ひとつ前の記事に書いた通り、CBCの放送した平昌スケート番組を観ずにいた私ですが、本日ようやく、男子競技の映像を堪能しました。
そこで頭に浮かんだのが
"D.O.M.S"
という言葉です。
皆さん、聞いたことがありますでしょうか?
Delayed Onset Muscle Soreness
要するに「筋肉痛」、それもすぐにやって来るものではなくて、二日後くらいに遅れて表れるやつです。(検索したら「遅発性筋肉痛」と言うものだそうです)
CBCの動画を見た後、私はこれに似たような状態を経験しました。
名付けて
"D.O.E.S"
Delayed Onset Emotional Surge
(↑なかなか良い造語だと、我ながら思います。午後のレニーの散歩の途中で思いつきました。 )
つまり、今頃になって、私は急激な「遅発性感情的噴出」に襲われているのです。
どっかーん
平昌の現地会場で、男子競技を生観戦した時に感じたのとは全く異なる、もっとジンワリとした、また一方ではもっとこみ上げるような、感動を覚えました。
もしかすると、スクリーンでは(現地では遠すぎて見えない)選手たちの表情がアップになったりして、よりいっそう彼らの気持ちに寄り添うことができるからかも知れません。
あるいは単に、ちょっと時間が経った今こそ、さまざまな事を噛みしめながら見ることができるからなのかも知れません。
が、とにかく、全く新たな気持ちでトップ選手たちの演技を観ることができたのには驚きました。
その中でも羽生選手のフリー。
前の記事に載せたケイトリン・オズモンド選手の動画を観た後だったからか、彼のNHK杯での負傷後の苦悩や不安や焦りを鑑みると、まさにこの度の平昌五輪での優勝は究極の偉業です。
全ての不要な物をそぎ落とし、全ての力を一点に集中させ、あとはただただ、信じた。
自分の今までの努力を、一番近くにいてくれた関係者のサポートを、ファンの愛を、そして自分がたどり着ける栄光を。
最後のステップの時に、羽生選手の顔に浮かんだ凄まじいまでの気迫と湧き上がる喜びの表情、これらは初めてまじまじと見たものでしたが、パソコンのスクリーンに映し出されることによって、会場で感じ取った「圧」が蘇りました。
すでにあの時、もう彼は勝利を確信していたのか。
論理的になんと説明して良いのか分かりませんが、あと数人、数字の上では彼を抜かすことが不可能ではない選手が残っていたにも関わらず、その日のその試合はもう抗いがたい流れに従って、避けることの難しい結末へと向かっていたのです。
これを良く、MOMENTUM、と英語では言ったりしますが、ホッケーなどの試合ではこの「勢い」はふとしたことで変わることもある。ところがあの平昌の現場では
「あ、これで決まった」
と、ごく客観的に、誰しもが思わざるを得ない何かがあった。現場でも、スクリーンの上でも、皆が感じたに違いない。
ボルトの100メートル走における五輪三連覇の時に似ている。
「歴史がこれを望んでいるのだ」
としか思えないような試合展開。
なんと、この動画を観た後、平昌では全然出る気配もなかった涙が自然と流れました。(←どんだけ時差ってる?)
その一方で、同じくCBCの動画を見て改めて感動したのは、男子競技のショートでのハビエル・フェルナンデス選手の演技。
私は幸運にも2017年の9月にモントリオールで開催されたオータムクラシック大会を間近で見ることができました。
この時にはまだまだ未完、という感じだったフェルナンデス選手のチャップリンのプログラム。衣装も確か袖がもう少し短く、ちょっとバランスが悪いような気がしました。
だけど、すでにこの時にオーサー氏が彼のスピンに注目してほしい、と話していたのを思い出します。
昨今のプログラムは制約が多くて、ジャンプの他にもスピンなどは選手たちが気を付けなければならない要素がたくさんある。通常、「何回、どのポジションで回転したか」くらいしか気を付けることが出来ない中、我々(クリケット組)は「プログラムに合ったコレオグラフィーをスピンにも施しているんだよ」と誇らしそうに言っていました。
確かに、今年のハビエル選手のSPでは、チャップリンというキャラクターが存分に生かされているスピンが見られます。クリケットクラブの「プログラムの完成度」に対する取り組みが浮き彫りになっている気がします。
また、オータムクラシック後のGPスケートカナダの解説でトレイシー・ウィルソンさんが、ジャンプと振り付けを「別個」のものとして滑ってきている選手が、いきなりある日、統合しようとしてもなかなか出来るものではない、と言っていたのも思い出されます。
過去記事から抜粋しますと:
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3)ジャンプとジャンプの間を結ぶスケーティングに注目
男子の部でめでたく3位に入ったロシア代表のサマリン選手。ロッドさんは彼のダイナミックなジャンプに大喜びでした。トレイシーさんもこの選手のジャンプのテクニックに関しては「まっすぐな空中姿勢、着氷もしっかりしていて、何よりも(プログラムを通して)ジャンプが安定している」と褒めています。
しかしジャンプとジャンプの間のつなぎ、に関しては選手によって取り組み方が大きく異なる。サマリン選手の場合は「 basic crossover skating, little choreography between the jumps, as he telegraphs and gets ready for another 3A (ごく基礎的なクロスオーバー・スケーティング、ジャンプとジャンプの間に振り付けはほとんどなし、次の3Aに向けてのセットアップを長く引っ張っている)」と解説。
そして「 And of course it's the skaters who can do both, the jumps and the intricate choreography that end up on the top. (両方できる選手がね、ジャンプも複雑な振り付けも、結局は表彰台のてっぺんに登れるのよ)。」と続け、脳内では(ウチのユヅやらハビみたいにね)と締めくくっていたに違いありません。
そこにロッドさんが食い下がって、 「If this guy can ever start connecting those jumps, my goodness (サマリン選手がこのすごいジャンプを繋げられるようになったら。。。どうなることやら)」と言うのですが、それに対してトレイシーさんは答えません。とりあえず、サマリン選手の気迫のこもった顔を見て、「気合が入っているわね!」という点は評価します。
そしてしばらく経ったのち、ようやくロッドさんのコメントに対して:
Rod, you talked about the fact that if he COULD weave those jumps... But it's a big "if" and it's VEEEERY, very difficult. All of a sudden when you're setting up those quads on curves out of choreography, it's a whole different thing. And that's why it's such a tough transition for skaters to make. If they don't have it from the start, it's difficult to get later
さっき、彼がこのジャンプを繋げられるようになったら。。。って言ってたでしょ?でもそれってできるかどうか、保証はないのよ。だってすごおおおおおく、すごく難しいことなの。いきなり、あのクワッドを(ストレート・ラインじゃなくて)カーブから、しかも振り付けをこなしながらセットアップするとなると、全く話は違うんだから。だから選手にとって、途中からそのやり方に変えようとすると難しいのよ。最初からそれをやっておかないと、後から会得しようとしてもなかなかできないものなの。
と、力説していました。(ここでも脳内では「だからウチでは、最初っから選手にそういった点も叩き込んでるのよ」と、続けていたことでしょう。)
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となると、フェルナンデス選手と羽生選手のショート、およびフリーのプログラムは、クリケット・クラブの目指すものを見事に結晶させた作品であったと言えるのではないでしょうか。
音楽と振り付けと技術の一体化。どれが欠けてもダメ、どれかが突出していてもダメ。
クリケットの二枚看板はそれぞれ6年、7年の年月をかけて、ブライアンとトレイシーが夢に描き、丹念に教えようとした理想の滑りを会得し、平昌で披露したのだと思います。
ああ、まだちょっと書き足りないな。でもいったんここでアップ。