決に立ち会うことができました。この頃はまだまだ羽生選手が「挑戦者」という立場でしたが、ソチ本番でどこまで戦えるのか、どこまで王者パトリック・チャンを追い詰められるのか、がすでに注目されていました。

 

結果的には羽生選手がけっこうな差を付けられての二位に終わりましたが、私はこの時のブライアンが発した「Patrick is beatable」(=パトリックに勝つことは不可能じゃない=勝算はある)という言葉がいまだに忘れられません。インタビューをお手伝いをした日本の記者さんともども「あれって単なる強がり?」と問い合ったものの、ブライアンの口調はあくまでも「淡々と事実を述べている」というようなものでした。

 

そうは言っても、次のGPフランス・ボンパール杯でもパトリックが羽生選手に圧勝。しかもSP・FSともにノーミスでの素晴らしい演技でした。

 

この時点でパトリックがソチでの優勝を確信したとしても仕方がなかったでしょう。

 

ところが、ところが。。。

 

すでに皆さんご存知のように、2013年のグランプリ・ファイナルでは初めて、羽生選手に負け、そしてその二カ月後のソチでは(パトリックにとって)悪夢ような展開となってしまう。

 

カナダの男子フィギュア・スケーターの輝かしい伝統の中で、ただ一つの「呪い」とも言われるように、この国は数多くの世界チャンピオンを輩出していながら、一度もオリンピックでの金メダルが獲れていない。

 

優勝候補と謳われながら、ブライアン・オーサー、カート・ブラウニング、そしてエルビス・ストイコたちがことごとく、頂上を目前に倒れてきているのです。そんな流れをパトリックが食い止めるはずであったのだから、本人にとってはもちろんのこと、カナダの古くからのスケート・ファンにとってもソチでの敗北は受け入れ難かった。

 

この時の様子を記事にしたのがこちら:

残酷な結末:パトリック・チャンに厳しいカナダ・メディアの評価(上)

残酷な結末:パトリック・チャンに厳しいカナダ・メディアの評価(下)

 

そしてこちら:

メディアは厳しいけど:パトリックを見守ってきた二人の記者


 

手の届くところにあった金メダルを掴み損ねた。天国と地獄の差は、ほんの小さなステップの踏み違えによるものだったりする、といったニュアンスのことを(自分も同じような経験をしている)カートさんが言っていたのも思い出されます。

 

どれだけ深い絶望感に包まれたのか、どれだけ長い時間をかけて這い上がって来たのか、これはパトリックのみが知ることでしょう。


(ちょっとここで余談ですが、2014年9月に放映された日本のテレビ番組「炎の体育会」の企画で、某・女優がアメリカで練習しているパトリックの元を訪れ、信じられないほど失礼な質問をしたことを今さらながら思い出して、震えます。皆さん、ご自分の贔屓の選手に置き換えてみてください。まだ半年かそこらしか経っていないのに、見知らぬ異国の芸能人に、カメラの回っている前で 「(あなたが二位に終わったこの前の五輪では)本当は金(メダル)を、狙ってました?」 って、いきなりぶつけられたらどうしますか?ファンが、他所の国のテレビでコケにされている好きなアスリートの姿を見たら、どれだけ悲しみ、怒るでしょうか?ああ、また腹が立ってきました。)

 

何はともあれ、ソチ五輪での男子競技を観終えて私がつくづく感じたのは、「ライバルの存在」「タイミング」の重要性。これは多くの人が言っていることですが、パトリックは長年、国内では断トツの存在で、世界選手権の舞台でもバンクーバー五輪以降三年間、圧倒的なチャンピオンだった。四回転の種類を増やすとか、構成を上げるという発想が起こらないほど、彼の立場は安泰に思えた。そして五輪が2014年ではなく、2013年であったなら。羽生結弦という天才があれほど早く・速く成長して追いついてきていなかったなら。(これはミシェル・クワンやエフゲニア・メドヴェデワたちも思った事かも知れません)

 

言ってもせんない事ですが。。。

 

 

3)そして復帰、平昌オリンピックに至るまでの3シーズン。

 

私はGPスケートカナダの2015年レスブリッジ大会、2016年のミシサガ大会、そして最後は2017年のレジャイナ大会でパトリック・チャン選手に会う機会がありました。一年の休養から復帰したあとの三シーズンは、彼にとっても色々と複雑な結果が混じり、当初の予定とはかなり違った展開となったのではないかと思います。

 

それでも私が見た限り、パトリックが帰ってきてくれたことは大きな意味があった。

 

一つには彼がカナダのフィギュアスケート界において、欠かせない偉大な存在であったことが改めて証明され、関係者たちが本当に感謝していたのが分かりました。GPスケートカナダのどの会場でも、彼の人気は絶大でした。もちろん、羽生選手が出場した二大会(2015,2016年)では、観客席からの声援は同じくらいの大きさだったかも知れません。でも舞台裏の、カナダの連盟スタッフや後輩のちびっ子選手たちからパトリックに注がれる尊敬と憧れの眼差し、励ましの言葉はやはりホームだけあって、当然、すごいものがありました。皆が彼が再び現役で滑ってくれていることを喜び、誇りに思っていました。

 

カナダ選手権を10回も制している、という実績は今後、なかなか破られないでしょうし、カナダ史上最高の男子スケーターと見なして間違いないでしょう。

 

(ちなみにアイスダンスのシェイリーン・ボーン&ヴィクター・クラーツ組が10回、テサモエたちでさえも8回、男子ではブライアン・オーサーが8回ナショナル・チャンピオンになっています。)

 

もう一つ挙げたいのは、パトリック・チャンのスケーティングがソチ後にも進化し、何だかんだ言ってもスケーティング・スキルでは誰にも負けない、という点を改めて見せてくれたということ。(←どういった滑りが好きなのかは個人によって違うので、これはあくまでも私の感想である、とご理解くださいね)

 

2016年の四大陸選手権でのフリー、2017年ヘルシンキ・ワールドでのSP

 

パトリック・チャン選手の真骨頂ともいえる、芸術作品です。これらもジャッキーさんのページでご覧ください。

 

少しでも長く、彼のあの極上の滑りを試合の場で見せてもらえたのは世界中のスケートファンにとって大切な財産になったと私は思うのです。

 

 

平昌オリンピックのレポート記事でもちょっと触れましたが、カナダ・オリンピックハウスを訪れた際、素晴らしいタイミングでパトリック選手に会うことができました。そして彼のこれまでのスケート人生に対する心からの賞賛と、お礼の言葉が伝えられたのは本当に良かったと思っています。

 

 

 

 

CBCのニュースで見た彼の爽やかな笑顔から、今後の人生をきっと有意義に過ごし、色んな分野で活躍を見せてくれるに違いない、と確信しました。英語、フランス語、広東語を自由に操るパトリックはブリティッシュ・コロンビア州の不動産業界で成功するでしょうし、彼が経営するスケート・トレーニング・センターがあれば、学びに来たいと思う選手は後を絶たないでしょう。

 

まだしばらくはアイスショーにも出演してくれるそうですから、なるべく私も観に行きたいと思っています。

 

パトリック、お疲れさまでした。ありがとう。あなたの今後の幸せと健康を祈っています。